2010年09月15日
※以下、自分の知識を深める為、ページから抜粋した内容です。
本名:ダイアナ・ジェーン・クラール(Diana Jean Krall)
1964年11月16日、カナダ生まれの女性ジャズ・ピアニスト、歌手。
1990年代以降に最も成功したジャズ歌手の一人。
ダイアナ・クラールはカナダのナナイモ(ブリティッシュコロンビア州)に住む音楽一家に生まれ、四歳でピアノを習い始める。
幼い頃に家族と一緒にバンクーバーに転居、高校の小さなジャズバンドで活動を始めた。
15歳の時、ナナイモのレストランでピアノ演奏を始める。
17歳になってからはバンクーバー・インターナショナル・ジャズ・フェスティバルの奨学金を得て、ボストンにあるバークリー音楽大学に入学、卒業した。
バークリー音楽学院では、当時同級生に小曽根真がいた。
ナナイモでクラールの演奏を聞き興味を持った著名なベース演奏者、レイ・ブラウンと出会いロサンゼルスに行かないかと誘われる。
それを承諾したクラールはロサンゼルスへと旅立ち、ピアニストのジミー・ロウレスと出会い、歌い始めた。
ロサンゼルスでは、さまざまなミュージシャンからの影響を受けるとともに、プロデューサーとの出会いも経験することになる。
1990年にはニューヨークへ転居している。
2003年12月にイギリス生まれのミュージシャン、エルヴィス・コステロと結婚。
2006年12月には最初の子供(双子の男の子)を出産した。
1993年には、ジョン・クレイトンとジェフ・ハミルトンとともに録音し、初めてのアルバム「ステッピング・アウト(Stepping Out)」を発表。
このアルバムはプロデューサーであるトミー・リピューマに注目され、1995年には、彼のプロデュースでセカンドアルバム「オンリー・トラスト・ユア・ハート(Only Trust Your Heart)」を出した。
サードアルバム「オール・フォー・ユー~ナット・キング・コール・トリオに捧ぐ(All for You: A Dedication to the Nat King Cole Trio)」(1996年発表)
は、グラミー賞にノミネートされ、また70週間もの間、ビルボードのジャズ・チャートに上がっていた。
その後、クラール、ラッセル・マローン(ギター)、クリスチャン・マクブライド(ベース)のトリオで出した「ラブ・シーンズ(Love Scenes)」(1997年発表)も発表と同時にヒットした。
2000年8月にクラールはトニー・ベネットと共に計20都市のジョイントツアーをした。
「ホエン・アイ・ルック・イン・ユア・アイズ(When I Look In Your Eyes)」(1999年)では、ジョニー・マンデルによるオーケストラ・アレンジのバックもあり、再度グラミー賞にノミネートされ、クラールはその年の最優秀ジャズミュージシャンとして表彰された。
「ザ・ルック・オブ・ラブ(The Look of Love)」(2001年)でもバンド・ミックスのコンセプトが続き、プラチナ・ディスクとなりビルボードでも上位10位に達した。
カナダのアルバムチャートでは1位となり、カナダではクワドループル(4倍)プラチナ・ディスクとなった。
このアルバムのタイトル曲は1960年代末に人気を博した映画「カジノ・ロワイヤル」のダスティー・スプリングフィールドとセルジオ・メンデスの作品のカバーで、アダルト・コンテンポラリー・チャートで22位に達した。
2001年9月にクラールはワールドツアーを開始した。
フランス・パリのパリ・オリンピア劇場でのライブは彼女の初めてのライブアルバムとしてリリースされた。
このライブはビルボード・ジャズ部門でトップ20に入り、カナダではトップ5の座を飾った。
これにより彼女は二つ目のグラミー賞(最優秀ジャズボーカル)とジュノー賞を受賞した。
このアルバムはビリー・ジョエルの「素顔のままで(Just the Way You Are)」のカバー(アメリカのスムース・ジャズラジオ局でヒットした)とジョニ・ミッチェルディスコグラフィ LIVE AT THE MONTREAL JAZZ FESTIVAL ライヴ・アット・ザ・モントリオール・ジャズ・フェスティヴァル
Diana Krall Official Site | Verve Music Group(公式サイト)
ダイアナ・クラール(日本語公式サイト @ UNIVERSAL JAZZ)
Diana Krall - Quiet Nights OUT NOW(オーストラリア公式サイト)
DKrall.de(ドイツ公式サイト)
Diana Krall-MySpace

Posted at 2010/09/15 14:58:25 | |
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