
8月19日度曜日
北海道旅行最終日。
この日も4時半に起床。
外はあいにくの曇り空だったけど、日が昇る方角に少し青空が観えてました。
日の出間近だったので急いで着替えて息子と外へ。
行先はもちろんオロンコ岩♪
前日の2.5往復でかなり膝に来てたけど登らない訳にはいきません。
頂上から見渡すオホーツク海の景色、気になって仕方ありませんでしたから♪...(^^)
早速、斜め45度の階段を登り中腹まで来ると更に急勾配な階段...(^^;)

めちゃくちゃキツイ。
コレ毎朝続けたらマジで足腰鍛えられると思う。
頂上に到着。
そしてナイスなタイミング!!

知床半島の硫黄山の方角からちょうど雲が切れて朝日が昇るところでした♪
撮影後、朝日はあっという間に雲の上に昇り観えなくなってしまいました。
前夜、真っ暗で海岸線の灯りしか観えなかった景色。

天の川を撮影したのとほぼ同じアングル。
手前にはJEさんと再会した道の駅「うとろ・シリエトク」が観えました。
オホーツク海を眺め心癒されたところでオロンコ岩を降りて...
裏側にまわってみる事にしました。
トンネルを潜ると裏側の断崖にはかもめが群がってました。

前夜、道理でかもめの声がうるさかったわけです。
宿に戻って温泉に入り、朝食

最終日の朝は少し控えめ...と言っても自宅で迎える朝よりも食べてる...w
8時半にホテルを出発。
女性陣はオロンコ岩に登りたいって言ったけど却下です。
遅起きは三文以上の損をします...w
最終日、予定通りに旅を進めないと飛行機行っちゃいますからね。
予定通り知床五湖へ...
僕らが選んだルートは地上遊歩道(緑のルート)

所要時間は一時間半くらい。
フィールドハウスで10分ほどレクチャーを受けたあと入口へ...
嫁と結婚したばかりでまだ子供達が生まれる前。
入口入ってすぐのところ...確かこの辺で前を歩いていたガイドさんらしき人が「熊が出たので戻ってくださ~い!!」って言われて、全く散策出来なかった...(>_<)
こんな所で突然熊と遭遇したらマジ怖い。

ある日♪ 森の中♪ くまさんに出逢った♪
なんて陽気ではいられんですよ。
熊を警戒させるため、時々パチパチと手を叩きながら五湖、四湖へ...
途中、こんな木を見付けました。
中を見ると覗きたくなる性分...w
こんな感じでした♪
三湖
晴れていれば湖の向こうに知床連山が観えたはず。
二湖と一湖
熊と遭遇する事なく無事帰還。

高架木道の途中にはこんな話が書かれてました。
「ソーセージの悲しい最後 ~餌やりが熊を殺す~」
以下全文
「コードネーム97B-5、またの名はソーセージ。
初めてであったのは1997年秋、彼女は母親からはなれ独立したばかりだった。
翌年の夏、彼女はたくさんの車が行き交う国立公園入口近くに姿を現すようになった。その後すぐ、とんでもない知らせが飛び込んできた。観光客が彼女にソーセージを投げ与えていたというのだ。
それからの彼女は同じクマとは思えないほどすっかり変わってしまった。
人や車は警戒する対象から、食べ物を連想させる対象に変わり、彼女はしつこく道路沿いに姿を見せるようになった。そのたびに見物の車列ができ、彼女はますます人に慣れていった。
我々はこれがとても危険な兆候だと感じていた。
かつて北米の国立公園では餌付けられたクマが悲惨な人身事故を 起こしてきた歴史があることを知っていたからだ。我々は彼女を必死に追い続け、厳しくお仕置きした。
人に近づくなと学習させようとしたのだ。しかし彼女はのんびりと歩き続けた。
翌春、ついに彼女は市街地にまで入り込むようになった。
呑気に歩き回るばかりだが、人にぱったり出会ったら何が起こるかわからない。そしてある朝、彼女は小学校のそばでシカの死体を食べ始めた。
もはや決断の時だった。子供たちの通学が始まる前にすべてを終わらせなければならない。私は近づきながら弾丸を装填した。
スコープの中の彼女は、一瞬、あっというような表情を見せた。
そして叩きつける激しい発射音。
ライフル弾の恐ろしい力。
彼女はもう動くことは出来なかった。瞳の輝きはみるみるうちに失われていった。
彼女は知床の森に生まれ、またその土に戻っていくはずだった。
それはたった一本のソーセージで狂いはじめた。何気ない気持ちの餌やりだったかもしれない。
けれどもそれが多くの人を危険に陥れ、失われなくてもよかった命を奪うことになることを、よく考えて欲しい。」
以上
人間の身勝手な行為がヒグマを命を奪った話。
そういえば、日光いろは坂の猿も餌やりが原因で凶暴化したって聞いた事がある。
野生動物への餌やりは絶対やめましょう!
知床五湖をあとにして、オシンコシンの滝へ...
途中、野生の雌鹿と子鹿を発見。
その先には牡鹿

