レオーネに乗って環七沿いの日産ディーラーに行った。何を見に行ったのかどうも思い出せないが、でもよく憶えているのは、レオーネの査定がたったの15万円だったこと。
そこで、家から歩いて5分の中央スバル碑文谷店に行く。15万円のレオーネは3倍になった(笑)これってスバル地獄か?(マツダ地獄ってのも有名らしいが。)
1989年、初代レガシィが発売になった年である。
ツーリング・ワゴンはスバル久々の大ヒットとなり、新車をオーダーしても納期はかなりかかると言う。ディーラーが持つ在庫車を調べて貰い、その中から選んだのが VZエアサスの黒(正確にはブラック・マイカ)5MT車であった。きっと、売れ筋ではない構成で残っていたのだと思う。
1.8L と 2L のエンジンがある。VZ EJ20型水平対向は、DOHCの140psで、フル装備の豪華仕様であった。エアサスという仕様が意味不明だったけど重い荷物を載せても車高が一定に保たれるとかで、そこは良かった。乗り心地はフワッとしているのかと思いきやそうでもない。ごくごく普通であったと思う。
その頃、地方での仕事が多く、しかも移動は全てクルマ(勤め人なのに自前…)。お陰で走行距離は増える。荷台には仕事用の荷物を積み、北は福島、西は大山(鳥取)まで走った記憶がある。勿論、雪道にも強く正に万能な Legacy。よく働いてくれた。
勿論、私用では釣り(フライ)にも大活躍。遊びにも頼もしい相棒だった。
BF5のA型を二年乗った頃、駐めていた駐車場の側を通ると碑文谷店の営業が勝手に査定していた。(笑)「そろそろ買い換えの時期ですよ~。」とか言っている。既に 67,000km になっていた過走行車をどーにかしたいらしい。
カミさんも自分で運転することが増えたので、今度はC型('91年から)の VZ type R のグリーン(4AT)にする。この型からフロントのデザインが大幅に変わり、おとなしい感じのマスクに。残念だったのは、ここから六連星のマークが廃止されてしまったこと。type R は、セダンのRS用サスペンションを組み込んで、GT用内装を移植した特別仕様車で、ターボまでは必要なかったやまねには丁度良いチョイス。これまた6万キロを二年ほどで走ることになる。
レオーネのままだったらスバルは潰れていたかもしれないとまで言われたが、レガシィは起死回生の一発になり会社を救う。ボディ・デザインをジウジアーロに依頼したともっぱら噂されていたが、それほど「変わった。」とやまねも思った。ともかく、力の入ったスバルの名車だと今も思う。