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りょうさいのブログ一覧

2012年05月16日 イイね!

甲州新旧武田の城 其の七 扇子平城附甘利氏館(大輪寺)

甲州新旧武田の城 其の七 扇子平城附甘利氏館(大輪寺)今回の城巡り、当初の予定は1日目甲府市・2日目韮崎市でした。

翌日の天気が悪いと云うので、湯村山城を見終えた後は、予定を変更して韮崎市へ。

向かった先は、甘利氏の居館であった大輪寺と、詰めの城の扇子平城です。




甘利氏館
武田氏の祖・武田信義の子一条忠頼の次子行忠が、甘利の庄を領した事から甘利氏が始まると伝わる。
戦国時代に甘利昌忠(甘利虎泰の子)が亡くなると、三男慶受院日国聖人が館跡を甘利氏の菩提寺として大輪寺を開山した。

大輪寺

甘利氏館の跡に建てられた大輪寺。
日本城郭体系では、土塁が一部残っているとの事でしたが、既に消滅してしまっているみたいです。

甘利昌忠の墓

本堂の西には、甘利昌忠のお墓があります。
右が開山の慶受院日国聖人のお墓で、ともに明治時代になってから建てられたモノ。
甘利氏と云うと、板垣信形とともに初期の武田信玄政権を支えた甘利虎泰が有名ですが、虎泰に関する物は無い様です。

此の後は、細い住宅路を西に向かい、扇子平城へ。
鳥獣除けゲートの手前に、クルマ1台分置ける空き地があるので其処へクルマを止めて、鳥獣除けゲートを開けて中へ進みます。

扇子平城
文献には、甘利氏の物見台として記録されていたが、詳細は不明であった。
平成元年(1989)、大輪寺東遺跡の発掘調査とほぼ同時期に地元の有志による踏査によって、初めて遺構が明らかとなった。
甘利氏の詰めの城と考えられている。

い 堀切其の壱

鳥獣除けゲートに入ると、城址への案内板があるので其れに従って進みました。
途中、沢を渡るまでは良かったんですが、其の後案内板が見つからず(;´Д`)
(帰りに、倒れている案内板を見つけましたが)
登れそうな場所を直登して、此処の堀切にたどり着きました。

ろ 痩せ尾根

烽火台に向かう途中は、人一人がやっと通れる痩せ尾根。
結構怖いです(^_^;)

は 烽火台

最北端にある烽火台。
此処へ直登する登り方もあるみたいですが、結構急なので止めといて良かった。

に 二の曲輪

ところで、此の扇子平城は直前まで、行くかどうか迷ってました。
と云うのも、此の城確実に熊の棲息範囲と云う事で、実際に樹に引っかき傷があったり、糞があったりしました(;´Д`)
(僕が見たのは、古いものでしたが)
行かれる方は、熊除けの用意をしっかりして、季節を選んでから訪れてください。

ほ 扇状平場

城名の由来になっているのが、此処の扇子状に開けた段々の平場群。
作りかけ?とも思えますね。

へ 堀切其の弐

二の曲輪と主郭の間の堀切。

と 主郭

主郭は、コの字に土塁に囲まれてます。
特に文化財の指定は無いですが、しっかりとした石碑が建てられていて、案内板も充実しているのが嬉しい。
とは云え、倒木が多いのには辟易しました(^_^;)

ち 帯曲輪

主郭の西を除いた三方向には、帯曲輪があります。

り 堀切其の参

主郭の西は、大堀切と云って良い見事な堀切が。
此の先は、明確な遺構は無いとの事でしたが、確かに自然地形の様な感じでした。

主要時間は、1時間10分ほど。
初日は此処までで、日帰り温泉に入って、宿へ向かったのでした。

参考文献:日本城郭体系8、山梨県史資料編7
参考サイト:古城を歩く

本日は此れ切り。
Posted at 2012/05/16 23:17:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | 甲州新旧武田の城 | 旅行/地域
2012年05月13日 イイね!