近付いても全くこちらを気にせず、むしゃむしゃお食事してました。
JEさんも遭遇した鹿っぽい...(^^)
オシンコシンの滝
駐車場に車を止めて滝へ歩いて行く途中、僕の背中をパチンッと叩く嫁。
痛っ!? えっ!? おれ何も悪い事してないのに...
...って思いながら、嫁が指差す方向を観ると石田純一さん親子がおられました。
周りを見渡しましたが、理子夫人は見当たりませんでした。
純一さん、いいパパしてました。
そういえば一つ確認する事を忘れた...裸足で靴履いてたか...w
暫く海岸線沿いを走り、釧網本線の駅「浜小清水」で少し休憩。
この近くにあるフレトイ展望台に昇る事に...
さっきまで曇っていた空が青空に変ってました♪
子供達においてかれる親二人...(汗
既に子供達は展望台の下でオホーツク海を眺めてました。
めっちゃ気持ちいい~♪
オホーツク海の冷たい風が心地よかったです...v(≧∇≦)v
このアングル、偶然にもJEさんのブログと同じ!!

JEさんのブログを拝見した時、そこが何処なのか直ぐにわかりました!...v(≧∇≦)v
どうやら、僕ら家族はJEさんの軌跡を辿っていたみたいです...w
左手に濤沸湖を観ながら先へ進み「原生花園駅」へ

小さな駅舎が可愛い♪
細くて狭いホームがまた画になる。
最終日も終盤
海岸線を離れて内陸へ
予定していた「オホーツク流氷館」、「網走監獄」
時間的に両方回るのはきつかったので家族会議。
迷う事無く満場一致で「網走監獄」に決定しました...w

明治中期に開設。
冬季は極寒となるため開拓が思う様に進まなかった土地。
網走監獄が開設された事で囚人達の労働力によって開拓が進んだと言っても過言ではありません。
明治24年、僅か一年で囚人たちの手によって網走から北見までの160kmを開通させたが過酷な重労働により200人以上の死者を出しました。
五翼放射状平屋舎房

この建物、昭和59年まで使用されてたって事には驚きでした。
この建物で起きた事件といえば、白鳥由栄(しらとり よしえ)の脱獄。
各所収容所で脱獄を繰り返し「昭和の脱獄王」とまで呼ばれた元受刑者。
配給された味噌汁を鉄格子に吹きかけて塩分で腐食させて外し、肩を脱臼させて脱獄した話は有名。
人形で脱獄を再現してました。

今年4月に放映された「破獄」が観たくなってしまった。
そして最後の観光目的地。
能取湖のサンゴ草群落。

まだ時期が早いため、深紅に染まったサンゴ草は観られなかったけど、壮大な景色で締めくくれました。
夕食にはまだ早い時間だったけど、新鮮な海の幸を堪能してなかった事に気付き、再び海岸線へ...
海鮮料理屋を探したけど何処も「本日の営業は終了しました」の貼り紙。
迂闊でした...(>_<)
漁港近くのお店で、新鮮な海の幸を冷凍保存するわけありません。
口の中でとろっと、とろけるお刺身が食べたかった...(>_<)
結局、空港で夕食を取る事に...
その前にガソリン満タン、エクストレイル君を無事に返して...
4日間の旅楽しかったです♪
ありがとう!! そしてお疲れ様...(^^)
この日の走行軌跡とレポート。
そして4日間の走行軌跡

総走行距離862.18km
広大な北海道を改めて感じる旅になりました。
女満別空港に着いて夕食。

捕れたて新鮮とはいかなかったけど海鮮丼に有り付けました。
関東で食べる海鮮丼より美味しかったです。
お腹も満足したところで搭乗手続き。
帰りはみんなキンコン鳴らさず無事通過...w
あとは搭乗を待つのみでした。
ところが、旅のエピソードはまだ続く...w
この日の関東、特に羽田空港周辺は豪雨で飛行機が離着陸できない状態。
そのせいで女満別行きの飛行機が飛べず一時間以上の遅れ。
出発時刻20時15分のはずが、21時半くらいになるって話でした。
この時点で終電に間に合わない事が確定...(>_<)
電車で帰れてのは京浜東北線で大宮駅まで。
そこからタクシーで自宅へ...
結局、着いたのは午前2時前でした。
最後はクタクタだったけど、思い出深い北海道旅行になりました♪