2010年09月26日
※以下、自分の知識を深める為、ページから抜粋した内容です。
マッキントッシュ・ラボ
マッキントッシュ・ラボ(McIntosh Laboratory, INC)はアメリカ合衆国の高級音響機器の設計及び製造会社。
マッキントッシュ(McIntosh)のブランド名で知られる。 アップル社は、自社の製品にその名を冠するにあたり、同社に対して補償を行っている。
マッキントッシュ・ラボ社は1949年創立。
創立者フランク・H・マッキントッシュ。
創業地ワシントン。
所有地はニューヨーク州ビンガムトン。
代表者はチャーリーズ・M・ランドール。
1990年、クラリオンの米国法人が買収したが、現在はディーアンドエムホールディングス傘下となっている。
輸入業務はエレクトリが引き続き行っていたが、2007年4月1日にディーアンドエムホールディングスが新たに設立した子会社、株式会社マッキントッシュ・ジャパンに移された。
製品 現行製品:ジャンルスピーカー、コンパクトディスクプレーヤー、アンプ、カーオーディオ。
カーオーディオ事業の輸入権はクラリオンに残っている。
純正システムへの採用 日本国内においては、富士重工業がスバル・レガシィのメーカーオプション扱いでマッキントッシュオーディオを採用していることで知られる。
尚、同車に当該オーディオを装着する場合は、新車発注と同時に行う必要がある (現行車種では14個のスピーカーを取り付けるなど、標準純正オーディオの仕様とは大きく異なることから、後付けで組み付けることができないため)。
日本法人 商号:株式会社マッキントッシュ・ジャパン(英文名 McIntosh Japan Co., Ltd.)
本社:〒210-8569神奈川県川崎市川崎区日進町2番地1
設立年月日:2007年4月1日
株主:株式会社ディーアンドエムホールディングス 100%
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Posted at 2010/09/26 10:34:48 | |
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カーオーディオ | クルマ
2010年09月25日
※以下、自分の知識を深める為、ページから抜粋した内容です。
ジャミロクワイ
出身地:イングランド ロンドン
ジャンル:アシッドジャズ ジャズ・ファンク ポップ・ミュージック ロック
活動期間:1992年~
メンバー
ジェイソン
ケイデリック
マッケンジーソラ
アキンボラロブ
ハリスマット
ジョンソンポール
ターナー
Lorraine
McIntoshHazel
FernandezValerie
Etienne
旧メンバー
トビー
スミス ウォリス
ブキャナン サイモン
カッツ スチュワート
ゼンダー
Gavin
DoddsNick
FyffeNick
Van
GelderDarren
Galea
aka
DJ D-ZireAdrian
RevellHoward
AndersonWinston
Rollins
ジョン・サーケル
Simon
CarterMaurizio
RavalicoDee
Lewis
ジャミロクワイ(Jamiroquai)は、イギリスのバンド。
アシッドジャズの世界では最も成功したグループのひとつ。その初期の音楽活動においてインコグニート、ブラン・ニュー・ヘビーズ、ガリアーノ、コーデュロイ等のロンドンを本拠地とした面々と共に、1990年代始めのアシッドジャズ界を代表するものとなった。
その後のアルバムは、ポップ、ロック、エレクトロニカ等ジャンルを限定しないもので、以前とは違った音楽的方面を模索してきた。
世界中で3500万枚以上の売り上げがある。
略歴:ボーカリストのジェイソン・ケイ(ジェイ・ケイ、Jason Kay)をリーダーとして結成され、1992年にデビュー。
バンド名はアメリカ・インディアンのイロコイ族にちなむ(jam+ Iroquois)。
メンバーの入れ替わりが激しいためジェイ・ケイ1人にスポットが浴びやすいが、決してジェイ・ケイのソロユニットではない。
しかし1stアルバムからのオリジナルメンバーはジェイ・ケイのみである。
