一体何ヶ月ぶりでしょうか…。
だいぶご無沙汰しておりました。
2020年になって今日が初めてのブログ更新となります。
以下、簡素に話をまとめたつもりですが、かなーり長いです。
ちょっといろいろあった事情と経緯を説明します。
良ければご一読いただければ幸いです。
実は、今年の3月6日に父親が死去いたしました。
ほんの1年くらい前までは、野良仕事もしていたくらいにピンピンしていたのですが…。
ことの始まりは、昨年度のGW明けあたりからです。
父親に早期胃癌が発見され、内視鏡手術による切除を行うことになったのですが、あろうことか、処置に失敗して胃に穴を開けてしまったのです。
胃の入り口付近に出来ていたので、処置のしづらい場所だったそうですが…。
それほどリスクの高くない手術だということで、それほど心配していなかったのですが、仕事の昼休みに弁当を買いに行っていたときに突然病院から電話がかかってきて、そんな話を聞いたので「はぁ?」と耳を疑いました(医者は合併症が起きたとか言っていましたが、医療ミスだと私は思っています)。
すぐに病院に来てほしいと言われ、急遽病院に直行しました。
(と言っても都心勤務なので、私が病院に着いたのは15時近くでしたが)
医者の話によると、胃を部分的に縫うということはできない(やっても無駄?)らしく、切除しようとした癌が周りに飛び散っている可能性もあるので、最善の策としては、穴が空いてしまった部分を含む胃の3分の1を切除して、食道と接続する方法しかないとのこと。
(後でネットで調べてみると、胃の手術は決まった手法が確立されているようで、それ以外に方法はないようです)
起きてしまったものはしょうがない。
とにかく、現状で最善の処置をして欲しかったので、家族全員一致で緊急手術をお願いすることにしました。
結果は、手術は無事成功し、我々家族全員はほっと胸をなでおろしました。
ここまでは、まあ良かったのですが、ここから先が大変でした。
というのも、退院した父親は手術前とは打って変わってガリガリに痩せ細ってしまい、食事がまともに喉を通らなくなっていたのです。
胃を切除したので、初めのうちはいろいろ食事制限がありますが、本来であれば、だんだんと普通の食事ができるようになるはずでした(量こそ切除前ほどには食べれられませんが)。
ところが、退院して1ヶ月、2ヶ月経っても、父親の食欲が戻りません。
本人も体力を付けるために食べなくてはならないとわかっており、できるだけ食べようとしますが、すぐにお腹いっぱいになってしまい、食べたものが食道の方へ戻ってきてしまうような感触がしていたようです。
そんな状態がずっと続いていたため、いつまで経っても体力も体重も戻らず、ちょっと歩くのも疲れてしまうため、退院してからはほとんどベッドの中で生活をしていました(退院した日から介護用のベッドをレンタルし、介護申請もしました)。
ところがある日突然、父親の食欲が戻り始めました。
もちろん、以前のようには行きませんが、食事がスムーズに胃に入るようになり、以前よりだいぶ食べられるようになったのです。
一度痩せてしまったらなかなか戻るのは大変だと言われますが、ようやく、やっと、これで父親も普段の生活に戻れるようになるのかと、誰もがそう思いました。
しかし、今度は、度々肺炎を起こすようになり、また入院することになってしまいました。
元々歩くのもやっとのくらいの状態でしたが、入院したことでさらに体力が落ち、ついには自力で歩くことも立ち上がることもできなくなってしまいました。
肺炎の上に、高齢で体力もない…。
医者からは、もう長くはないだろうと言われました。
父親を励ますために、母親はほぼ毎日、仕事を持っていた私は週末に毎週、父親にお見舞いに行きました。
そんなときでした。
世界中を騒がせている新型コロナウイルスが猛威を奮い始めたのは。
感染を防ぐために、病院は患者への面会を全面的に禁止したのです。
つまり、入院している父親と会えなくなってしまったのです。
これは、本当に辛かったです。
いや、本人はもっと辛かったと思います。
実は、週末にしか会えない私のために、母親が病院にお願いして、特別にその週末に父親と面会できるようにしてもらいました。
病院のベッドに寝たきり状態の父親は、もう声を出すこともできない状態でしたが、意識ははっきりとしており、私の方をじっと見つめていました。
私に会えたことが嬉しかったのか、父親の目には薄っすらと涙が出ていました。
私が面会に来たことはわかっていたと思います。
そしてこれが、生前の父親との最後の面会になりました。
今、父親は何を思っているのだろう?
寂しがり屋なので、どんなに家族に会いたがっていることか。
来る日も来る日も、父親のことを想うと、胸が苦しくなる日が続きました。
早くコロナ騒ぎが収束して欲しい。面会したい。
そんなある早朝、会社へ行くために支度していたら、病院から電話がかかってきました。
父親の心臓が弱くなり始めたので、すぐに来てほしいと。
父親が入院している病院は自宅のすぐ近くなので、急いで病院に向かいました。
しかし、すでに時遅く、父親の心臓は止まっていました。
2020年3月6日の午前4:30~5:00の間の出来事でした。
というわけで、この一年、父親の入院~死去という事態が起き、多忙で精神的にも辛い状態が続いておりました。
そのため、なかなかみんカラのブログも更新できなかったというわけです。
ここまでの長文をご一読いただき、ありがとうございました。
最後に、もう少しだけ。
入院する直前、父親は車を降り、売却しました。
世間の事故を目の辺りにして、自分の運転にも不安を感じていたのでしょう。
父親は、よく車で買い出しに行っていたため、その役割は私が引き受けることになりました。
買い出しくらいであれば、コペンでも十分可能ですし、問題ありません。
ところが、父親があんな状態になってしまったため、そうも言っていられない状況になりました。
荷物も人も乗せられる車が必要になります。
アコードなら…と言いたいところですが、ちょい乗りには使いたくないし、歩くのもやっとの人にとっては、セダンでも乗り降りが苦痛になると思われます。
であればコペンを売って…ということになるのですが、待て待て、そんな即決はできない。
というわけで、
………。
………。
………。
………。
………。
………。
………。
………。
………。
を、増車してしまいました。
つまり、3台持ち…。
ヘンタイ…じゃなかった、タイヘンです(笑)。
結局、父親を乗せる機会は一度もなかったのですが、購入してもうすぐ一年が経過しようとしています。
この車に関しての詳しい話は、また次回にて。