2020年09月05日
僕はこういう場ではあまり時事的なことは書きたくないと思っているのだけれど、今日は気になっている事について書いてみたい。
しかもクルマとはまったく関係がない(汗)。だから興味がない方々には最初にお詫びしておきたい。
どうしても僕の中で納得ができない事として、2022年度から施行される新学習指導要領における高等学校の国語教育の改革がある。
新しい指導要領では、昨今の子供達の読解力不足を背景に「実生活に役立つ」理解力、表現力を養うための改革とされている。報道されているように、現行の「現代文」が評論などの「論理国語」、小説・物語などの「文学国語」、さらに「国語表現」「古典探求」などに分かれてそれぞれ選択制となる。
あたらしい大学共通テストにも契約書や議事録の読み方等の問題が出題されることから多くの学校が「文学国語」ではなく「論理国語」を選択するであろう。(そもそも、このあたらしい入試問題を解かせるための教育改革、つまり共通テストありきになっているきらいがある)これにより授業は実用文などの授業が中心となり、小説・物語などの名作に触れる機会を生徒たちは大幅に失ってしまうことになりかねない。
言語教育においては「話す」「読む」「書く」「聞く」の四つが四技能と言われるが、これらはそれぞれを個別に習得することはできない。まず、さまざまな作品を「読む」ことからはじまる。そして人から話を「聞く」。次に「書く」「話す」に繋がるのである。つまり小説などの物語を読むという行為はこれらすべての元となる行為のはずだ。
いまの時代、実用的な国語教育を目指すという考えに至るのは分からないでもない。しかしそもそも僕たち大人は契約書や議事録の読み方を学校で習ったわけではない。そんなものは社会に出てから自然に身につくものなのだ。それよりも僕が実体験として感じるのはさまざまな小説・物語を10代のうちにたくさん読むという行為が人間を形作る要素の多くを占めるということだ。
僕は国語教育の改革すべてを否定したいわけではもちろんない。その時代時代に合った改革は必要である。しかし中学生の娘をもつ親としては今回のこの改革に関してはどうしても疑問に思わざるを得ないのだ。
Posted at 2020/09/05 22:03:39 | |
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