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2014年10月02日 イイね!

親父とお袋の物語

親父とお袋の物語10月2日
お袋の命日。
お袋が亡くなり2年が経ちました。
今日墓参りを終えて、なんとなく親父が話し始めたお袋の話。
ブログ休止中だったけど、これだけは書き残したい。


親父とお袋の事、良くわかってたつもりだけど、自分が生まれる前の事...
二人がどんな風に出会って、どんな新婚生活を過ごしてきたかなんて断片的にしか聞いた事なかった。
両親がどんな思いで自分を産んだのか...
自分は何故生まれて来れたのか、ホントの理由を知った気がする。

親父は昭和19年11月24日、次男として生まれた。
物心がつく前に母親は亡くなり、その後、父親は再婚した為3人の弟妹ができた。
子供の頃は、皆で近所の小川や田んぼで泥んこになって元気に遊ぶ子だったらしい。
勉強が苦手な親父は義務教育を終えて直ぐにサラリーマンになった。

お袋は昭和19年11月26日、4人の兄弟姉妹の次女として生まれた。
兄姉からは可愛がられ、弟を可愛がる優しい子だったらしい。
義務教育を終えると同時に、お袋は子供ができない叔母夫婦の家に養子になった。
生前お袋から聞いた話だけど、本人としては「なんで? 私なの?」って感じだったらしい。
親父曰く、叔母に気に入られていたって話らしいど...
叔母夫婦には進学高校に通わせてもらい、卒業後は習いたがっていた和裁学校にも通わせてもらったらしく、実父母と暮らせないこと以外不満は無かったのかもしれない。

俺が小学生の時、見せてもらった二人の新婚旅行のアルバム貼られた航空券には、今とは違う姓で『増田』と書かれていた。
当時、『なんで今と苗字が違うの?』ってお袋に聞いた事を良く覚えている。
そんな俺にお袋は『あなたがもっと大きくなったら教えてあげる』と言っていた。
何故、お袋がその時話さなかったのか...
何故、今は親父の姓を名乗っているのかは高校に入ってから解った様な気がする。

昭和44年秋の話、親父は24歳、従兄弟の知り合いに建築板金職人の娘でいい子がいると話を持ちかけられ、お見合いをする事になった。その子が俺のお袋だった。
お袋からはよくデートをした話を聞いた事がある。
やがて結婚話になったのだけれど、養父母から板金職人になって婿に入ってほしいと言われた親父は、サラリーマンのままでいたい事を話したらしい。
そして、そんな親父の意思を養父母は受け入れ、翌年の1月25日に結婚、親父は婿養子になった。

でも、ここから辛い生活が始まった。
親父の意思を受け入れたはずの養父母は、職人への転職を執拗にせがみ始め、断り続けた親父への嫌がらせが始まり、給料は全額取り上げられ、夜勤で疲れている親父に、夏の昼間、トタン屋根のコールタール塗りを強要するなど大変だったらしい。
そんな親父にお袋は、養父母に見つからない様に冷たいお茶を持って来てくれた話を聞いた時にはには涙が溢れた...(泣

それでも夏の終わり、親父の心身はもう限界だった。
夜逃げする事を決意し、離婚も覚悟した親父は、その事をお袋に話した。
それを聞いたお袋は、自分も一緒に家を出ると言ってくれたらしい。
(親父、いい嫁を貰ったな...w)
そしてその翌晩10時頃、養父母が寝静まった事を確認して、風呂敷に服と下着だけを包み、二ケツでスーパーカブに跨って夜逃げした。
伯父に2日程かくまってもらい、その後大家をしていた知り合いに世話になり、アパートに住み始めた。ある意味、ここからが親父とお袋のホントの新婚生活だったのかもしれない。

やがてお袋は妊娠、親父に話すと顔が引きつっていてらしい。
お袋曰く、厄介な事ではなく、親父としての責任を凄く感じていたらしい。
真面目な親父の性格から、わかる様な気がする。
でも、二人の望みは空しく二度の流産を繰り返し、なかなか子供が出来なかった。
その後医師の指導があって、とりあえず一年間体を休め3度目の妊娠...
それでもやはり流産の心配があり、紹介状を書いてもらい岩槻の丸山病院に入院。
親父は夜勤で疲れているにも拘わらず、小一時間かかるアパートと病院を毎日のように往復していたらしい。

そして親父とお袋の願いが叶い、昭和48年3月8日、俺が生まれた。
その後、第二子を授かる事は出来なかった。
世間から『一人っ子 = わがまま』と見られる事を嫌ったお袋のしつけは厳しかった。
二人の波乱万丈な半生を聞かされると、俺って何の苦労もせずにここまで来ちゃったなって感じます。
でも、それって親父とお袋のおかげなんだよね。
改めて、両親に感謝してます。

2年前の今日、お袋は自分で命を絶ってしまった。
原因は寂しい思いをさせてしまった〝一人っ子の俺″にあったのかもしれない。
あの日の事を思い出すと凄く辛いけど、過去に戻って止める事はできません。

一か月前のブログで『逝ってしまいたい』なんて書いてしまったけれど、今は前を向いて生きて行かなきゃって思えます。

このブログを書き始めた時、また休止に戻るつもりだったけれど、このブログを書き終えて今は違う気分です。
ご愛読頂いていたみん友さん、ファンの方、ご心配をお掛けしました。
また、ブログを書き始めたいと思ってます。
これからも、宜しくお願い致しますm(_ _)m
Posted at 2014/10/02 23:28:57 | コメント(5) | トラックバック(0) | 両親 | 日記

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「お風呂上がって準備を出来たら名古屋へ向けて出発です!!」
何シテル?   04/17 19:36
1995年 セレスAE101(TOYOTA)56,000km 2000年 ウイングロードWFY11(NISSAN)101,200km 2008年 ウィッシュ...
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