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k-iロードのブログ一覧

2023年03月19日 イイね!

10years

10years2023年3月19日 お彼岸
お袋の墓参りに行ってきた。
無事、娘も大学進学が決まり報告してきた。
多分お袋も喜んでるでしょう。
子供たちが小さい頃、可愛がってくれてたし。
でもお袋は、小学生までの子供達しか知らないんだよね。
息子は昨年成人式を迎え、娘は17歳になったばかり。
今の子供たちに会わせてあげたいものだ。
変わらぬは俺だけ...まぁ、歳はとったけど。



お袋が生きていたら...この10年どんな違った生活を送っていたのかな?
なんて時々考える事がある。
でも、考えて何かが変わるわけではない。

お袋が亡くなったばかりは孤独感に襲われる日々だったけど
この10年悲しく辛い事だけじゃなかった。
再会があり、新たな出会いがあり、それなりに楽しい生活は送ってきた。
そんな出会いに感謝。

あれから10年も
この先10年も
振り向かない
急がない
立ち止まらない

君だけを僕だけを
愛したときを
今も誇りに想うよ
ずっと誇りに想うよ

by Misato Watanabe
Posted at 2023/03/19 22:14:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 両親 | 日記
2020年10月03日 イイね!

話したい事

話したい事お袋が亡くなって8年。
昨日、命日だったので仕事を終えて実家に泊まりました。
仕事終えて、時々親父の所に泊まってるんだけど、食事の時は自然とお袋の話になる。
今になっても僕が知らなかった事が話の中で出てくる。
逆に僕が話すと親父が知らなかった事もあったりする。
そしてお袋はこの8年の事を知らないんだよね。
3人で昔の事を話すことはもう出来ないけど...
でも、親父と話してるとお袋もそばで聞いてる気がする。
話したい事はいっぱいある。


息子がお袋と同じ進学高校に合格して、今では某私大の1年生になった事。
娘も今年、私立の進学高校に入学した事。
そして自分の事...

今日、親父とお袋の所に行って来ました。
お墓には、お彼岸の時の花と違う、小さな向日葵がお袋と兄さん達に供えてあった。
毎年、こうして誰かが命日にお墓参りに来てくれている。
親父の中では、誰が来てくれてるか大体わかってるみたいで、中学時代から仲が良かった友人二人じゃないかって...
「今でもこうやってお墓に来てくれるんだから、お母さんも幸せ者だよなぁ」って、親父が言ってました。

最後は心の病気に勝てなかったけど...
向日葵のように明るくて、周りの人も明るくしてくれる人でした。
またいつか家族3人で話せる時が来るよね。
Posted at 2020/10/03 18:59:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | 両親 | 日記
2015年10月02日 イイね!

ずっと心の中に

ずっと心の中に10月2日。お袋の命日。
お袋が亡くなって早3年。
昨晩はお袋の話をしながら親父と過ごそうと思い、実家に泊まりました。
想い出すと楽しくおしゃべりしているお袋ばかりが浮かんできます。
ほんとに明るい性格だったんだなぁ~って...
お袋が元気だった頃、仕事の帰りに寄っては自宅に帰るのも忘れて話してた事を思い出します。

亡くなった日の事を想い出すと今でも胸が締め付けられるけど、この一年でお袋の夢を観たり、想い出したりする日はだいぶ減りました。
当時、二度と立てぬ痛手と感じていた心も、今ではその現実を受け入れて生活を送る事が出来る様になりました。
何度も心が崩れ落ちそうになったけど、みん友のまさきさん、ROYさんからは線通信で励ましのお言葉を頂き、立ち直る事が出来ました。お二人に感謝です...m(_ _)m

これからも毎年この日が訪れお袋を想い出すけれど、懐かし気持ちにはなっても、悲しい気持ちになる事はもうないでしょう...(^^)
毎年この日、お袋の事を書いてきたけど、今回で最後にする良い節目かもしれません。
これからは、お袋との楽しい思い出だけが、ずっと心の中に残っていくと思います。

子供達が成人を迎える姿を見せてあげられなかった事は悔やまれるけど、毎年、お盆とお彼岸には子供らを連れてお墓に挨拶に行きたいと思います。
Posted at 2015/10/02 22:38:51 | コメント(4) | トラックバック(0) | 両親 | 日記
2014年10月02日 イイね!

