2010年08月15日
まだ私が生まれるずっと前の日本には戦争があった。
良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとかを、簡単に語る事は出来ない…
しかしながら、戦争で多くの方々が、亡くなったり負傷されたのは、紛れもなく厳然たる事実だ。
私が物心ついた。1970年頃の幼少期体験として、戦後はまだ少しだけあった。
駅前地下道の辺りに、「傷痍軍人さん」(戦時中の負傷により、普通に働けない方々)が、
救世軍寄付を募って立って居たものだ。
そこは子供にとって、何とも空恐ろしい恐怖を感じてしまう場所だった。
片腕を失った方がじっと立ってるだけで、通行人が募金鍋にお金を落として通り過ぎて行く。
何がどうしてかを正確に理解して無い私には、ただただ無性に怖かったのを覚えてる。
その後、私の父方親戚の大叔父(この方は戦地で爆撃に遭い、左肘から先が無い)に、
何故彼等達がああしているかの理由と、自分はアレをやらない理由も話をしてくれた。
大叔父はこうも云っていた。
「たまにさ。無い筈の左腕先が疼くんだよ…。いや疼く気がしてるだけかもしらんが、確かに痛みを感じるんだよ。」
酒好きな大叔父は、酔った時が一番危ないとも笑って云った。
「酔ってフラついて倒れるじゃねぇか?。そん時忘れちまうんだよ!
ある筈の無い左手を着こうとしてさ…。
何度転んでも忘れちまうんだよなぁ…はっはっはっ!」
聞いてる私は勿論笑えない…
戦争行って怪我したくないとだけは思っていた小学坊だったかも?
私が高校生の時に亡くなった祖母からは、空襲と防空壕の話や、終戦後の食糧事情がとにかく大変だったと聞いた。
親父は戦時中旧制中学生で、学徒動員の為軍需工場にて、戦闘機用キャブレター生産ラインで働いていたと聞いた。
空襲が激しくなり、岐阜県へ疎開してそちらで終戦を迎えたと。
そして地元に帰ったら、見事に焼け野原で何も残って無かったと…
それぞれの家庭ごとに、戦争にまつわる話と想いがあったと思います。
こういった話を語り継ぐ事も、大事な使命のひとつだとも思いますね。
結果の是非はともかく…
ご先祖様や、英霊達に感謝致します。
安らかにお眠り下さいませ。
合掌。(-人-)

Posted at 2010/08/15 06:14:43 | |
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