国営越後丘陵公園 クラシックカー展 2017.10.1 その8
投稿日 : 2017年10月15日
1
昭和40年式の日野・コンテッサ1300クーペです!
日野自動車最後の乗用車で、この車をデザインしたジョバンニ・ミケロッティのイニシャルのエンブレムが、Cピラーに付けられています!
車名のコンテッサとは、フランス語で「伯爵夫人」を意味します!
昭和41年にトヨタ自動車と業務提携を結び、翌年にはトヨタ製乗用車との競合回避の為、乗用車の自社生産を終了しました。
2
昭和63年式のいすゞ・ピアッツァ・XE-Tです!
117クーペの後継車としてデビューし、イルムシャーやハンドリング・バイ・ロータスなどの限定車を発売していました!
いすゞの乗用車では珍しく、ディーゼルエンジンを搭載していないモデルで、車名のピアッツァとはイタリア語で「広場」を意味する言葉で、1980年代の車社会において広場のような価値観の車であることを願って命名されているそうです!
3
昭和45年式のいすゞ・ベレット1600GT-Rです!
国産車初のディスクブレーキや四輪独立懸架、ステアリングギアボックスにラック&ピニオンを採用をした車で、「和製アルファ・ロメオ」と称されています。
GT-Rと称されますが、正式にはGT-typeRで、昭和48年に生産が終了するまでに1400台程が生産されました!
4
昭和50年式のいすゞ・117クーペです!
美しい日本車とあげられるこの車は、ジョルジェット・ジウジアーロのデザインをほぼそのまま採用したため、生産当初は極端に細いピラーなど、当時の自動車製造技術では手作業でしか生産できない難しさがあり、月産50台しか作れなかったのです!
車名の117は、開発コード番号の117がそのまま車名になった車としても知られています!
生産中止されてから、10年もの間、廃車が一台も出なかったという逸話も残されています!
写真の117は、昭和47年のマイナーチェンジで登場した後期型です。
5
昭和54年式のいすゞ・エルフ・ルートバン・150です!
昭和50年~59年まで生産された3代目で、ただしルートバンは、平成2年まで継続生産されていたエルフでした!
当時のCMで、俳優の故・渥美清を起用したことにより、前期型は「寅さんエルフ」と呼ばれています。
6
昭和47年式のマツダ・コスモスポーツ(L10B)です!
想像を絶する苦難の末、世界初の実用・量産に成功したロータリーエンジンを搭載したクルマで、当時の販売価格が148万円でした。
同時期の趣味性の高い車種で比較すると、いすゞ・117クーペの172万円ほどではないが、ダットサン・フェアレディ2000の88万円、日産プリンス・スカイライン2000GT-Bの94万円と比べるとはるかに高価であったことがうかがい知れます。
写真のコスモは最終型で、ラジエーターエアインテークの拡大、ブレーキ冷却口の新設、ホイールベース・トレッドの拡大、トランスミッションの5速化、前後ブレーキへのハイドロマスター(倍力装置)が装着された。ラジアルタイヤ標準化(155HR15)、ポートタイミングの変更にともなう吸入効率向上によるパワーアップ(110 PS /13.3 kgf·m → 128 PS /14.2 kgf·m)等を施されました。この結果、最高速は185 km/h → 200 km/h、0-400 m 加速も16.3秒 → 15.8秒となったのです!
7
昭和35年式のマツダ・R360クーペです!
この車をきっかけに、マツダ(当時は東洋工業)は軽自動車市場に参入し、破格の30万円で発売されており、発売当初は非常に高い人気を得たが、完全な4座であるスバル360の対抗馬としては、実質2人乗りのR360クーペは不利であった点が多くありました!
サスペンションはトーションラバースプリングに筒型両効きオイルダンパーを併用した4輪独立懸架で、良好な乗り心地を得ており、4速の「ギアミッション」の他、トルクコンバータと2段のプラネタリギアを組み合わせた「トルクドライブ」もチョイスできました。
8
昭和46年式のトヨタ・セリカ・1600GTVです!
カリーナのシャーシとエンジンをベースに誕生したのがこの車で、スペシャリティカーの先駆けともいえる車で、オーナーの好みに合わせてエンジンや内装を選べる「フルチョイスシステム」を採用して、話題になりました!
車名のセリカとは「天上の、空の、神々しい」という意味のスペイン語からきています。 GTVのVは「Victory」=勝利を意味し、モータースポーツ用ベース車としてサスペンションを強化したモデルでした。
全体の丸みを帯びたスタイルから、「だるまセリカ」の愛称で親しまれました。
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