陸上に住む生き物である以上、我々の体には至るところに
”おケケ”が生えています。
オイラも含めて、
妙に寂しい部分が有る人も多々いらっしゃるかと思います。
さてさて、皆さんは普段極普通に
”ぱんちゅ”を履かれているかと思います。
中には、
”被って”居られる方もいらっしゃるのかな???
オイラにはそんな
高貴な趣味は無いんですけどね。
いろんな種類があり、
人それぞれに好みのものを履かれていると思います。
モッコリタイプや赤フンドシ、白ブリーフ・・・セクスィ・・・かな?
オイラは
トランクスです、
ブラブラしてジャマになるほどの”珍宝”ではありませんのでこれで十分です。
女性の方ですと、どんなのかな?
毛糸のぱんちゅ?Tバック?・・・
オイラ個人的には
”紐パン”がスキ!
横の紐を解いて・・・ウシシ・・・ジュル・・・
男女問わず
”履かない”と言う方々もいらっしゃるかと思います。
他にも・・・
見せたがる人や・・・
でですね、この
”ぱんちゅ”ですけど、
一体いつの頃から履き出したかご存知でしょうか?
女性に関しては
一説によると、1932年(昭和7年)に発生した、東京日本橋のあの
”白木屋の大火災”以降だと言われています。
それまでは
和服に長襦袢というのが一般的な服装でしたので、当時の
ズローズ、今で言う
パンツの先祖を履いていた人は
本当に極希だったようです。
生死の境を彷徨っているにもかかわらず、必死に着物の裾を隠そうとして転落した女性が多発し、
世界的な大ニュースになったようです。
”百貨店火災”より、
”日本の風習”が
世界で話題となった事故でした。
しかしながら、
実はもっと前から先にも書きました”パンツの先祖=ズローズ”は履かれていたんですよね。
一般的ではなかったのですが、
極一部の上流階級の方々が、
”和服より洋服”に憧れていた時代です。
名前くらいは中学校の社会科の教科書にも出てきます
”鹿鳴館”・・・
ココで、
初代内閣総理大臣、昔の千円札で有名なあのお方が、
レイプ事件を起こしたって事はあまり知られていないのかな?
この頃からの伝統ですな、
政治家のスキャンダルは闇に葬られるって事は・・・
話は逸れましたが、
ココと
”ぱんちゅの歴史”は、
非常に密接な関係があるということをご存知でしょうか?
明治16年(1883年)落成された鹿鳴館・・・
海外からの来賓をもてなす為に建築されたと思いますが。
そこで繰り広げられる
晩餐会・・・当然
政府高官のご婦人方も同伴されている機会が多々あり、
当時ではかなりレアであった”洋服”を着込んでの出席。
その時に、当時はまだ着物が主流であり、
”ぱんちゅを履く風習の無かった日本のご婦人方”は、
”ノーパン”で
スカートを履いて出席しておられたようです。
そんな状況の中、
会食後に行われる”社交ダンス”・・・
その社交ダンスも終わり、
宴酣の中、宴は終了へ・・・
お片づけの時、お掃除部隊が目にしたものは・・・
フロア一面に広がる”ジンジロ毛=陰毛”の海・・・
こういう理由から、日本の女性達は
”ぱんちゅ”を履くようになったとさ。
でもこの風習が
本当に一般的に浸透し始めたのは、やはり
”白木屋火災の後”です。
白木屋では、この火災後、
女性従業員全員に
”ぱんちゅ着用を義務付けた”話は超有名ですね。
こういったことは、こちらの本に載っているのか居ないのかは読んでいないので知りません。
パンツが見える。―羞恥心の現代史
朝日選書
井上 章一 著
歴史もこういう視点で勉強すると、非常に捗るような気がするのは、”むっつりスケベー”なオイラだけか?
Posted at 2010/04/05 20:41:16 |
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