1992年、アシッドジャズ・レコーズからリリースされたファーストシングル「いつになったら気づくんだい(When You Gonna Learn)」はロンドンのクラブシーンに強烈なインパクトをもたらし、それによってジャミロクワイは、新人としては異例のアルバム8枚の契約をソニー・ミュージックと結ぶ。
そして1993年にファーストアルバム『ジャミロクワイ(Emergency On Planet Earth)』、続く1994年にはセカンドアルバム『スペース・カウボーイの逆襲(The Return of the Space Cowboy)』をリリースする。
1996年に発売したサードアルバム『トラベリング・ウィズアウト・ムービング~ジャミロクワイと旅に出よう~(Travelling Without Moving)』は全世界で700万枚、日本で140万枚[3]を売り上げ、ジャズ・ファンク系バンドのアルバムとしては最大のヒット作となった。
シングルになった「ヴァーチァル・インサニティ(Virtual Insanity)」は、テレビCMでも流されたプロモーションビデオで、動く床と戯れるように歌うジェイ・ケイの姿が強烈なインパクトを残し、その年のMTV Video Music Awardsで4部門を受賞した。
日本でのメディア露出は1997年頃ソニーのMDイメージキャラクターに起用され、2004年の6月頃からドワンゴのいろメロミックスのCMにジェイ・ケイ自ら所有するフェラーリとともに出演した。
2007年よりカーオーディオメーカー、クラリオンのイメージキャラクターに起用され、ジェイ・ケイが出演するイメージビデオを制作。
映像はそのままCMとして日本の他アメリカでも放送され、2008年も引き続き同社のイメージキャラクターとしてCMに出演した。
2006年にバンド初のベストアルバムを発売。
オリジナルアルバム6作、ライブDVD1作、そしてこのベスト盤1作の計8作でソニーBMGとの契約が満了した。
その後しばらく目立った活動は無かったが、2009年にユニバーサルミュージック傘下のマーキュリー・レーベルと契約を結ぶ。
2010年11月にアルバム『Rock Dust Light Star』を発売する予定である。
ディスコグラフィ スタジオアルバム
1993年ジャミロクワイ Emergency on Planet Earth
1994年スペース・カウボーイの逆襲 The Return of the Space Cowboy
1996年トラベリング・ウィズアウト・ムービング~ジャミロクワイと旅に出よう~ Travelling Without Moving
1999年シンクロナイズド Synkronized
2001年ファンク・オデッセイ A Funk Odyssey
2005年ダイナマイト Dynamite
2006年ハイ・タイムス
シングルズ 1992-2006 High Times: Singles 1992-2006(ベスト盤)
2010年ロック・ダスト・ライト・スター Rock Dust Light Star DVD
2002年ライヴ・イン・ヴェローナ Live In Verona
2006年ハイ・タイムス: シングルズ
1992-2006 High Times: Singles 1992-2006(PV集)
2007年ライヴ・アット・モントルー
2003 Live At Montreux 2003 Blu-ray
2009年ライヴ・アット・モントルー 2003 Live At Montreux 2003
スーパーカー:ジェイ・ケイはインディアン権利問題のほか、環境問題への関心が高く、それらを憂う曲も多いが、その一方でフェラーリやランボルギーニなどの熱烈なスーパーカー・マニアであり、それらの燃費が非常に悪いスーパーカーを何台も所有していることを、しばしば言行の矛盾として批判されることがある。
アルバム「Travelling Without Moving」のジャケットはフェラーリのエンブレムをアレンジしたもので、この時は使用料として十数億円をフェラーリ社に支払ったと報じられた。
またこのアルバムのタイトル曲には、彼の所有するランボルギーニ・ディアブロのエンジン音が挿入されている。
