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スミスミのブログ一覧

2011年06月20日 イイね!

ミラノで最初に見たF4

ミラノで最初に見たF4タンなるついでの思い出話。
97年にミラノ国際モーターサイクルショーに行った時の写真。


MV-AgustaF4(750cc)公式ではミラノが世界初公開だったかしら?


何せターンテーブルじゃなく人だかりが凄いから、五重の輪のデカい外国人を掻き分け掻き分けやっとフィルム写真(当時)の撮影ポジションを確保したもんです。
マフラー側の人達全然動かないんだもの…(笑)


『マッシモ・タンブリーニ』さんのイタリアンデザインに感心してました。

※昔の『ビモータ』創業三代表のひとりで、社名にも名前が入ってる。ビモータ各車のデザインを担当。その後『カジバ』へ引き抜かれ、当時傘下であった『ドゥカティ916系』のデザインしたのも有名な話。


2輪モータージャーナリストの『和歌山利弘』さんが、単独でカメラ撮影して取材してるのも見たな。


あと当時は、ヤマハの新型『YZF‐R1(1000cc)』初代がデビューしたばかりでした。ヤマハブースでフロア置きしてあった赤/白カラー車を自由に跨がれましたが人はまばらだった。


MVアグスタF4に比べてヤマハR1は、「なんか昆虫顔みたいでヤダなぁ~」とか思ったりしてた。その後ものの見事なヒットにより、R1イーターな他メーカー迄昆虫顔になると知るハズも無かった。


最初に見たクセに、いまだにMVアグスタF4にはちゃんと乗った事が無い。
まったく実にオイラと縁の無いモーターサイクルである。(笑)

(^-^)/
Posted at 2011/06/20 22:46:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2011年06月19日 イイね!

MV Agusta F3 開発中

MV  Agusta  F3  開発中全然知りませんでしたがネットサーフィンしてて引っかかりました。


あのイタリア高級バイクメーカー『MV Agusta社』(メカニカ・ヴェルゲラ・アグスタ)が、水冷並列3気筒675ccバイクを試作開発テスト中で、今年秋のモーターサイクルショーで発表後に市販予定だそうで。


MV Agusta社は、元々イタリアのヘリコプターメーカーであるアグスタ社から発生した会社ですが、その後何度も何度もオーナーが変わる数奇な経歴を持ってます。

※詳しくはMVアグスタ及び、アグスタWikiでも見て下さい。


現在の新生MVアグスタ社の市販ラインナップは、97年ミラノモーターサイクルショーで発表された『F4』750cc水冷並列4気筒から始まり、その後1000ccの『F4‐1000』シリーズにスープアップしてメインにしたものと、フルカウルを外した『ブルターレ』という派生車種です。


今までの『F4系』は全部センターアップマフラー仕様であり、テールカウル先マフラー出口に4本のパイプが並ぶ。迫力のショットガンサイレンサーでしたが、試作テスト中の『F3』並列3気筒は、右下縦3本並び出口のようですね。


直接のライバルである『トライアンフ・デイトナ675R』とは、水冷並列3気筒675ccエンジンレイアウトまで同じだし、『スーパースポーツ600クラス』レースの覇権を目指して戦いに打って出たい様子。


※MVアグスタ社としては、過去3気筒500ccだったWGPレーシングマシン(ジャコモ・アゴスチーニさんが乗った頃)の再来と強調しています。
わざわざアゴスチーニ氏を公開テストまで呼んで、乗って貰ってる映像をYouTube配信する程力入れてます。


さらに、このエンジン積んだブルターレ675モタード仕様まで計画しているらしい。


一番の問題は、本当にレース資金を調達出来るのか?
はたまた、その後会社の体力が保つかだわなぁ・・・

(-_-#)
Posted at 2011/06/19 21:14:15 | コメント(2) | トラックバック(0) | モブログ
2011年06月16日 イイね!

