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りょうさいのブログ一覧

2011年05月26日 イイね!

信州真田の陣 其の拾参 松尾城(松尾古城) 冒険編

信州真田の陣 其の拾参 松尾城(松尾古城) 冒険編さて、松尾城の大堀切まで見終わった時点で、3時15分。

まだまだ時間はある。

じゃあ、行くか。

行くしか無いか。

よし!行こう!!

何処へ!?

遠見番所へ!!

遠見番所とは、松尾城よりさらに340m高所にある物見砦の事。

実は、松尾城を一番最後にしたのは、時間と体力に余裕があったら、遠見番所に行ってみようと思ったから。

webで調べても、遠見番所まで訪れた人はあまりいなかったりします。

一寸ばかし功名心があって、勇んで登って行ったんですが…

尾根沿いとは云え、道なんてモンはありません。

急峻なのは相変わらず、落ち葉と小石が多くて滑り易い。

熊が出そうな山だし、ガスって来て視界も悪くなって来た。

目標が見えて来ないし、独りぼっちでさみしい…

ううっ、やっぱ止めとけば良かった。・゚゚・(×_×)・゚゚・。 


登るのに一所懸命で写真なんて撮る余裕なかったので、電子国土地理院の地図で位置関係をば。
此れを見ても、遠いな〜。

ぬ 遠見番所其の壱

松尾城の本郭から登る事50分、やっと遠見番所へ着きました!
ふ〜、疲れたあε=( ̄。 ̄;A
本郭の様にコの字に積まれた石塁があります。

る 遠見番所其の弐

後ろから見た石塁。
こんな所で見張りに残された兵士も寂しかったろうなあ。

を 竪堀其の壱

裏には竪堀もありましたが、こんな所に攻めてくる奴なんていないんじゃないかなあ。

眺望

遠見番所と云うくらいだから、さぞかし眺めも良いだろうと思いきや、今では木が茂ってる上に、ガスってるし…

登り終えた満足感に浸りながら、下山(笑)

大堀切に戻って来た所で、小休止。

そう云えば、此の大堀切は、東へ竪堀となって下って行くと、大手道へ出るんだったなあ。

よし!

降りよう!(笑)

遠見番所へ行って、変にテンションが上がっていたので、竪堀を滑り落ちてみました(爆)

わ 竪堀其の弐

滑り落ちた竪堀を見上げる。
かなり急峻。
実はホントに1mくらい転げ落ちてたりしてます(^▽^;)

か 石塁其の六

大手道にも、幾つか石塁がありましたが、此れも郭なんだろうか?

よ 水の手?

古図には、水の手とあるのは、此の辺りかな?
もう枯れてしまってないのかもしれません。

た 石塁其の七

此処の石塁は、長さと云い高さと云い、なかなか立派。
更に麓の方にも、似た様な石塁がありましたが、其れは後世の耕地化によるモノかと。

車に戻って来たのは、5時10分頃。
2時間40分の城巡りは、最長記録となりました。

大満足の城でしたが、遠見番所にはもう二度と行きません(笑)

参考文献:日本城郭大系8、真田町の遺跡

本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/26 22:13:06 | コメント(4) | トラックバック(0) | 信州真田の陣 | 旅行/地域
2011年05月25日 イイね!

信州真田の陣 其の拾弐 松尾城(松尾古城) 王道編

信州真田の陣 其の拾弐 松尾城(松尾古城) 王道編信州真田の陣、最後の訪れたのは、松尾城(松尾古城)。

此の城を最後にしたのは、理由があるんですが、其れは後で。

城址へは、県道4号線を北上して、角間渓谷方面へ右折。

交差点のすぐ近くに城の説明板があり、もう少し進むと登山口の案内標識が現れます。

駐車場が無いので、幅員が広そうな所に路駐しました。

時計を見ると、2時半になっており、大体予定してた通り。
此れなら、彼処へも行けそうだ…

松尾城(松尾古城)
築城時期については不明。
真田氏本城を居城とした真田氏が、西上野へ通じる角間峠・鳥井峠・和熊峠を押さえる為に築かれたと考えられている。
麓に日向畑遺跡があり、真田幸隆以前の真田氏の居城とも云われている。