甲州新旧武田の城 其の六 湯村山城

甲州新旧武田の城 其の六 湯村山城湯村山城へは、東山嶺にある緑が丘スポーツ公園の駐車場から登って行く事になります。

湯村山城へ登る道は、要害山城と同じく武田の杜として整備されてまして、なだらかな舗装路で快適。

城址へ行くと云うよりも、地元民の散歩道として親しまれている様で、数人の人達とすれ違いました。





湯村山城
大永3年(1523)に武田信虎が築いたと文献にあるが、逸見氏の湯ノ島城を改修したとも考えられる。
築城時期と縄張りから、躑躅ヶ崎館の西の支城として築いたと考えられる。

い 烽火台

駐車場から30分ほど登ると、復元された烽火台がありました。
ところで、甲斐には武田氏が整備した烽火台が彼方此方にあるのが特徴です。
当初の予定では、此の後に平瀬の烽火台に行こうと予定してたんですが、翌日の天気が悪いと云う事で予定変更に(*´Д`)

ろ 堀切其の壱

三の曲輪の北尾根を断ち切る堀切ですが、写真だとよく分からないですよねえ(^_^;)

は 堀切其の弐

一・二の曲輪と三の曲輪の間の堀切。
ご覧の様に、城内は石がゴロゴロしていて辟易しました。

に 枡形虎口

三の曲輪の虎口は枡形になっていて、木戸があった場所には巨石が置かれてますが、此れまた写真だと分かりづらい。
三の曲輪にあるのは石と云うよりも、岩(^_^;)

ほ 武者溜り

一の曲輪の虎口は、喰い違いで、中は武者溜りにもなっている枡形。
虎口の手前は、西側に竪堀を落として、土橋風に通路が狭い。

へ 虎口

二番目の虎口でやっと一の曲輪へ。
縄張り図を見ると、非常に巧妙で面白いんですが、どうも石が邪魔な上、木も生い茂っていて遺構が分かりづらくて印象が悪い。
おまけに此処でシマヘビに遭遇Σ(゚∀゚ノ)ノキャー

と 一の曲輪

一の曲輪は周囲に土塁に囲まれていて、写真右に見えるのが、二の曲輪と隔てる仕切り土塁。
遊歩道は、仕切り土塁の上を歩くので快適ですが、外れるとヤブ。
冬ならもっと印象が違うんだろうけどなあ。

ち 井戸

一の曲輪には井戸もありました。
湯村山城に帯曲輪は、西と南側にあるので、此の事からも躑躅ヶ崎館の支城として西側の守りを重視してるのが分かりますね。

何回も書いちゃいましたが、石があまりにもゴロゴロしていてあんまり楽しくない城でした(^_^;)
所有時間は、1時間10分ほど。

参考文献:日本城郭体系8、戦国武田の城

本日は此れ切り。
Posted at 2012/05/13 19:03:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州新旧武田の城 | 旅行/地域
2012年05月10日 イイね!

甲州新旧武田の城 其の伍 熊城

甲州新旧武田の城 其の伍 熊城要害山城の後は、引き続いて要害山城の支城である熊城に行きました。
熊城は、史料が全く無い為、参考した本でも「要害城南遺構」「要害山出城(南城)」とか書かれてますが、最近では熊城と呼ぶのが一般的な様ですね。

熊城へは、要害山城から続くハイキングコースを深草観音方面へ進みます。
途中、吸い殻入れ(?)が置いてあるカーブからハイキングコースを外れて、右の尾根の中へ。
ひたすら尾根を下って行くと、30分ほどで熊城の遺構が見えてきます。

