
今日は朝から大嫌いなコイン洗車場(水圧が高すぎて塗装が飛ぶ)に行き、車の津波泥を落としてきました。
その後買い物をし、夕方まで人通りのある道路に面したアパートの駐車場で、車の下にもぐって作業してました。車の下ってなぜか落ち着きますね。
そんな作業中に突然「宮城ナンバーさん」と声を掛けられました。車の下から出ると60歳くらいのおば様がいました。近所は八王子ナンバーばかりで宮城ナンバーは私ぐらいですが、車で呼ばれた→何か知らぬ間に車でご迷惑を・・・と思っていたら「この度は大変でしたね」と言われ驚きました。
宮城ナンバーの車を見て、震災のことを心配されて声を掛けて来てくださったのでした。少し雑談をさせて頂きましたが、東京の住宅地で車の下でガチャガチャやっている見ず知らずの野郎に、わざわざ声を掛けて頂き大変うれしかったです。ありがとうございました。
今週、出張で京都に行きましたが、お客さんと雑談で震災の話してて、実家が石巻と言ったらすぐ通じました。関西方面は阪神大震災があったせいもあってか、すごく心配されました。
最近、友人や同僚からGWに震災のボランティアしたいとの話があり、向こうに行って見てきた状況を話しました。
ということで、3月11日の地震のあとに物資輸送と実家の片付けで、宮城県石巻市へ3度行っているので見てきた状況を書きたいと思います。
非常に狭い内容ですが、どなたかの何かの参考になれば幸いです。
今回のブログ写真は、4月16日に市内の日和山公園という海を見渡せる小高い山から撮りました。
海側を見渡しましたが、建物がほとんどなくなってます。
今頃は桜が咲いて、花見客がにぎわう頃なのですが、全くそんな人は見当たりませんでした。
■状況(4/9、4/16時点)
①交通
東京⇔仙台:東北道は矢板~郡山で道路が段差多数。
給油は満タンできるが、大きいSA(有名なところ)で待機列あり。
仙台⇔石巻:R45通行可能。三陸道で渋滞発生。例によって段差多数。
仙台市内は給油普通にできました。多賀城、塩釜の津波到達地区で給油不可あり。
石巻市内 :所々停電のため信号機の代わりに警察官誘導の場所あり(他県からありがとう)、夜中の交差点は無人のため慎重に。
給油は津波の到達している場所は大半が不可。
海沿い、川沿いで冠水。旧日赤病院付近は満潮時冠水→一応通れるけど海水。
橋など一部通行不可あり。
牡鹿半島 :コバルトライン(県道220号線)で土砂崩れ、陥没などで通れなくないけど、道路がひどいとのこと。
②食料購入
コンビニ :営業しているところ半々。食べ物品薄。
イオン(蛇田):時々店内入場制限あり。お弁当類など割と豊富。
③インフラ
電気 :停電の地区あり(津波の影響が大きいところ。中里地区も?)
水道 :日和山、津波の影響の大きいところで給水車。
ガス :市中心部以外プロパン。都市ガス部で未復旧。
携帯電話 :回線細い。メール受信に時間が掛かった(au)。
④避難所
指定避難所 :学校などに多数。実家の近所の中学校には700人避難しているとのこと。
それ以外 :牡鹿半島など交通の不自由な地区で指定避難所以外の避難市民あり。
⑤買い物
津波の影響のなかったホームセンターが営業中(石巻市内より古川などの方が品揃え良)
⑥環境
・津波で運ばれた泥、砂で粉塵がひどい時がある。
・道路や空き地に被災ごみ多数のため、通行が不便なところも。(実家の前に電柱に立て掛けてある車がある)
・津波で家の倒壊が多い地区は瓦礫の山がまだ手付かず。
・支援物資は、行政・ボランティア含め地区で2~3日に1回くらい?
・炊き出しは地区のどこかでほぼ毎日あるとのこと。
・実家の近所と友人宅で片付けのボランティアが来ていた。
⑦交通機関
JR仙石線不通のため、仙台⇔石巻駅で高速バスが1日26便くらい。R45の仙石線駅付近にバス停あるところも。
⑧他県からの支援など
・個人やお店で炊き出しで来られている方が来ておられるようです。東京のラーメン屋さんとか吉野家とか。
・たまたま行政以外の方の支援物資の列に並びましたが、カップ麺5個、レトルトカレーなど3食分、パックジュース2本、カロリーメイト1箱、さと○のご飯1パック、石鹸、トイレットペーパー、箱ティッシュ、タオルなどなど。早く並んだ方は、ブルーシート、長靴、スコップ、一輪車をもらえてました。(私の頂いた物資は、その日仕事に出ていた父へ渡しました。群馬県太田市の青年部の皆様ありがとうございました。)
以上、大まかな状況レポートです。細かいローカル情報は割愛します。
現地の新聞やテレビやラジオは、県外に知られていないローカル情報ばかりでとても興味深かったです。
家の片付けの合間に見知ったはずの市内を車で見てきましたが、景色が様変わりしていてショックな場面が多々ありました。小さい頃の記憶がある住宅地が何もなくなっていて、その少し離れた場所が未だに3メートルくらいの高さの瓦礫の山になっていたり、道路の真ん中に船が流れて来ていたりと津波の恐ろしさがまだ目に見えて残ってます。
ちなみに私の実家は津波で浸水したものの、家の形が残っているので片付けをしておりました。先々週の片付けで人手が借りられたのでだいぶ片付けが進んでます。室内は津波の泥が5cm以上溜まってました。
実家は罹災申請で全壊扱いになりました。罹災証明できたので、国から補助金が出るなと思っていたら、今の東京のアパートから帰る家が無いことに昨日気付きました。ボケ過ぎです。
GWは実家へ戻って片付けの残りをしたいと思いますが、一段落したら片付けか何かのボランティアに参加したいと思います。
東北自動車道・ボランティア・インフォメーションセンター
http://sites.google.com/site/hyogochannel/
石巻ボランティアセンター
http://www.camper.ne.jp/npo/ishinomaki/