道沿いにある登山口の案内標識に従うと、すぐに日向畑遺跡があります。

日向畑遺跡
発掘調査で、室町時代から戦国時代にかけての五輪塔や宝篋印塔が多数出土した。
此の辺りは、真田氏の最初の居館と伝えられている為、古くからの真田一族の墓地と考えれている。


真田氏の物かどうかは別として、随分と古いお墓なのは確かです。
此の東(写真奥)には、安智羅神宮があり、此処に祀られていた安智羅様は、真田幸隆18歳の坐像、若しくは信繁(幸村)と云われているんだとか。

岩山

日向畑遺跡から西へ歩いて行くと尾根に出るので、其処からは尾根沿いに進むんですが、ご覧の通りの岩山(;´Д`A ```
而も急峻なので、登るのに一苦労。
トレッキングシューズは必須です。

い 石塁其の壱

20分ほどヒーコラ良いながら岩山を登ると、出て来ました!石塁です!!
うおおおっ、スッゲー!
周りに誰も居ないので、声に出して連発してました(^▽^;)
こんな感じで、松尾城の郭は石塁によって補強されているのです。

ろ 石塁其の弐

此処の石塁が、一番高いでしょうか。
平べったい石が使用されており、此れは牛蒡積みと云うんだそうです。

は 石塁其の参

其れにしても、こんな山の上でよく石塁が残っていたもんです。
勿論、崩れている箇所もありますが。

に 馬場

古図では、馬場と記されている場所ですが、馬が乗れる様な広さはありません。
と云うか、こんな山に馬が登って来れるんかい?

ほ 虎口

更に10分程登ると、本郭の虎口が見えて来ましたよ〜。

へ 本郭

本郭は、周りを高さ7,80㎝の石塁に囲われていて、北東の隅には3段になってます。
最上段にある小祠は、真田氏戦没の士卒の霊を祀る物だそうです。
因みに、此処にも三角点松尾城があり、標高1033.7mです。

と 石塁其の四

本郭の石塁を東から。

ち 石塁其の伍

此れは北から。

り 大堀切

本郭の北は、段差6mの大堀切。
其の先は、古図で枡形呼ばれる場所ですが、何処が枡形なのか不明。

いやあ、聞きしに勝る見事な石塁、感動しました。
真田ファンの方には、必ず訪れて欲しい城です。

参考文献:日本城郭大系8、戦国・江戸 真田一族、真田町の遺跡

本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/25 22:01:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 信州真田の陣 | 旅行/地域
2011年05月22日 イイね!

信州真田の陣 其の拾壱 天白城(天白山城)

信州真田の陣 其の拾壱 天白城(天白山城)洗馬城を見学した後は、真田盆地を抜けて東へ。

旧真田町の東西の移動には、県道35号線を何回も利用したんですけど、其の度に通り過ぎる真田氏歴史館(真田氏館の隣)には、結構車が停まってました。

大したモン展示してないのに、真田と云うブランド力を改めて感じさせられる(笑)

で、天白城は真田氏館の裏山とも云える場所にあるんですが、其の登り口にある北赤井集落の道が此れまた狭い。

此れは事前の調べで分かっていたので、県道4号線から入って、集落より手前の畑道に路上駐車する事にしました。

北赤井の集落に入ると、城址への案内標識があるので、其処から登って行く事になります。

天白城
築城について、詳しい事は分からない。
真田氏館の裏山にある事から詰めの城、若しくは真田氏本城の出城と考えられている。

い 大手道

城址へは、北赤井神社や小祠を抜けて、一度西へ出てから尾根沿いの大手道らしき所を登って行く事になります。
段郭が現れ、石積みによる補強も見られますが、ご覧の通り薮がヒドい…