親父とお袋の物語

親父とお袋の物語10月2日
お袋の命日。
お袋が亡くなり2年が経ちました。
今日墓参りを終えて、なんとなく親父が話し始めたお袋の話。
ブログ休止中だったけど、これだけは書き残したい。


親父とお袋の事、良くわかってたつもりだけど、自分が生まれる前の事...
二人がどんな風に出会って、どんな新婚生活を過ごしてきたかなんて断片的にしか聞いた事なかった。
両親がどんな思いで自分を産んだのか...
自分は何故生まれて来れたのか、ホントの理由を知った気がする。

親父は昭和19年11月24日、次男として生まれた。
物心がつく前に母親は亡くなり、その後、父親は再婚した為3人の弟妹ができた。
子供の頃は、皆で近所の小川や田んぼで泥んこになって元気に遊ぶ子だったらしい。
勉強が苦手な親父は義務教育を終えて直ぐにサラリーマンになった。

お袋は昭和19年11月26日、4人の兄弟姉妹の次女として生まれた。
兄姉からは可愛がられ、弟を可愛がる優しい子だったらしい。
義務教育を終えると同時に、お袋は子供ができない叔母夫婦の家に養子になった。
生前お袋から聞いた話だけど、本人としては「なんで? 私なの?」って感じだったらしい。
親父曰く、叔母に気に入られていたって話らしいど...
叔母夫婦には進学高校に通わせてもらい、卒業後は習いたがっていた和裁学校にも通わせてもらったらしく、実父母と暮らせないこと以外不満は無かったのかもしれない。

俺が小学生の時、見せてもらった二人の新婚旅行のアルバム貼られた航空券には、今とは違う姓で『増田』と書かれていた。
当時、『なんで今と苗字が違うの?』ってお袋に聞いた事を良く覚えている。
そんな俺にお袋は『あなたがもっと大きくなったら教えてあげる』と言っていた。
何故、お袋がその時話さなかったのか...
何故、今は親父の姓を名乗っているのかは高校に入ってから解った様な気がする。

昭和44年秋の話、親父は24歳、従兄弟の知り合いに建築板金職人の娘でいい子がいると話を持ちかけられ、お見合いをする事になった。その子が俺のお袋だった。
お袋からはよくデートをした話を聞いた事がある。
やがて結婚話になったのだけれど、養父母から板金職人になって婿に入ってほしいと言われた親父は、サラリーマンのままでいたい事を話したらしい。
そして、そんな親父の意思を養父母は受け入れ、翌年の1月25日に結婚、親父は婿養子になった。

でも、ここから辛い生活が始まった。
親父の意思を受け入れたはずの養父母は、職人への転職を執拗にせがみ始め、断り続けた親父への嫌がらせが始まり、給料は全額取り上げられ、夜勤で疲れている親父に、夏の昼間、トタン屋根のコールタール塗りを強要するなど大変だったらしい。
そんな親父にお袋は、養父母に見つからない様に冷たいお茶を持って来てくれた話を聞いた時にはには涙が溢れた...(泣

それでも夏の終わり、親父の心身はもう限界だった。
夜逃げする事を決意し、離婚も覚悟した親父は、その事をお袋に話した。
それを聞いたお袋は、自分も一緒に家を出ると言ってくれたらしい。
(親父、いい嫁を貰ったな...w)
そしてその翌晩10時頃、養父母が寝静まった事を確認して、風呂敷に服と下着だけを包み、二ケツでスーパーカブに跨って夜逃げした。
伯父に2日程かくまってもらい、その後大家をしていた知り合いに世話になり、アパートに住み始めた。ある意味、ここからが親父とお袋のホントの新婚生活だったのかもしれない。

やがてお袋は妊娠、親父に話すと顔が引きつっていてらしい。
お袋曰く、厄介な事ではなく、親父としての責任を凄く感じていたらしい。
真面目な親父の性格から、わかる様な気がする。
でも、二人の望みは空しく二度の流産を繰り返し、なかなか子供が出来なかった。
その後医師の指導があって、とりあえず一年間体を休め3度目の妊娠...
それでもやはり流産の心配があり、紹介状を書いてもらい岩槻の丸山病院に入院。
親父は夜勤で疲れているにも拘わらず、小一時間かかるアパートと病院を毎日のように往復していたらしい。

そして親父とお袋の願いが叶い、昭和48年3月8日、俺が生まれた。
その後、第二子を授かる事は出来なかった。
世間から『一人っ子 = わがまま』と見られる事を嫌ったお袋のしつけは厳しかった。
二人の波乱万丈な半生を聞かされると、俺って何の苦労もせずにここまで来ちゃったなって感じます。
でも、それって親父とお袋のおかげなんだよね。
改めて、両親に感謝してます。