避けては通れぬ話・・・

避けては通れぬ話・・・マン島TTレースの話です。先週の続きまだやんの?と思うかもしれませんが、みんカラ見回しても書いている人は殆ど居ないんでホンの参考までに。

写真は今年参戦した唯一の日本人、『松下ヨシナリ』選手のofficialから拝借しました。

どう見たって普通の住宅地の公道でしょ?。ソコをレーシングマシンがレーシングスピードでブッ飛んで行くという訳。

当然エスケープゾーンなんてものはハナから存在しない。もっと狭い民家の石壁を縫うような地点も有り、石壁の前に藁束をクッション代わりに置いてある程度。路面にはうねりや段差も当たり前に有って、「パラフブリッジ」という名物ジャンピングスポットでは、10m以上空中を飛んで着地するような凄いトコまで有ります。

一瞬の判断ミスやマシン挙動を読み間違えたらあっという間に向こう側の世界へ行ってしまう・・・

誠に残念ながら今年も、サイドカークラス選手2名、スーパースポーツ600クラス1名の3人の方がお亡くなりになりました。謹んでお悔やみ申し上げ、ご冥福を祈ります。

マン島TTレースのWikiを見ると、1907年第一回開催から既に220人以上の方が亡くなっています。(別開催のマンクス・グランプリを含む)

マン島TTレースは過去世界グランプリ選手権にも組み込まれてました。(1976年まで)
日本のホンダが世界のホンダへ大きく飛躍し変貌した歴史も、創業者『本田宗一郎』さんによる、有名なマン島TTレース参加宣言から始まったものでした。

当時若き『高橋国光』選手も期待に応えて、1961年当時西ドイツGPレースで日本人として初優勝し、メインポールに日の丸を掲げました。(当時日本には舗装されたサーキットはまだ無く、荒川のテストコースだけなんだから凄い!)

翌62年は、1・2戦連勝で第3戦マン島TTレースを迎え、余程乗れていたのか、皆がアクセル戻す場所を全開で走れたとか。同僚達が、「ソコを全開で走り抜けるのは危険だから止めておけ」と、言われていたその場所を1周目から全開で走りクラッシュしてしまい瀕死の重体に。後に4輪への転向を促すキッカケとも言える場所でも有ります。(昔2輪乗り始めた頃、高橋国光さんの著書“恐怖を背中にはりつけて走った”を読んだなぁ)

そして随分後の2006年の時。予選中の『前田淳』選手がトラブルでスローダウンした時、後続車が気づかずモロに追突してしまい、一週間近くの懸命な治療も及ばず2006年6月6日に亡くなってしまいました。

前田淳選手とは少しだけ縁が有ります。もう12年位前の茂木サーキット本コース開催の、2輪車セーフティーライディングスクールの先導インストラクターをして貰った事が最初。

そしてもうひとつは何年前だったか…鈴鹿8時間耐久レースで、前田淳選手と青木治親選手ペアが総合10位ゴールだった年だった。
その年オイラはとあるツテで、前田選手組の隣ピットでとあるチームのピット作業を手伝っていた。
ゴール後の前田選手組チームの嬉しさ爆発大騒ぎが物凄くて(クラス優勝だったか?)、通りがかりの人間まで巻き込んで、そこら中にビールやらジュースやら掛けまくり。しまいにはクールダウン用子供用プールの水をすくって水掛け合い大合戦に発展。オイラも当の前田選手本人から思いっきり顔に水を浴びせられてしまい。いたずらっ子のようなあの笑顔が忘れられない最後になってしまった・・・

謹んでご冥福を祈ります。(-人-)

確かに2輪レースはある程度危険が伴いますし、事故で亡くなるのは大変悲しい事です。
同じ2輪サーキットレーサー達からでさえ「クレイジーだ!」と、言われる程のレースが何故100年以上続いているのでしょう。

少し飛びますが、2006年石原都知事と三宅島町長がマン島TTレースを視察し、『三宅島ロードレース』開催構想を表明しましたが、大モメにモメて結局島内ツーリングイベントに変更されました。勿論危険だと言う反対派の主張は十分理解出来ます。しかし、日本人に大きく不足しているのは、大人をあまりにも子供扱いする事ではないだろうか?