熊城
文献には全く現れない為、築城時期等詳しい事は分からない。
要害山城の南の防御を固めると共に、水の手を守備したと考えられている。

い 堀切

今回は、要害山城経由で熊城に来た為、搦手からの攻略になりました。
とは云え、要害山城の支城なので、此処から攻められると云うのは、想定に無いかもしれません。

ろ 土橋

主郭の東は大堀切で切られ、中央は土橋になって細くなってます。
高低差はかなりのモノ。

は 主郭

主郭を始め、熊城の曲輪の土塁は全て南側に着けられています。
南側を徹底して守る構えなんでしょう。

に 石積み

主郭の壁面には、石積みによる補強も見られます。

ほ 虎口

南側に設けられた土塁とは逆に、虎口は全て北側にあります。

へ 土塁

土塁の基底部の石積み。
此れは、要害山城にも見られた武田流築城術ですね。

と 曲輪群

此の辺りは高低差がある為、小さい曲輪が段々畑の様。

ち 畝状竪堀

熊城の最大の目玉と云える畝状竪堀。
此れも、武田流築城術の特徴の様です。
写真では分かりづらいですが、何本も狭い間隔で延びてます(要図の数はテキトー(^_^;))
此れまた執拗な南側に対する防御。

り 曲輪

一番西側にある監視的な役割があったと思われる曲輪。
此の西にある堀切も、結構深い。

此の後も尾根沿いに下に降りて、武田の杜として整備されているハイキングコースを歩いて、積翠寺へ戻りました。
約3時間の行程となりました。

参考文献:日本城郭体系8、戦国武田の城

本日は此れ切り。
Posted at 2012/05/10 23:23:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州新旧武田の城 | 旅行/地域
2012年05月07日 イイね!

甲州新旧武田の城 其の四 要害山城附積翠寺 後編

甲州新旧武田の城 其の四 要害山城附積翠寺 後編ところで、山城って遺構にたどり着くまでが結構大変で、城の範囲に入っちゃうと、楽になったりします。

遺構を良く観察したり、写真を撮ったりするので、立ち止まるのが多くなるからでしょうね。

要害山城も、ハイキングコースになってるとは云え、九十九折りを登るので、結構疲れました(^_^;)





第六の門

此の第六の門から、主郭に向かうのには、何回も曲折しながら進む事になります。
勿論、其の度に頭上から飛び道具による攻撃を喰らうハメに。
此の辺の縄張りが一番気に入りました(^_^)

り 第八の門

第八の門が、主郭の虎口となります。

ぬ 主郭

主郭は、山城としては其れなりの広さがあり、武田信玄誕生の記念碑が。
主郭には、庭園もあったらしく、其の時の物と思われる庭石が残ってました。
山城に庭園だなんて、意外。

る 土塁

主郭には、二カ所の虎口と北面の一部を除いて、土塁に囲まれてます。
標高770mの場所ですが、土塁は高い所では4mもあります。
石積みによる補強があるのも特徴。

を 竪堀

東からは搦手になります。
此処の竪堀は、石積みによる補強があり、大変珍しい。
倒木が邪魔でよく見えない〜(;´Д`)

わ 土橋其の壱

「を」の竪堀を挟んで土橋を渡り、方向転換しながら、主郭の虎口へと進みます。
搦手は、尾根沿いになる為、竪堀を設けて曲折しながら、虎口へ向かうと云うパターンになります。

か 馬出し虎口

「わ」の土橋の手前は、武田クンの大好きな馬出し。

よ 櫓台

搦手の一番東の曲輪には、櫓台が建っていたと考えられます。
石積みによる補強もありました。

た 土橋其の弐

搦手の入り口も、竪堀に掘られた土橋を渡って、櫓台の下を進むルート。
登山道の入り口から、搦手の土橋まで、所用時間は1時間ほどでした。

要害山城は、今回のメインディッシュとして期待していたんですが、大満足(*^_^*)
大手と搦手で、守り方がが違うのが面白い。
加藤光泰による改修があるとは云え、流石武田の城、感動です!

参考文献:日本城郭体系8、戦国武田の城、ドキュメント戦国の城
参考サイト:余湖君のお城のページ

本日は此れ切り。
Posted at 2012/05/07 22:52:28 | コメント(3) | トラックバック(0) | 甲州新旧武田の城 | 旅行/地域
2012年05月06日 イイね!

