
ついに決断しました。名残惜しいですが、今の車は廃車とします。
車を見てきましたが、ボディは極めて綺麗で、
フロントバンパー、ラジエター及び前後の足回りがやられていました。
ココまで綺麗にボディが残ってるとやっぱり直したい・・・と感じるところもありましたが
修理のコストと先々のことを考え、このまま眠らせてあげることにしました。
私もずっと福島にいる訳ではないし、名古屋に戻ったらOHさんのサービスを受けることも出来ませんから・・。
学生時代、車なんか乗れればいいと思っていた。
スポ車に乗りたがる友人を鼻で笑っていた。
気付けば自分がロドオーナー。初めて買った自分の車。
初めてのオープン。世界が違って見えた。
仕事で悩み、鬱寸前まで行った時、その存在は大きかった。
愛知で初めて同じく車を持つ同志とMTGをした。
この車に乗る人には悪い人はいないなと感じた。
福島に行くことが決まった。
最初に確認したことはロドのクラブの有無。すぐalwaysが見つかった。
吾亦紅氏にコンタクトを取った。暖かい返事だった。
家具は現地調達するつもりだった。
カラーボックスや姿見がトランクに入らなかった。
幌を開けて助手席に乗せた。皆の視線が痛かった。
引越ししてすぐ、車検の時期が来た。
どこで受けるか迷っているとき、OHさんを紹介された。
ディーラーではNGの部分を修正して引き受けてくれた。有難かった。
初めてのTRG。予想外のスピードレンジだった。
当時、回転合わせすら出来ない有様だった。
それを機に普段の運転からヒール&トゥーを意識するようになった。
上手く繋がると最高に楽しかった。
駄目だ・・・涙で霞んで画面が見えなくなってきた
事故当初、試験に追われていて精神的余裕がなかったせいか、
意外にもすぐショックからは脱した。悲しみよりも事後処理だとか
通勤はどうすればいいのかとか、現実的な事が頭を駆け巡っていた。
今思えば、悲しんでいる暇もなかったんだと思う。
身体は無事だったんだから不幸中の幸いだったんだと。
もし駄目なら買い換えればいいじゃないかと自分に言い聞かせてきた。
でも・・・いざ廃車を決めて、思い出を振り返って文にすると、涙が止まらない。
事故を起こしてから一週間以上経った今日、この文を書きながら初めて泣いた。
社会人になり、友人との付き合いも薄れ、ネットでの付き合いが多くなった。
この4年間において、私の最大の友人は間違いなくこいつだった。
未熟だった。迂闊だった。申し訳なくて仕方ない。本当にごめんなさい。
自分好みに変わっていくのが嬉しかった。楽しかった。
いくら感謝してもしきれない。楽しい思い出をありがとう。
次の相棒には遺品を何点か移植する予定。
魂は確実に引き継ぎます。
どうか安らかに眠ってください・・。
Posted at 2012/03/21 19:50:23 | |
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