ろ 二の郭

本郭下の二の郭らしい気段郭。
此の辺りは、何とか中へ入って聞けましたが、北にある土塁と竪堀を見逃してもうた(;´Д`A ```

は 石積み其の壱

本郭は全体的に石積みによる補強があります。
本郭の西から南にかけては、犬走りが取り巻いてます。

に 本郭

他の真田の支城と同様に、唯一建物があったと思われる広さの本郭。
本郭にある土塁は、他に比べて一番高い物でした。

ほ 石積み其の弐

本郭の南にも石積みが見られます。
此の城の石は、他の城に比べて大きい物が多い。

へ 大堀切

天白城最大の見所は、岩盤を削った大堀切!
此処で削られた石を使って、石積みを組んだのかな?

と 竪堀其の壱

大堀切は、其のまま北へ落ちる竪堀となります。
竪堀を下って行くと、水の手があるそうです。

ち 竪堀其の弐

もう一本東の竪堀。
此の上の尾根は、岩山でほぼ自然地形のようです。

所要時間は約1時間でしたが、見逃した土塁と竪堀が心残り…

参考文献:現地案内板

本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/22 11:20:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 信州真田の陣 | 旅行/地域
2011年05月20日 イイね!

信州真田の陣 其の拾 洗馬城

信州真田の陣 其の拾 洗馬城次は、根小屋城と共に松代方面の地蔵峠を押さえた洗馬城に向かいました。

国牧時代の真田氏の本拠と云う伝説が残っていますが…また真田氏の本城ですか(笑)

真田幸隆以前の真田氏については、不明な事が多いので、此の話は眉唾ですな。

でも、城の南西にある傍陽小学校は、居館跡と云われているので、真田氏ではなくても、横尾氏か曲尾氏の居城だったかもしれませんね。

県道35号線沿いに譽田足玉神社の駐車場らしき空き地があったので、其処を利用させてもらいました。

洗馬城
築城については不明で、横尾氏・曲尾氏、さらには国牧時代の真田氏の居城とも伝えられる。
応仁2年(1468に村上氏が海野氏を攻めた際、史料に現れる「千葉(せんば)城」が此の「洗馬(せば)城」であると考えられている。

い 竪堀

本郭へ向かうには、尾根沿いを歩く事になり、どうやら大手道の模様。
まず現れたのは、東斜面へ落ちて行く堀切。

ろ 堀切

ふたつ目に現れた堀切には、土橋がかかってます。
なかなかキツい上り坂だあ(^▽^;)

は 段郭

此の辺りから、尾根沿いだけではなく、東斜面にも段郭が現れます。

に 石積み

所々ですが、石積みも見られます。
根小屋城を見た後だと、一寸物足りない感じ。

ほ 本郭

本郭は、他の真田の城と同じく、背後の堀切に面した北西に土塁が。
そして、小祠があります…と思いきや、犬小屋!?
何でこんな所にと思ったら、中に登城記録ノートがありました。
麓の小学校向けの様ですが、僕もしっかりと名前を書いておきましたよ〜。

へ 虎口

虎口の部分には凹みがあり、石積みによる補強も見られますが…
一寸此の階段はいただけないなあ。

と 大堀切

本郭背後の大堀切。
此処から本郭へ登るのはまず無理。
上から降りてくるのも結構怖かった(^▽^;)


北西から、大堀切を挟んで本郭を眺める。
此の先は、ほぼ自然地形の緩い登り坂。

見学は大体50分ほどでした。

参考文献:歴史群像シリーズ7 真田戦記

本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/20 21:52:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 信州真田の陣 | 旅行/地域
2011年05月18日 イイね!

