2012年10月28日
前にこんなこと言ってましたが、お気に入りのこのストラップを追加投入しました。NEX-7はまぁAPS-Cであることを考えればまぁまぁコンパクトの部類であり、ハンドストラップっていうのもちょっと…と言う感じですが、とりあえずはこれで行こうかと。SONYの光学系パートナーシップと言えば、パナソニックのライカと双璧を担うカールツァイス。ということでツァイスブルー。ちょっと濃い目でネイビーですが、まぁ個人的には大満足。なんだか自分でストラップとか作りたくなってきました。
5D MarkⅡ + EF100mm F2.8L IS USM
Posted at 2012/10/28 23:43:03 | |
Camera | 日記
2012年10月28日
M5がターボ化されて、Exhaust Noteに迫力がなくなったという声をよく聞きます。まぁE60 M5のNA V10エンジンと比較しての話ですから、そりゃあ当たり前なんでしょうし、同じクルマであっても、比較すること自体ちょっと無理があるかなって気もします。でも最近知ったのですが、なんでも、車内のスピーカーから、迫力ある擬似的エンジンサウンドが流れてくるってヤツ、それはちょっとBMWのすることじゃないんじゃないかって思ってしまう。デザインは機能に追随するって言葉がある以上、視覚以外の部分においても、そういう“ズル”は美学に反すると。環境性能を意識するあまり、電気やハイブリッド三昧のBMWの話題には正直辟易しています。なにかこう、BMW自身が、エンジン屋の真骨頂みたいのを正面から世の中にアピールできていないというか、今までエンジン屋でやってきたことに自身が後悔しているような、悩みつつ、市場に媚びつつ、って感じで。で結局自分自身に迷いがあるから、M5におかしな仕掛けをくっつけて、自分を慰めるみたいな。自動車メーカーが慈善団体ではない以上、環境に配慮しつつも利益を追求しても誰も何も言えないと思うのです。そういう意味においてはBMWは他のメーカーに比べて環境への配慮をなおざりにしていない、むしろLeading Companyとしていい感じで推移していると思います。だとするならば、Mモデルのエンジンをターボ化するなとは言わないまでも、まやかしの機能を付加するということはやめて、BMWが本当にやりたいことをやってもらいたい。頑固オヤジ的なメーカーとしての哲学を貫いて欲しい、そう思うのです。今まではBMWファンをグイグイ引っ張ってきたのに、今では旧来のBMWファンがFollowするのに戸惑うことがあるのも事実。
M9 + Summilux-M 1.4/50mm ASPH.
Posted at 2012/10/28 22:43:30 | |
BMW | 日記
2012年10月28日
齢80にして最後のご奉公と憂国の士が立ち上がった。極端な部分はあろうとも、相手や場所で自分の意見を自ら歪曲させたりしない点ではやはり一本筋が通っていると思う。国政感に乏しい若い世代、逃げ切り世代のご老体に、‟国政再参戦をどう思う?”などという馬鹿な質問を街頭でするメディアの稚拙な報道のあり方は横に置いたとしても、「何故今なの?」という驚くべき回答があった。その人曰く、オリンピックの招致活動が道半ばとか、都知事の任期を全うしていない、ということらしい。オリンピック招致活動のリーダー的存在であることは理解できるし、都知事の職責という部分もわからなくもない。ただし見方を変えてみれば、オリンピック招致に賛同した仲間たちの中から新たなリーダー(インパクトに欠けるのであれば何も一人だけでなくてもいい)を探せばいい話であり、地方政治(東京都民として敢えて東京も地方と言いますが)は事の在り方として、国政に劣後するのは当たり前の話。だいたい一人の人間の離脱がオリンピック招致活動を揺るがすというのであれば、それこそIOCは東京などには任せられないと考えるのが自明で、事実、例え今後の招致活動を憂う部分があったとしても、あまり感情の赴くままに発信するのはよくないと考える。都知事の任期半ばという点においても、それはそうせざるを得ない事情があるということは、最近の外交情勢を見ていれば極めて納得できる話だと思うのだけれど、この街頭インタビューで出た人は何を考えて発言したのか(何も知らないという顔をしていたが)理解不能。もう一つは、おそらくは大学生なのだろうが、「ゆとり世代をバカにするから嫌なんですよね~」と発言していた。残念ながらわたくしも、事務所の若手ゆとり世代は知性に乏しいと感じるし、仮に、世代間の優劣意識が働いていたとしても、彼らゆとり世代の耐性能力や、コミュニケーション能力には一定の欠落を感じるところで、国を考え行動するような人間からすれば、議論に値しないということなのだろう。それにしてもそういう評価をされている世代の人間が、街頭インタビューで“ゆとり世代”と平気で公言すること自体に哀れなゆとりを感じるところ。志で以って立ち上がろうとする人間が守りたい国、それを形成する国民がこの低劣さでは、都知事としての約束を反故にしてでも、自身の寿命を考えれば「時は今」と言うことなのだろう、とてもやりきれないのだろう、そう思う。真に責めを負うべきは中央政治に蠢く無能な国会議員と、それに阿る周囲の連中。法務大臣、防衛大臣、農水大臣と、辞任更迭劇を繰り返す現内閣の官房長官をして「一般的に言って任期を全うするのが普通だと思う」と戯言をほざいていた。所詮は市民運動家の域を出ない現政権与党、せっかく大事に守り抜いてきた既得権益を奪われないかとハラハラドキドキなのであろう。自分たちの聖域が領土問題に優先するのだからそれもやむを得ない。大陸・半島のおよそ21世紀の人間の所業とは思えない蛮行の数々を見せつけられても、無策無能の市民運動家は繰り返し「大人の対応を」と言うばかり。そして野党を含め、理念より利害が大事な国会議員の中には、早速次の優勢勢力側に就こうと、水面下で動き出している始末。そういう国会議員はさっさと駆除してしまって、今回の国政参画を不安視する大陸や半島に正論をぶつけてやればいい。素直にそう思う。それにしても志を持った政治家が地方離散しているという現実、国政を担う国会議員どもは漫然と時間を空費し、何も進まないどころか凋落の一途という皮肉。そして憂国の士をして「なぜ今なの?」「ゆとり世代をバカにするから嫌い」などという言葉を含め、「やめてくれよ」というムードを言外に匂わせるメディアにもやっぱり腹が立つのはわたくしだけではないはず。若かろうが老いていようが、正しいことを正しいと、間違っていることを間違っていると言えることがいかに素晴らしいことか、もう一度それに気づけなければ、この国は終わる。
Posted at 2012/10/28 14:16:39 | |
Miscellaneous | 日記