甲州新旧武田の城 其の参 要害山城附積翠寺 前編

甲州新旧武田の城 其の参 要害山城附積翠寺 前編川田館の次は、武田信虎・信玄・勝頼三代にわたり、武田氏の居城となった躑躅ヶ崎館周辺に向かいました。

とは云え、昨年家族旅行で訪れているので、躑躅ヶ崎館・甲府城はパス。

興味がある方は、此方をどーぞ。
古府散歩 躑躅ヶ崎館
古府散歩 甲府城


躑躅ヶ崎館を中心とした支城郡は、こんな感じ。

躑躅ヶ崎館周辺


躑躅ヶ崎館を横目に向かったのは、躑躅ヶ崎館の詰めの城、要害山城です。

要害山城
永正17年(1520)に躑躅ヶ崎館の詰めの城として武田信虎が築いた。
翌大永元年(1521)、駿河今川氏の福島正成が甲斐に侵攻して来た為、武田信虎の正室大井氏が要害山城に逃れ、此処で武田信玄が生まれたと云う。
城番は、駒井氏が代々つとめた。
武田氏が滅びた後も、加藤光泰が修復した事も記録に残っており、慶長5年(1600)廃城となった。

要害山城に登るにあたって、車を積翠寺に停めさせて頂いたので、此方も紹介します。

積翠寺
鎌倉時代の創建で、境内の巨石から泉が湧き出ていた事から、石水寺と呼ばれていたが、後に積翠寺と改められた。
大永元年(1521)、駿河今川氏の福島正成が甲斐に侵入した際に、武田信虎の正室大井氏が此処に逃れ、武田信玄を産んだと云われ、其の時の産湯をくんだ井戸が残っている。

信玄公産湯の井戸

本堂の裏に、武田信玄の産湯をくんだと伝わる井戸が残ってます。
ところで、要害山城でも武田信玄は産まれたと伝わっており、実際はどっちなんだろう?

ホテル要害の入り口に要害山城への登山口があり、道もハイキング用に整備されているので登りやすいです。

い 竪堀と竪土塁

30分ほど歩くと現れました、竪堀です。
写真だとただのヤブですが(^_^;)
掘られた土は外側に盛られ、竪土塁になってます。

ろ 第一の門

大手から主郭に向かうの虎口には八つの門があります。
此処から、実質城に入って来た感じですかね。

は 第二の門

第一の門を過ぎると馬出しで、直角に向きを変え、第二の門に向かいます。
こんな感じで、城内は何回も方向転換をしなくてはならず、上から飛び道具による攻撃にさらされるはめに。
第二の門の先は、武者溜まりになります。

に 不動曲輪

幾つかの曲輪を超えると、不動曲輪があり、其の名の通り不動明王が祀られてました。

ほ 諏訪水

北に廻ると、諏訪水と呼ばれる井戸が残ってます。
他にも井戸はあった様ですが、埋もれてしまっている可能性が高いそうです。

へ 第三の門

此処の門址は、他のと比べ石積みも整然としていて立派な物。
武田氏の其れではなく、加藤光泰による改修の可能性が高い様です。

と 第四の門

此処は、坂土橋と枡形虎口だそうですが、枡形と云うのはよく分かりませんでした(^_^;)
此の後、本来であれば第五の門へと続くのですが、登山道の整備により其方へは行きません。
なので、第五の門はヤブと化してました(^_^;)

長いので、後編へ続きます。

参考文献:日本城郭体系8、戦国武田の城、ドキュメント戦国の城
参考文献:余湖くんのお城のページ

本日は此れ切り。
Posted at 2012/05/06 23:20:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 甲州新旧武田の城 | 旅行/地域

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「最近、みん友の皆さんにコメント出来なくてごめんなさいm(_ _)m」
何シテル?   07/21 22:46
車のサイトなのに、車ネタはあんまりありません(^▽^;) 最近は、中世城郭(江戸時代の城は其れほど興味ない)を中心とした史跡巡りのブログがメインになりつつあり...
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