
今回の城巡り、当初の予定は1日目甲府市・2日目韮崎市でした。
翌日の天気が悪いと云うので、湯村山城を見終えた後は、予定を変更して韮崎市へ。
向かった先は、甘利氏の居館であった大輪寺と、詰めの城の扇子平城です。
甘利氏館
武田氏の祖・武田信義の子一条忠頼の次子行忠が、甘利の庄を領した事から甘利氏が始まると伝わる。
戦国時代に甘利昌忠(甘利虎泰の子)が亡くなると、三男慶受院日国聖人が館跡を甘利氏の菩提寺として大輪寺を開山した。
大輪寺

甘利氏館の跡に建てられた大輪寺。
日本城郭体系では、土塁が一部残っているとの事でしたが、既に消滅してしまっているみたいです。
甘利昌忠の墓

本堂の西には、甘利昌忠のお墓があります。
右が開山の慶受院日国聖人のお墓で、ともに明治時代になってから建てられたモノ。
甘利氏と云うと、板垣信形とともに初期の武田信玄政権を支えた甘利虎泰が有名ですが、虎泰に関する物は無い様です。
此の後は、細い住宅路を西に向かい、扇子平城へ。
鳥獣除けゲートの手前に、クルマ1台分置ける空き地があるので其処へクルマを止めて、鳥獣除けゲートを開けて中へ進みます。
扇子平城
文献には、甘利氏の物見台として記録されていたが、詳細は不明であった。
平成元年(1989)、大輪寺東遺跡の発掘調査とほぼ同時期に地元の有志による踏査によって、初めて遺構が明らかとなった。
甘利氏の詰めの城と考えられている。
い 堀切其の壱

鳥獣除けゲートに入ると、城址への案内板があるので其れに従って進みました。
途中、沢を渡るまでは良かったんですが、其の後案内板が見つからず(;´Д`)
(帰りに、倒れている案内板を見つけましたが)
登れそうな場所を直登して、此処の堀切にたどり着きました。
ろ 痩せ尾根

烽火台に向かう途中は、人一人がやっと通れる痩せ尾根。
結構怖いです(^_^;)
は 烽火台

最北端にある烽火台。
此処へ直登する登り方もあるみたいですが、結構急なので止めといて良かった。
に 二の曲輪

ところで、此の扇子平城は直前まで、行くかどうか迷ってました。
と云うのも、此の城
確実に熊の棲息範囲と云う事で、実際に樹に引っかき傷があったり、糞があったりしました(;´Д`)
(僕が見たのは、古いものでしたが)
行かれる方は、熊除けの用意をしっかりして、季節を選んでから訪れてください。
ほ 扇状平場

城名の由来になっているのが、此処の扇子状に開けた段々の平場群。
作りかけ?とも思えますね。
へ 堀切其の弐

二の曲輪と主郭の間の堀切。
と 主郭

主郭は、コの字に土塁に囲まれてます。
特に文化財の指定は無いですが、しっかりとした石碑が建てられていて、案内板も充実しているのが嬉しい。
とは云え、倒木が多いのには辟易しました(^_^;)
ち 帯曲輪

主郭の西を除いた三方向には、帯曲輪があります。
り 堀切其の参

主郭の西は、大堀切と云って良い見事な堀切が。
此の先は、明確な遺構は無いとの事でしたが、確かに自然地形の様な感じでした。
主要時間は、1時間10分ほど。
初日は此処までで、日帰り温泉に入って、宿へ向かったのでした。
参考文献:日本城郭体系8、山梨県史資料編7
参考サイト:
古城を歩く
本日は此れ切り。
Posted at 2012/05/16 23:17:42 | |
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甲州新旧武田の城 | 旅行/地域