2009年09月06日
姑入院から毎日行ってた病室。
高齢者が併発する肺炎の影響を目の当たりにした1週間でした
8月28日、
夕刻姑の病室へ行くと、姑の言葉が聞き取りにくくなっていた
相変わらず「おにぎりを食べた」「気を付けて帰りや」と言おうとする姑。
31日に主治医から現状の説明を受ける予定ではあったけど、素人目にも衰弱が明らかで・・・、
近い未来に意識不明になるのだろうと思い、涙が出ました。。
仕事で週1回しか病室に行ってない旦那は、気楽にも31日にゴルフの予定を入れてたので、28日夕刻、泣きながら電話で旦那に現状を報告。
旦那は28日面会時間終了ギリギリに病室を訪れて姑と面会。
その時は、姑が何を言ってるか旦那に判別出来なかったとの事。。
当然ゴルフはキャンセルして貰いました
東京にいる息子には手術日が決まってから連絡しようと内緒にしてて、28日夜に初めての連絡が厳しい現実。
でも泣けて泣けて私がろくに喋れなくて旦那に電話渡して説明して貰いました。
その電話中にもう一人の姑(旦那の実母)から電話があったけど喋れる状態では無かったので娘に出て貰ってました。
29日は13時まで病院事務パート。
10時過ぎに病棟から内線電話がかかり、
「主治医は今日明日休みですが、昨夜から呼吸が弱くなったので今日朝から検査した結果を病棟当直医から説明させて頂きます。
ご主人も必ず聞いて頂きますようお願いします。」
半泣きで旦那と娘に連絡を取り、呼び出しがあった事を上司に報告して病室へ。
家族揃ってから先生を待つ間は姑の病室で。
姑の様子は前日見た時よりもまた落ちていました
聞いた内容は大変厳しい状況で、いつ急変するか分からないとの事で。。
でも、
まさかその当日に亡くなるとは思って無くて・・
旦那も私も娘もそれぞれがすべき準備に奔走しに行った後、旦那の実母と、ちょうど会いに来た姑の姪っ子が看取ってくれました。
一人ぼっちで逝かせなくてホント良かった。
寂しくて悲しいけど、最期まで苦しまずに息を引き取る直前までうなずいたり首をふったりして呼びかけに反応してくれてた姑。
安らかな最期、舅がそっと迎えに来たのかな。。
30日お通夜
31日に葬儀でした。
田舎なので自宅(1階にある田の字の和室4室)での葬儀。
でも、めちゃめちゃ大変で・・毎日倒れそうでした
ただ、忙しい事で悲しむ暇が無い事がかえって良いと言う人もあるそうです。どうなんでしょう。。
子供世代にはこんな大変な事無理なので、私の葬儀はホールでしてね、って子供に言ってます
去年は9月末に帰省した息子が今年は7月に帰省してくれて姑と会えたこと。
来年1月まで大阪在住の予定だった娘が半年短くして実家に戻ったゆえ、姑と何度も会えた事。
色々巡り合わせを感じます。
実は、
家族の死に直面し、ひとつ決心した事があります。
次回報告しますね。
Posted at 2009/09/06 22:24:48 | |
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