なおジェイ・ケイはドライバーとしての腕も高く、BBCの自動車番組『トップ・ギア』において、有名人が同一コース・同一車種でラップタイムを競う人気企画「Star in a reasonably priced car」で、アマチュアドライバーとしての最高タイム記録を持っていた(第14シーズンまで)。
日本好き:ジェイ・ケイは日本好きとしても知られ、ロンドン市内のソーホーにある、日本人の金融関係者が名付け親の高級カラオケラウンジ「ラッキー・ヴォイス(Lucky Voice)」や、同じビルにある回転寿司店の「Yo! Sushi」の常連である。
来日経験も多く、「ホテルで地震に遭い、ほぼ全裸のまま女性数人とロビーに避難してきた」、「移動の新幹線内でキック・ボードを乗り回し車掌に怒られる」、などの多彩なエピソードがある。
現在は水彩画に目覚めているが、それで商売するほどのことではないという。
また2006年には飛行機を操縦するという願望もあると話していた。
2004年1月、渋谷にオープンしたライブハウス「duo MUSIC EXCHANGE」はジェイ・ケイのプロデュースによるもので、インテリア、音響、照明等の選定から関わっている。
服装:ジェイ・ケイといえばニット帽(特に初期においては母親手作りのもの)にオーバーサイズのフリースまたはアディダスのジャージにアディダスのスニーカーが定番ファッションだったが、世界的ブレイク以降、こうしたファッションは影を潜め、グッチやプラダなどの高級ブランドを身につけることが多くなっており、一部のファンから反感を買っている。
アディダスのスニーカーだけは現在でも愛用している模様。
“Jamiroquai sold over 35 million records”(2008年3月17日). 2010年6月19日閲覧。
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Posted at 2010/09/25 12:42:25 | |
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アーティスト | 音楽/映画/テレビ
2010年09月25日
※以下、自分の知識を深める為、ページから抜粋した内容です。
出生名:レナード・アルバート・クラヴィッツ
出生:1964年5月26日(46歳)
出身地 アメリカ合衆国ニューヨーク州
ジャンル:ロック ハードロック ファンク ポップス
職業:シンガーソングライター、音楽プロデューサー
担当楽器:ボーカル ギター ベース ドラム ハーモニカ キーボード パーカッション シタール
活動期間:1989年~
レーベル:ヴァージン・レコード
著名使用楽器:ギブソン・フライングV ギブソン・レスポール レニー・クラヴィッツ(Lenny Kravitz、1964年5月26日-)はアメリカ合衆国のミュージシャン。
本名レナード・アルバート・クラヴィッツ(Leonard Albert Kravitz)。
来歴:1964年、ニューヨークに生まれる。父親は東欧系ユダヤ人の血を引きNBCテレビのプロデューサー、母親はバハマ出身で、後に女優となるロキシー・ローカー(Roxie Roker) 。
1974年に母親の仕事の都合で一家はロサンゼルスに移住、その後ビバリーヒルズ高校(Beverly Hills High School) に入学する(同級生にはスラッシュやマリア・マッキーがいた)。当時からすでに音楽的才能を発揮していたレニーは、やがてセッションミュージシャンを志すようになり、高校を中退。 高校中退後は、セッションミュージシャンをこなす傍ら、自身のデモテープを制作してレコード会社へ売り込む生活を続けていた。
1985年に女優のリサ・ボネットと出会い、その後1987年に結婚し、1991年に娘(女優のゾーイ・クラヴィッツ)をもうけるが、1993年に離婚している。
1989年にアルバム『レット・ラヴ・ルール』でヴァージン・レコードからデビューを果たす。その後、マドンナとの共作『ジャスティファイ・マイ・ラヴ(Justify My Love)』のプロデュースで注目を集め、1991年に発表した2枚目のアルバム『ママ・セッド』のヒットによってブレイクした。
1992年にはヴァネッサ・パラディのサード・アルバム『ビー・マイ・ベイビー』をプロデュースした。パラディとは交際の噂も立った。