2年前の今日、お袋は自分で命を絶ってしまった。
原因は寂しい思いをさせてしまった〝一人っ子の俺″にあったのかもしれない。
あの日の事を思い出すと凄く辛いけど、過去に戻って止める事はできません。

一か月前のブログで『逝ってしまいたい』なんて書いてしまったけれど、今は前を向いて生きて行かなきゃって思えます。

このブログを書き始めた時、また休止に戻るつもりだったけれど、このブログを書き終えて今は違う気分です。
ご愛読頂いていたみん友さん、ファンの方、ご心配をお掛けしました。
また、ブログを書き始めたいと思ってます。
これからも、宜しくお願い致しますm(_ _)m
Posted at 2014/10/02 23:28:57 | コメント(5) | トラックバック(0) | 両親 | 日記
2014年04月19日 イイね!

母と愛犬ロンの物語

母と愛犬ロンの物語早いもので、お袋が亡くなって一年半が経ちます。
一日に一度は、お袋の事を思い出してたけど、今年になって不思議と思い出す事は少なくなりました。
当時の事を思い出すと胸が締めつけられるけど...お袋が亡くなった後、楽しい事が無かったわけではないし、自分の人生、これからも前を向いて進まなきゃって思う...そして時々こうやって、お袋の事を思い出したいと思う。

先日も少し触れたけど、
浜田省吾さんの「君に捧げるlove song」PVに出てくる女性と愛犬がよりそい夕焼けを眺めてるスケッチ画像。
コレを観るとお袋と愛犬ロンの事を思い出します。
僕が結婚する前、親父が近所から生後数ヶ月の白い子犬を頂いてきました。
嫁ともよく渡良瀬遊水地まで行き散歩しました。
親父は、しつけの為に厳しく育てたところもあったけど、庭いじりをしている親父の後をうろちょろとついて回っていた事を思い出します。

ロンと命名したのはお袋で良く可愛がっていました。
暖かい昼下がり、この場所で日向ぼっこをしながらロンと遊んでました。
alt
この画像は当時息子が0歳。ロンも若かった。

時々、お袋は親父の目を盗んで、家の中に上がらせてた事もありました。
お袋が亡くなった後、親父がふと 「お母さんよくこの部屋にロンを上げて遊んでたなぁ」 って言われた時は驚きました。
親父はその事を知っていた。そんな親父に優しさを感じました。

こうやって13年間可愛がられてきた訳だけど、ロンも老犬となり、2012年の夏、背骨に肉腫が見つかり手術。お袋からは助からないかもって聞かされてました。
それでも、お袋は諦めず再手術をお願いしたおかげで、ロンは元気になり散歩にも喜んで出かける様になりました。(この頃お袋も元気だった...)

だけどその約2ヵ月後の10月2日火曜日お袋は突然亡くなってしまった。
ロンが元気になったのに何故? 
僕も親父も、そしてロンも食事が喉を通らない日が続いた。

そんな日が約一ヵ月続き、10月29日月曜日、ロンが行方不明になったって親父から聞かされた。。
一週間、一ヵ月、結局一年経っても帰って来なかった。
おそらく、家に帰らないお袋を探しに行ったのだと思う。

でも、実はこんな結末になる事を予感してしまいそうな出来事があったんです。
嫁もずっとその事を気にしていた様ですが、お互い口にしたのはその年の暮れでした。

お袋が亡くなった時、子供達はお袋宛の手紙を書いて棺に入れました。
息子の書いた手紙にはこう書かれてました。
『おばあちゃんへ、いままで僕と遊んでくれてありがとう』
『天国に行っても寂しくない様にロンの写真を入れておくね』

ロンは寂しがるお袋のもとへ行ったのか...
決して息子のせいではないけど、偶然とは思えなかった。
もし、そうだとしてもそれは二人にとって幸せな事だと受け入れたい。

お袋とロン、もしかするとこんな風によりそって僕らの事を見守ってくれてるかもしれません。
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Posted at 2014/04/19 12:36:54 | コメント(4) | トラックバック(0) | 両親 | 日記

プロフィール

「お風呂上がって準備を出来たら名古屋へ向けて出発です!!」
何シテル?   04/17 19:36
1995年 セレスAE101(TOYOTA)56,000km 2000年 ウイングロードWFY11(NISSAN)101,200km 2008年 ウィッシュ...
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「紫陽花のうた」の物語を考察してみた 
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