
8月14日、私は恋をしました。
それも人様の持ち物に。
彼女と出会った場所は霊峰富士の麓、富士スピードウェイの14番パドックです。
夕闇迫る午後5時15分、彼女はすこぶる調子が良いにもかかわらず、パドックの中でエンジンを止めて佇んでいました。
実力はあるのに、去年よりもずっと速くなっているのに、彼女を走らせてやる事は出来ません。
大の大人が為す術なく立ち尽くす中で、彼女はもう一度その心臓に火が入る瞬間を待ちわびています。
そんな彼女を見ているうちに、自分のふがいなさに無性に涙が出そうになりました。
「ゴメンな。」
それしか彼女に声を掛けてやる事が出来ません。
遡ること9時間15分。
1年ぶりにK4GPに戻ってきたシンクマークレーシングチーム。
ドライバーは元ロードスターレース経験者I氏、レーシングカートの猛者K氏・U氏・Y氏、そして誰よりも彼女のことを知り尽くしたオーナーO氏という布陣。
すっかりグラベル以外で車を走らせられなくなってしまった私は、不肖「チーム監督」という立場でレースに臨みます。
彼女はエンジンのオーバーホールも終わって、基本ノーマルのビートとしてはやれることは全てやりつくしたフルチューン仕様。
速さでは他のビート軍団にひけをとりませんが、唯一の不安要素は燃費。
レースペースでの燃費だけが測定できていない状態でした。
ともあれ前日のテストデーでの燃費データを元に当日の作戦を立てます。
富士スピードウェイは一周4.563km。
このコースで1000kmの耐久レースという事は220周しなければなりません。
ただし、NAクラスの我々は全部を走りきることは出来ないと予想し、目標周回数を190周に設定します。
すなわち、866.97km。
これを95Lの燃料で走りきるには9.126km/Lという燃費が必須条件になります。
ちなみに、前日の練習走行での燃費計データによると、平均8.6km/Lという数字。
つまり6%ほど燃費を改善しなくてはなりません。
とはいえ、ペースを落としすぎてしまっては燃料だけ余って190周走れないという事態になってしまいますので、ペースダウンを最小限にしつつ燃費を抑えて走ってもらうという無理難題をお願いしました。
7時半からのブリーフィングを終えてスターティングドライバーのI氏がマシンに乗り込みます。
そして、午前8時を待って、スターターがマシンに駆け寄り、ル・マン式スタートでレース開始!
スタート直後の大混雑を上手くこなしてI氏は徐々にポジションを上げていきます。
そして、スタートから約1時間後、彼女は遂にクラス順位を一桁まで上げます。
その後も上位陣のピットストップもあって、一時期はクラス6位という入賞圏内を走行することに。
もちろんビートでは最上位、ピットでは拍手が沸き起こります!
その後も大きく順位を落とすことなく予定通り給油&ピットイン。
但し、この時点での燃費計は8.6km/Lを指していました。
ただ、消費燃料量のデータでは、逆算すると9.0km/L前後の数字であるはずです。
この矛盾した二つのデータのどちらを信用するかという段で、あまりのラップタイムに、私は消費燃料量のデータを信用することにしてしまいます。
これが後で大問題を引き起こすことになるとは、この時はつゆほども思いませんでした。
否、自分たちにとって都合のいいデータを信用したのです。
心の片隅には「あくまでも燃費データに固執しろ!」という声がありましたが、ラップを大幅に落として順位を失ってまで燃費データを信用する勇気がありませんでした。
その後、U氏からK氏、Y氏までクラス11番手を堅実にキープして走行してゆきます。
ただし、燃費計の数字は相変わらず8.6km/L前後。
そしてレースも残すところ3時間を切った午後3時20分。
遂に恐れていた事態が訪れます。
予定ではあと10分は走行できるはずの179号車がピットインして来る映像が飛び込んできました。
ピット内は一時期「マシントラブルか?!」と騒然としますが、GSでの燃料補給を終えて戻ってきたドライバー氏の口からは「ガス欠でGSでエンジンが止まってしまった。」との報告が。
想定よりも5Lも多くガソリンを消費しているのです。
5Lといえば富士10周分、つまり2分40秒ペースでは26分40秒も早く燃料切れになってしまうという計算になります。
この誤差を挽回するのはほぼ不可能。
最終ドライバーであるO氏がスタートした時間は午後3時30分。
残り時間2時間半ということを考えると2分50秒ペースで走行しても53周は走らなければならない。
53周という事は241.839km、これを20Lで走りきるのに要求される燃費の値は実に12.1km/L。
一縷の望みをかけるにはあまりにも重い数字です。
オーナードライバーO氏も、再スタートしてから2分40秒、2分50秒、3分00秒、3分10秒とラップを落として燃費を稼ぎますが、遂にレースが始まってから9時間が経過した午後5時過ぎ、ピットインしてきます。
理由はもちろん、このままでいくとどう足掻いてもガス欠になってしまいチェッカーをくぐれないから。
チームで話し合った結果、断腸の思いで30分ピットストップを行い、ゴールチェッカーを目指して再出走する決断を下しました。
午後5時15分、9時間の汚れを出来るだけ落としてやった彼女は、スタート時と変わらないきれいな姿で、ただ燃料がないことだけの理由でピットに佇んでいます。
彼女には何の罪もないのに、俺の一回の楽観的な判断の所為で…
燃費に徹して走れ、という指示を勇気を持って出せなかったのが悔やんでも悔やみきれない…
そして、午後5時30分。
13番手だった順位を一気に23番手にまで落として、彼女はピットレーンを飛び出していきます。
まるで、足止めを食らったストレスをぶつけるように元気なエキゾーストノートを残して。
そして、22番手の車を追い詰めながら、またしても襲われたガス欠症状に追いきれず、彼女は10時間のレースのチェッカーフラッグを受けました。
結局、1周のクールダウンラップを終えてメインストレートの車列の最後尾にあと30cmというところで、遂に彼女は全ての燃料を使い果たしてその鼓動を止めてしまいます。
シンクマークレーシング、ゼッケン179「グッドスマイルレーシングビート」。
彼女の速さと根性に助けられた1日は、こうして終わりを告げました。
「ゴメンな。」
今まで経験したK4GPのなかで、間違いなく最低最悪の1日でした。
が、いつまでも謝ってばかりでは、それこそ彼女に笑われます。
来年こそ、絶対に入賞圏内に、そして表彰台に、ポディウムの頂点に連れて行ってやるぜ!!
その時に泣くから、それで許してくれよな!