幼い頃から音楽好きの両親の下で、音楽に親しむ生活を送ってきた。少年時代に好きだったミュージシャンは、カーティス・メイフィールド、ジェームス・ブラウン、ジョン・レノン、ジミ・ヘンドリックス、ジャクソン5など。
レコーディングにおいて、全ての楽器を自ら演奏することもあるマルチプレイヤーである。
使用機材:アナログ機材の愛好者である。
ヴィンテージに関してはコレクターといえる質と量の機材を所有しており、ステージでもそれらを使用することがある。
所有ギターはフライングVやレスポールのようなギブソン社製のものが中心。
1960~1970年代の音楽への愛着を強く打ち出していた初期は、楽器、コンソール、テープに至るまで全てアナログ機材を使用してのレコーディングという当時の流行とは逆行するような拘りを見せていたが、アルバムを発表していくに連れ、次第にPro Toolsを中心としたPCでの編集作業にも力を入れ始めた。
現在では豊富なヴィンテージ機材をデジタルで録音し編集する折衷したレコーディング形態へと移行している。
人物:「自分が白人だったら、もっと多くの人に認められているだろう。」と発言したことがある。
2008年4月1日にヴェルヴェット・リヴォルヴァーを脱退したスコット・ウェイランド(ストーン・テンプル・パイロッツのヴォーカル)に替わり、新ヴォーカリストの候補に挙がっていたが、「メンバーとは友好的な関係だが、加入は出来ない」と明確に否定している。
2002年に「LENNY WORLD TOUR」
2008年に「LOVE REVOLUTION JAPAN TOUR」の一環で来日する予定だったが、いずれも体調不良で延期、中止になっている。
映画俳優のデンゼル・ワシントンとは個人的に親交があり、ニューズウィーク誌のインタビューで「お互いに娘がいるからね、親の目を盗んで娘が何をしているかとか、そんな話ばかりしている。まあ、兄貴のような存在だな」と語っている。
オリジナルアルバム
レット・ラヴ・ルール(Let Love Rule,1989年)
ママ・セッド(Mama Said,1991年)
自由への疾走(Are You Gonna Go My Way,1993年)
フジテレビ系列で深夜に放送されていた音楽番組『BEAT UK』では、UKシングルチャートNo.1を獲得
サーカス(Circus,1995年)オリコン最高位1位 5(5,1998年)
レニー(Lenny,2001年)
バプティズム(Baptism,2004年)
ラヴ・レヴォリューション(It Is Time For A Love Revolution,2008年)
ベストアルバム グレイテスト・ヒッツ(Greatest Hits,2000年)
シングル
DVD LENNY LIVE
スラッシュ- ビバリーヒルズ高校時代の同級生。『ママ・セッド』にゲスト参加。
エアロスミス- 『ゲット・ア・グリップ』
収録曲「ライン・アップ」は、スティーヴン・タイラー、ジョー・ペリー、レニーの共作。
ミック・ジャガー- 『ワンダーリング・スピリット』(1993年)
収録曲「ユーズ・ミー」に、レニーがヴォーカルで参加。また、『ゴッデス・イン・ザ・ドアウェイ』(2001年)
収録曲「ゴッド・ゲイヴ・ミー・エヴリシング」はミックとレニーの共作で、レニーは演奏でも参加。 ロキシー・ローカー(Roxie Roker) - アメリカの女優。実母。
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Posted at 2010/09/25 11:02:10 | |
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アーティスト | 音楽/映画/テレビ
2010年09月15日
※以下、自分の知識を深める為、ページから抜粋した内容です。
本名:ダイアナ・ジェーン・クラール(Diana Jean Krall)
1964年11月16日、カナダ生まれの女性ジャズ・ピアニスト、歌手。
1990年代以降に最も成功したジャズ歌手の一人。
ダイアナ・クラールはカナダのナナイモ(ブリティッシュコロンビア州)に住む音楽一家に生まれ、四歳でピアノを習い始める。
幼い頃に家族と一緒にバンクーバーに転居、高校の小さなジャズバンドで活動を始めた。
