
もうすぐ大型連休ですね~! 入社後初体験の大型連休にワクワクしているMARKWONDERです(^^A)
突然ですが、皆さんは小幡 績さんって、ご存知ですか?
日本の経済学者、投資家。専門は企業金融、行動ファイナンス、政治経済学。慶應義塾大学大学院経営管理研究科准教授。Ph.D.(ハーバード大学、2001年)、という方なんですが、この方の競馬が凄いです!!
小幡さんは、「グリーンチャンネル(競馬専門チャンネル)」競馬場の達人にも登場されているギャンブラーで馬券の買い方が超独特!!
平場は100円投資を徹底し、メインは単勝5諭吉、その他も同額という一見破天荒とも取れる勝負師! 競馬好きでも、中々こんな勝負はできません!
そんな小幡さんが、今国会で審議の的になっている「安保法案」に個人的な意見をブログにアップされたので、ちょっとご紹介したいと思います。
行動や考え方は各自の自由ですが、「民主主義の日本」について、簡潔に書かれていると思います。
<小幡さんのブログより転用>
安保法案についての個人的な意見
私の意見は以下の通り。
今回の法案 反対
憲法違反か 違反
自衛隊は違憲か 違憲
集団的自衛権 賛成
戦争 賛成
理由は以下の通り。
今回の法案は、憲法違反である。それは明らかだ。それは、自衛隊は軍隊であり、明らかな違憲であるのと同様だ。したがって、違憲のまま法案を提出しても、明らかに違憲なものを審議することはできない。よって反対。
そもそも、自衛隊自体が憲法違反である。現行憲法の下で、自衛隊が活動しており、その活動の範囲を広げてきた。これは憲法の解釈の変更で可能になってきた。だから、今回も憲法解釈の変更は可能だ、という議論は誤りで、今までも違憲であり、解釈変更で明らかな憲法違反の行動を、行動が必要だからと言って正当化することはできない。だから、今回も解釈変更は許されない。
また、審議が不十分であり、議論を尽くしていない、という意見にも反対である。
議論は十分行った。議論は平行線である。ずっと同じ議論をしている。要は、政権は、この法案は必要で、国民は嫌だと言っている。いくら議論してもこれは変わらないだろう。だから、採決を行い、否決するのが国民の代議者としての国会議員の任務であろう。
内容としては、個人的には、集団的自衛権は必要だと思うし、現在の法案の中身には、概ね賛成である。政府の判断に委ねるのが許せない、ということであれば、すべての政策が許せない。財政出動も許せないし、311の時の対応も許せない。しかし、そこはそのときの政府の判断、行動に任せるしかない。だから、議員を選び、議員が内閣を構成し、内閣が政府を指揮している。政府が信用できない、というのなら、明日から、いや今から何もできない。
しかし、国民の多数の意見はそうではない。そうではない以上、この法案は中身としても成立しない方がいい。多数派の意見が間違っていることは多いと思うが、多数が決める、ということになっているし、間違っているという意見の方が正しい、ということを多数派の意見にすることができない以上、仕方がない。
したがって、行うべきことは、憲法違反であるが、日本として必要なことである、この法案を成立させることとなるが、それを実現するためには、憲法を変える必要がある。憲法改正を問うて、解散総選挙を行うべきである。たかだか消費税の引き上げ延期で解散をしたのだから、もちろん、ここで解散総選挙をして、憲法改正、その後の安保法案を問うべきである。
行わない理由は、それでは選挙に負けるからだ。
ただし、それは安倍内閣を責める理由にならない。安倍内閣に限らず、多くの政権はそうであり、そういうものだからだ。
さらに、今回は、前回の解散総選挙があった。安倍内閣が、その選挙後、このような法案を提出するか、あるいは憲法改正を行うか、どちらかであることは予想された。それにもかかわらず、安倍政権に投票したのは有権者である。有権者が安倍内閣に委ねた以上、この結果も委ねられた結果であり、いまさら騒いでも仕方がない。
そして、それが、国民の多数派の意見である。インタビューされれば反対と言うが、それ以上のことをする気はないのである。デモの人々もデモをすることが目的であるから、それが政策を変えることになるはずがない。
現状が民意の結果なのであり、安保関連法案が通り、違憲状態のまま集団的自衛権が行使可能な状態になるだろう。それが民意だ。
蛇足になるが、今回の安保議論に関係のない、私の個人的見解を付け加えておこう。
私は戦争に賛成である。
なぜなら、戦争は避けて通れないからである。
これは能動的に戦争をしかけろ、と言っているのではないし、それには反対である。軍備の拡張にも反対だ。
しかし、戦争というのは、好んでするものではない。
自衛権に賛成する以上、それは戦争に賛成する、ということだ。
自衛する、というのは、戦争をするということだ。
戦争放棄とは、国土が侵略され、同胞が殺され、レイプされるのを、武力では抵抗せずに黙認する、あるいはやめてくれと叫ぶだけのことだ。叫んでも無駄であることを知りながら。
したがって、攻撃された場合には、受けて立つことは必然だ。弱い同胞を守るために、首相がSPをつけるのと同じように、警官が街にいるのと同じように、我々は軍隊を持つのであり、その結果、自衛隊を持っているのである。
強姦されている妻を救うために相手に殴りかかることは必要だと思う以上、戦争には賛成せざるを得ない。
それが正当防衛かどうかをその場で議論しているヒマはない。武器になり得るものが、そのとき周辺にあれば私は使うであろう。
もしその可能性がある世界に住んでいれば、武器になり得るものを事前に自宅に保管しておくだろう。防災セットの横に並べて。
そして、世界では戦争は常に起きている。
シリアを無視できないのであれば、難民を受け入れるのは一時しのぎに過ぎないことは誰にでも分かっており、シリアの戦闘状態を終了させることしかないのだ。それに武力で介入するか、どのような手段で挑むかは、議論の分かれるところだが、それ以外に解決策はない。
日本を守る以外に、自衛権は行使しない、というのは、日米同盟に基づいて日本の防衛を行っている以上、自分勝手と言わざるを得ない。世界の平和に貢献したい、と思っているなら、日本と直接関係のない戦乱に巻き込まれても、同盟国とともに行動するべき局面はありうるはずだ。
米国が侵略戦争を行うから反対だ、というのであれば、個別に反対しうる余地、つまり、それは自衛権の行使ではない、ということを言う余地を残し広げるべき、ということであり、それが不可能であり、ともかく米国に関わらない、というのであれば、日米同盟を解消するしかない。
その意見はあるであろうが、それを政府が行う可能性はゼロであり、米国に対してそのような見方を有した上で、それに対してアクションを起こさないのであれば、現状の政策を黙認しているだけのことだ。
個人的見解から、もとの議論に戻ってしまったので、個人的意見を述べるのは以上とする。
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Posted at
2015/09/16 08:44:01