山手線のホームから目の不自由な方が転落して亡くなられたようです。
<転落>目の不自由な男性、ホームから 山手線にひかれ死亡
目白駅って云ったら田舎の無人駅でも無いんだし、時間帯も時間帯なのでそれなりの人は居た筈。
周りの人は異変に気がつかなかったのかな?
全員が全員そうではないけど、目の不自由な方って白い杖をついて歩行しておられる。
今回の場合はご夫婦で一緒に行動されていたようですので、同じく目の不自由な奥さんも杖をついていらっしゃった筈。
にもかかわらず、周りの人は誰一人として転落を事前に察知する事は出来なかった。
目の不自由な人が階段を駆け上がってきたり、いきなり走り出して転落すなんて事は考えにくい。
フラフラ~っとホームの先端まで歩いて行って・・・だと思う。
現場に居た訳じゃないから断定は出来ないけど。
普通の人とは違った行動をされていた筈。
じゃあ、なんで周りの人は気がつかなかったのか・・・
オイラ的には考えられない。
エラソーな自慢話をするつもりは無いが、少なくともオイラは自動車を運転している時は当たり前だし、列車やバスで移動している時は、目の不自由な方を始めその他体の不自由な人やお年寄り、妊婦さん等、云い方は悪いが明らかにオイラよりパフォーマンスの低い人については注視しているつもり。
それが五体満足で生きている人間の使命じゃないのか?
その為に”五体満足と云う物を与えられた”とオイラは思っている。
確かに寄付をしたりボランティアをしたりしている方が世間手は良いと思うし、やらなければいけないと思う。
でもそんな仰々しい事をしなくても、普通の生活の上で少しだけ周りに気を配って居ればそれでいいと思う、オイラは。
”世の中の為に○○をやっています!”って気な事は派手で良いと思うが、それだけなのか?
今回の転落事故も、少しだけ周りの人が注視していれば確実に防ぐ事が出来たと思う。
そんな事、駅員の仕事だよ!って云う奴もいると思うが、オイラはそうじゃないと思う。
一人の駅員の”2個の目玉”より、ホームに居る多くの人間の眼の方が、確実に異変を察知できると思う。
”あっ、危ないですよ、列車が来ますよ・・・”って、肩をぽんぽんと叩いてあげる・・・これだけで良いんです。
確かに転落した後、線路に飛び降りて助け上げた方が”世間的にはヒーロー”だと思う。
でも、オイラ的には”そう言う状況を作ってしまったのは、何処のどいつやねん!”って思う。
もし線路に飛び降りて助けようとした人も列車に轢かれて二つの命が無くなったらどうするんだよ・・・
ほんの少しだけで良いんですよ、本当に。
携帯でメールしたりするのも良いけど、
ちょっとだけ周りを見渡してみませんか?みんなで。
”小さな親切、大きなおせっかい・・・”オイラが一番嫌いな言葉です。
今回の事故も、その場に居合わせた人が”危ないですよ、列車が来ますよ・・・”って一言声を掛ければ起こらなかった事故。
列車は遅れるし、人は亡くなるし・・・
全ては”ちょっとした気遣い”で防ぐ事が出来るんです。
派手に大きな事をやるばっかりが人助けでは無いんですよね。
一人の大きな行動より、多くのほんの少しだけの気遣いの方が、トータルで見ると大きな力になっていたりします。
もちろん派手に行動するのも大事ですけどね。
Posted at 2011/01/16 22:00:35 |
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