15歳の時、ナナイモのレストランでピアノ演奏を始める。
17歳になってからはバンクーバー・インターナショナル・ジャズ・フェスティバルの奨学金を得て、ボストンにあるバークリー音楽大学に入学、卒業した。
バークリー音楽学院では、当時同級生に小曽根真がいた。
ナナイモでクラールの演奏を聞き興味を持った著名なベース演奏者、レイ・ブラウンと出会いロサンゼルスに行かないかと誘われる。
それを承諾したクラールはロサンゼルスへと旅立ち、ピアニストのジミー・ロウレスと出会い、歌い始めた。
ロサンゼルスでは、さまざまなミュージシャンからの影響を受けるとともに、プロデューサーとの出会いも経験することになる。
1990年にはニューヨークへ転居している。
2003年12月にイギリス生まれのミュージシャン、エルヴィス・コステロと結婚。
2006年12月には最初の子供(双子の男の子)を出産した。
1993年には、ジョン・クレイトンとジェフ・ハミルトンとともに録音し、初めてのアルバム「ステッピング・アウト(Stepping Out)」を発表。
このアルバムはプロデューサーであるトミー・リピューマに注目され、1995年には、彼のプロデュースでセカンドアルバム「オンリー・トラスト・ユア・ハート(Only Trust Your Heart)」を出した。
サードアルバム「オール・フォー・ユー~ナット・キング・コール・トリオに捧ぐ(All for You: A Dedication to the Nat King Cole Trio)」(1996年発表)
は、グラミー賞にノミネートされ、また70週間もの間、ビルボードのジャズ・チャートに上がっていた。
その後、クラール、ラッセル・マローン(ギター)、クリスチャン・マクブライド(ベース)のトリオで出した「ラブ・シーンズ(Love Scenes)」(1997年発表)も発表と同時にヒットした。
2000年8月にクラールはトニー・ベネットと共に計20都市のジョイントツアーをした。
「ホエン・アイ・ルック・イン・ユア・アイズ(When I Look In Your Eyes)」(1999年)では、ジョニー・マンデルによるオーケストラ・アレンジのバックもあり、再度グラミー賞にノミネートされ、クラールはその年の最優秀ジャズミュージシャンとして表彰された。
「ザ・ルック・オブ・ラブ(The Look of Love)」(2001年)でもバンド・ミックスのコンセプトが続き、プラチナ・ディスクとなりビルボードでも上位10位に達した。
カナダのアルバムチャートでは1位となり、カナダではクワドループル(4倍)プラチナ・ディスクとなった。
このアルバムのタイトル曲は1960年代末に人気を博した映画「カジノ・ロワイヤル」のダスティー・スプリングフィールドとセルジオ・メンデスの作品のカバーで、アダルト・コンテンポラリー・チャートで22位に達した。
2001年9月にクラールはワールドツアーを開始した。
フランス・パリのパリ・オリンピア劇場でのライブは彼女の初めてのライブアルバムとしてリリースされた。
このライブはビルボード・ジャズ部門でトップ20に入り、カナダではトップ5の座を飾った。
これにより彼女は二つ目のグラミー賞(最優秀ジャズボーカル)とジュノー賞を受賞した。
このアルバムはビリー・ジョエルの「素顔のままで(Just the Way You Are)」のカバー(アメリカのスムース・ジャズラジオ局でヒットした)とジョニ・ミッチェルディスコグラフィ LIVE AT THE MONTREAL JAZZ FESTIVAL ライヴ・アット・ザ・モントリオール・ジャズ・フェスティヴァル
Diana Krall Official Site | Verve Music Group(公式サイト)
ダイアナ・クラール(日本語公式サイト @ UNIVERSAL JAZZ)
Diana Krall - Quiet Nights OUT NOW(オーストラリア公式サイト)
DKrall.de(ドイツ公式サイト)
Diana Krall-MySpace

Posted at 2010/09/15 14:58:25 | |
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アーティスト | 音楽/映画/テレビ