信州真田の陣 其の九 根小屋城(曲尾城) 附千古屋城

信州真田の陣 其の九 根小屋城(曲尾城) 附千古屋城打越城と信綱寺を見学した後は、根小屋城に向かいました。

県道35号線を松代方面へ向かい、曲尾の交差点を左折。

曲尾の集落に入ったら、すぐに右折すると傍陽川を根小屋橋で渡る事が出来ます。

渡って左の砂利道へ曲がると、車が2台くらい置けるスペースがあったので、其処に車を停める事に。

一寸南に歩くと、城址への案内標識があるので、其れに従って山を登る事になります。

根小屋城(曲尾城)
築城時期等の詳しい事は分からない。
天文年間は村上氏の支城だったが、武田信玄が此の地方を収めると、大熊備前守朝秀が城代になった。
また、第一次上田合戦の時は、上杉軍が海津城から此の城に後詰めとして入城した。
地元では、根小屋城を「高い城」、千古屋城を「低い城」と呼び、二つの城を合わせて根小屋城と呼ぶ事もある。

い 石積み

登山道が大手道にあたり、急斜面の折れ坂を登って行くと、真田の城ではお馴染みとなった(笑)段郭が現れます。
で、此の城が他の城と異なるのが、石積みで補強されていると云う事。
崩れている箇所もありますが、総石積みだったと思われます。

ろ 虎口

本郭の虎口も折れ坂になっていて、石積みによる補強もしっかりしてます。
う〜ん、いいですね〜。

は 本郭

山頂の本郭には、他の城と同じく説明板が置いてあり、旧真田町の文化度の高さが伺えます(^_^)
此の城の北面は、岩盤剥き出しの為、郭はありません。

に 本郭土塁

本郭の北西にある土塁にも、石積みが見られますが、だいぶ崩れてますね。
岩山に作られた城なので、石には事欠かない様です。

ほ 段郭土塁

本郭の北にある段郭にも、土塁があります。
此処も石積みで固められてました。

へ 二重堀切其の壱

本郭の背後で尾根を断つのは、二重堀切。
まずひとつ目。

と 二重堀切其の弐

二重堀切は、整備された橋の上を通って行く事になります。
ふたつ目は、薮が…

ち 堀切

二重堀切を越えると、副郭があり、西は堀切で切られてますが、大分埋まってます。
本郭から西は、写真の様に篠がヒドくて、遊歩道以外はよく分かりません。

50分ほどの見学で山から下りて来た後は、更に南へ歩いて、沢向かいにある千古屋城へ向かいました。
此の道は、其の昔松代へ向かう古道で、根小屋城は此の道を守る為の城であった様です。
ちなみに此の道をさらに南へ行くと、砥石城の内小屋へ通じます。

根小屋城から5分もかからず、千古屋城の登り口へたどり着きました。
他の真田の城の登り口には、立派な案内標識がありましたが、千古屋城の案内標識は、手書きの木製で一寸チープ。

千古屋城
詳細は不明。
根小屋城と同じく、大熊備前守朝秀が城代を務めたと伝わる。
根小屋城が「高い城」と呼ばれるのに対して、「低い城」と呼ばれている。

り 竪堀?

登山道には、何やら教訓が書かれた木札が幾つもありましたが、肝心の城の説明は皆無(^▽^;)
途中には、竪堀らしき物がありました。

ぬ 本郭

本郭らしき所は岩山の為不整形で、東屋と蚕影神社がありました。
南に二の郭らしき平場と、其れへ上がる虎口らしき箇所もありましたが、遺構なのか怪しい。
此の規模では、独立した城では無く、根小屋城の砦と云った方が正しいみたいです。

千古屋城はともかく、根小屋城はなかなか面白い縄張りでしたが、此の城を堪能するには、草木が枯れて石積みがはっきり見られる冬が良いでしょうね。

参考文献:真田町の遺跡

本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/18 23:15:59 | コメント(2) | トラックバック(0) | 信州真田の陣 | 旅行/地域

プロフィール

「最近、みん友の皆さんにコメント出来なくてごめんなさいm(_ _)m」
何シテル?   07/21 22:46
車のサイトなのに、車ネタはあんまりありません(^▽^;) 最近は、中世城郭(江戸時代の城は其れほど興味ない)を中心とした史跡巡りのブログがメインになりつつあり...
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