この歌は、1970年に発表された。
当時の私は、この歌の意味も判らず、口づさんでいた。
1970年頃は、ベトナム戦争の真っ最中で1975年の戦争終結まで、多くの人が悲しみ、瞳が愁いでいた気がする。
日本もこの戦争にアメリカに協力という形で参戦していた事実を我々は知っている。
戦争の醜く、残虐な行為に対して、当時の若い人達を中心に生まれた反戦歌。
この曲は、数多くある反戦歌の中でも、特別な1曲だと思う。
当時の「日本に住む人達」、「世界で平和を求める人達」が、祈りを込めて始めた文化「万博(大阪万博)」。
ここで、初めてこの歌が歌われたのも、平和を求める人達の「想い」が力となり、世論(世界)を動かしたからなのだと思う。
元々、万博(国際博覧会)とは、「複数の国が参加した、公衆の教育を主たる目的とする催しであり、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは複数の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう。」と記されている。(wikiより)
万博のテーマは、、「人類が望む将来を示す夢の博覧会」
当時の人達が望んだ将来が平和だったからこそ、この曲も生まれたのかも知れない。
私は、これまで「戦争」は「他所の国」の事との認識していた。
この歌の歌詞にあるように、「戦争が終わって僕らは生まれた。戦争知らずにぼくらは育った」世代の1人であり、。戦争の真実を知らない国民の1人だからだ。
この国に暮らす人達を守ってくれていた「9条」を曲げ変えて、戦争ができる国になってしまった。
私は、それが「国際的」に必要な事だとしたなら、それは「国際」が間違っていると思う。
過去の戦争の痛みや悲しみ祖母や先輩達から伝え聞き、歴史という形で学んできた私達世代。
文化として学んできたからこそ、私達は子供達に「人殺しの罪悪」を説いてきたのでは無いのか?
「人殺しの罪悪」を教え、説いてきた子供達に「戦争なら他人を殺して良い」と真実を、どのように彼らに伝えればいいのというのだ。
先日、テレビで日比谷に集まった多くの人達が映っていた。
私と同世代、親世代の人達が多かったようにも映った。
彼らは、どんな「思い」で、あの場所にいるのだろう?
恐らく、私達世代は、戦争には行く事は無いだろう。
でも、この国の子供達は戦争に行く事になるかも知れない。
私達は、この土地で暮らし、攻め込まれれば「逃げまどう」だけなのかも知れない。
子供達は、他人の国に攻め込み、「逃げまどう人達」を殺傷するのかも知れない。
それが「戦争」なのだ。
私達は、これから何を体験し、何を子供世代に伝えていくのか?
未来の子供達に「この国の将来の展望」を問われた時に、何を答えることができるのか?
私は9条を踏まえ、憲法を「変える」必要は無く、「それ」に準じて、時代に合わせ法律を「整備」すれば良いだけなのだと思う。
自分達が必要と思える事を国民1人1人が考えて、実行していくだけで良いのだと思う。
強行採決。強行突破。
茶番を演出したサル達によって、「戦争を知らない子供たち」が、自分達の子供達を「戦争」に近づけてしまった。
いつか我々は、この一歩に対し、子供達に真意を問われる日が来るのだろうか?
もし叶うのであれば、その時に万博で歌われた「この歌」を子供達と笑顔で一緒に歌える未来に繋がる事を切に願いたい。
Posted at 2015/07/17 14:29:19 | |
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