今年の2月に初めてカメムシ号を見て以来、約半年振りの再会。
前回は予想外に朽ち果てた姿に衝撃を受け、各部をジックリと観察してこなかったのですが、今回は絶対に確認してこようと決めていたものが1つありました。
それは、カメムシ号が本当に
『キャステル鞍社長が初めて売ったイタ車であるグリーンメタウラッコ』
であるかどうかを確認できるものなのです。
①「私が、始めて乗ったランボルは、当時新車で入ってきた、P250ウラッコだ。たまたまショールームに、飛び込みではいってきた、北里大学のインターンだったお客に、この車を買っていただいた。新車で当時でたしか、800万はしたと思う。私の給料が、大体10万くらいだったから、今で云えば2000万くらいのもんだ。と同時に、この車が、初めて私が売った記念すべき、イタ車、1台目となったのだ。」
②「私が初めて売ったランボルがこのウラッコという話は前にもしましたが、新車のくせに横浜から20キロしか離れていない、相模原のお客のところまで行くあいだにドアーのパワーウインドウが動かなくなり、ヘッドライトも ポップアップがお辞儀を繰り返す、つまりオフにしても片側が閉まらない、そんな車でした。」
③「1975年の3月ごろと記憶している。色はメタリックのグリーン。この車は、前年の1974年にも2,3台ほど入り、あの、石坂浩二さんにも、買っていただいた。」
とHPなどで紹介されているように、
「①北里大学のインターン」「②相模原在住」

そして
「③色はメタリックグリーン」
これだけ条件の合致があれば、鞍社長が初めて売ったウラッコに間違いないとは思いますが、何分決め手がステッカーだけなので、もう一つ決定付ける決め手が欲しい・・・
そんな中、キース号でキャステルに行った際、初めて「グリーンメタウラッコ復活プロジェクト」を鞍社長にブチ明けたら、当時のことを懐かしみながら、こんなエピソードを教えて下さいました。
「あのウラッコを買ってくれた、当時北里大学のインターンだった青年は、滋賀の大病院の御曹司だったので、実家のある滋賀の陸運局までわざわざ持っていって登録したんだよなぁ~」
「エンジンルームのどこかに滋賀の陸運局の職権打刻が入っているハズだよ。」
ということで、恐る恐るカラッポのエンジンルームの中を覗いてみると・・・
ありました!滋賀陸運局の刻印!!ヽ(´▽`)/
滋賀の「賀」の貝へんを取った「加」!
これこそが、カメムシ号が「鞍社長が初めて売ったウラッコ」である証しなのです。
余談ですが、この北里大学のインターンだった青年は、このウラッコ下取に出して次にメラクを買ったそうです。
さらに、そのメラクの次には、な・な・なんとカムシンを買ったんですと!!\(◎o◎)/
ウラッコにハイドロマセ・・・
何か深い縁を感じますね~(^^;)
カメムシ号が完成したあかつきには、鞍社長と初代オーナーと私の3人でグリーンメタウラッコを囲んで対談でも出来ればと思っています。
エフロードの古Q編集長、この企画いかがですか?(笑) つずく
Posted at 2010/09/25 19:29:11 | |
トラックバック(0) |
グリーンメタウラッコ復活への道 | 日記