危険な事を承知の上でも走りたい奴は走る。それが正しいとか間違ってるとか、責任はどうするかは置いといて、過去からのスピードの歴史とは結局そういう事だろうとオイラは認識しています。

英国では、1分1秒1マイルでも速く走り記録を残す。万が一亡くなってしまうのは悲しい出来事だが、そのチャレンジを皆で一緒に見届け続けるという大人な国なんだと思います。

カメラマン磯部孝夫さんのまんとう写真日記を見ても、90歳の母が見物したいから連れて来たという65歳の息子との親子連れと出逢います。磯部さんが90歳の母ジェニーさんに、「今年のマン島はどうですか?」と聞いたら、「エクセレント!」とお答えになる。コレが根付いている文化という事かと。

近年はスーパーバイクTTクラスの1周約60Km平均ラップタイムが、130マイル(約208キロ)近くまで上がる程高速になり、益々危険なレースとの認識も広がりつつありますが、きっと来年も開催し続ける事でしょう。

いつかは生観戦してそんな文化に触れてみたいと本気で思います。

Posted at 2011/06/16 00:24:43 | コメント(2) | トラックバック(0) | モブログ
2011年06月12日 イイね!

一昼夜の見頃

一昼夜の見頃ウチのサボテンの花達は、随分前に知人から分けて頂いた物ですが毎年よく咲いてくれます。
種類は孔雀サボテンだったかな?


何シテル?で夕方撮った花は、昨日夕方から花びらが開きだし、精一杯開いた後今は既に萎んでしまいました。


『花の命は短くて苦しき事のみ多かりき』


なんて言葉もありますが、たとえ短くとも「一花」咲かせられるならそれもまた良し。


翻って自分は咲いた時が有ったのか?
はたまた、未だ蕾でこれから咲くや否や?


思いつき星人なんで大して深い意味はありませんが・・・
たまには哲学的感傷に浸る夜もあるんだなぁ!(笑)

(*^o^*)
Posted at 2011/06/12 21:49:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2011年06月11日 イイね!

99.604マイル

はじめに。
こちら初めてご覧の方も、いつも見に来て頂いてる方にもちょっとお詫び致します。


自分で書いてるブログながら、後で読み返すといつも不親切だなぁと呆れますから・・・(恥)
普通は、歴史有るイベントの時代背景なり、レースレギュレーションの詳細など説明を書いてからレース結果を書くべきでしょうからね。


その辺は自分の為にしか書いていないという不徳の致すところでありますが・・・
出来ましたらご自身で、『マン島TTレース』Wikiでもご覧下さいませ。
m(_ _)m




◎TT‐ZEROクラス決勝レース結果(全1LAP)

※上段ライダー名・中断マシン名・下段チーム名・最下段公式タイム

1.Michal Rutter
2011 Moto Czysz E1PC
Segway Racing ・Moto Czysz
22’43.68 ※平均速度99.604マイル

2.Mark Miller
2011 Moto Czysz E1PC
Segway Racing ・Moto Czysz
23’01.93 ※平均速度98.288マイル

3.Geoge Spence
ION HORSE 2011
Ecotricity Kingston
25’39.90 ※平均速度88.435マイル

4.Allan Brew
BMW
MIT EVT
28’35.81 ※平均速度79.163マイル

5.Yoshinari Matsushita
Prozza TT zero-11
Team Prozza
32’23.81 ※平均速度69.877マイル

以上完走5台


残念ながら…、あと1マイル弱残して所謂『オーバー・ザ・トン』ならず・・・


1位の『マイケル・ルター』選手は、バッテリー残量を考慮してアクセル全開はセーブした模様です。
『99.6マイル。それが僕の人生物語さ…。バッテリーを保たせなければいけなかったからスムーズなライティングを心掛けた。でも本当に楽しかった。もう少し時間が有ればもっと上手くやれたと思うね。』


アクセルセーブしながらも、サルビーストレートの最高速は149.5マイル(約239.2Km)を記録しました。
※一昔前の600cc100馬力市販車のレベル(昔乗ってたCBR600F-Ⅱ逆車でまさにこの辺り)


凄く速い強敵だなぁ・・・コレは来年間違いなく達成しますね。
日本も負けていられません。ガンバレニッポン!
o(^-^)o


さてマン島TTレースも残すはセニアTTのみながら、一部雨の為ディレイ中みたいです。
松下ヨシナリ選手の力走と無事を祈ります。

(-人-)
Posted at 2011/06/11 00:59:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | モブログ

プロフィール

「スズキDR-Z4S 試乗記事は絶賛が多いな (コスパ割安とか?)https://www1.suzuki.co.jp/motor/lineup/dr-z400srjm5/
何シテル?   10/17 07:23
スミスミと申します 二輪レース好きなので、ブログ記事はあくまでも二輪車優先です。 偏った懐古志向と、スバルネタはごく稀にしか出しませんから…悪しからず!...
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