
マン島TTレースの話です。先週の続きまだやんの?と思うかもしれませんが、みんカラ見回しても書いている人は殆ど居ないんでホンの参考までに。
写真は今年参戦した唯一の日本人、『松下ヨシナリ』選手のofficialから拝借しました。
どう見たって普通の住宅地の公道でしょ?。ソコをレーシングマシンがレーシングスピードでブッ飛んで行くという訳。
当然エスケープゾーンなんてものはハナから存在しない。もっと狭い民家の石壁を縫うような地点も有り、石壁の前に藁束をクッション代わりに置いてある程度。路面にはうねりや段差も当たり前に有って、「パラフブリッジ」という名物ジャンピングスポットでは、10m以上空中を飛んで着地するような凄いトコまで有ります。
一瞬の判断ミスやマシン挙動を読み間違えたらあっという間に向こう側の世界へ行ってしまう・・・
誠に残念ながら今年も、サイドカークラス選手2名、スーパースポーツ600クラス1名の3人の方がお亡くなりになりました。謹んでお悔やみ申し上げ、ご冥福を祈ります。
マン島TTレースのWikiを見ると、1907年第一回開催から既に220人以上の方が亡くなっています。(別開催のマンクス・グランプリを含む)
マン島TTレースは過去世界グランプリ選手権にも組み込まれてました。(1976年まで)
日本のホンダが世界のホンダへ大きく飛躍し変貌した歴史も、創業者『本田宗一郎』さんによる、有名なマン島TTレース参加宣言から始まったものでした。
当時若き『高橋国光』選手も期待に応えて、1961年当時西ドイツGPレースで日本人として初優勝し、メインポールに日の丸を掲げました。(当時日本には舗装されたサーキットはまだ無く、荒川のテストコースだけなんだから凄い!)
翌62年は、1・2戦連勝で第3戦マン島TTレースを迎え、余程乗れていたのか、皆がアクセル戻す場所を全開で走れたとか。同僚達が、「ソコを全開で走り抜けるのは危険だから止めておけ」と、言われていたその場所を1周目から全開で走りクラッシュしてしまい瀕死の重体に。後に4輪への転向を促すキッカケとも言える場所でも有ります。(昔2輪乗り始めた頃、高橋国光さんの著書“恐怖を背中にはりつけて走った”を読んだなぁ)
そして随分後の2006年の時。予選中の『前田淳』選手がトラブルでスローダウンした時、後続車が気づかずモロに追突してしまい、一週間近くの懸命な治療も及ばず2006年6月6日に亡くなってしまいました。
前田淳選手とは少しだけ縁が有ります。もう12年位前の茂木サーキット本コース開催の、2輪車セーフティーライディングスクールの先導インストラクターをして貰った事が最初。
そしてもうひとつは何年前だったか…鈴鹿8時間耐久レースで、前田淳選手と青木治親選手ペアが総合10位ゴールだった年だった。
その年オイラはとあるツテで、前田選手組の隣ピットでとあるチームのピット作業を手伝っていた。
ゴール後の前田選手組チームの嬉しさ爆発大騒ぎが物凄くて(クラス優勝だったか?)、通りがかりの人間まで巻き込んで、そこら中にビールやらジュースやら掛けまくり。しまいにはクールダウン用子供用プールの水をすくって水掛け合い大合戦に発展。オイラも当の前田選手本人から思いっきり顔に水を浴びせられてしまい。いたずらっ子のようなあの笑顔が忘れられない最後になってしまった・・・
謹んでご冥福を祈ります。(-人-)
確かに2輪レースはある程度危険が伴いますし、事故で亡くなるのは大変悲しい事です。
同じ2輪サーキットレーサー達からでさえ「クレイジーだ!」と、言われる程のレースが何故100年以上続いているのでしょう。
少し飛びますが、2006年石原都知事と三宅島町長がマン島TTレースを視察し、『三宅島ロードレース』開催構想を表明しましたが、大モメにモメて結局島内ツーリングイベントに変更されました。勿論危険だと言う反対派の主張は十分理解出来ます。しかし、日本人に大きく不足しているのは、大人をあまりにも子供扱いする事ではないだろうか?
危険な事を承知の上でも走りたい奴は走る。それが正しいとか間違ってるとか、責任はどうするかは置いといて、過去からのスピードの歴史とは結局そういう事だろうとオイラは認識しています。
英国では、1分1秒1マイルでも速く走り記録を残す。万が一亡くなってしまうのは悲しい出来事だが、そのチャレンジを皆で一緒に見届け続けるという大人な国なんだと思います。
カメラマン磯部孝夫さんのまんとう写真日記を見ても、90歳の母が見物したいから連れて来たという65歳の息子との親子連れと出逢います。磯部さんが90歳の母ジェニーさんに、「今年のマン島はどうですか?」と聞いたら、「エクセレント!」とお答えになる。コレが根付いている文化という事かと。
近年はスーパーバイクTTクラスの1周約60Km平均ラップタイムが、130マイル(約208キロ)近くまで上がる程高速になり、益々危険なレースとの認識も広がりつつありますが、きっと来年も開催し続ける事でしょう。
いつかは生観戦してそんな文化に触れてみたいと本気で思います。

Posted at 2011/06/16 00:24:43 | |
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