2011年06月01日

ガソリンスタンドで満タン給油して10kmちょい走ったあとコンビニに寄って燃費を確認したら過去最高記録。モノの見事にカタログ燃費を越え(GD1Fitは24km/ℓ)道が空いてるなーとは思ったが、ここまで伸びるとは。もっとも家に帰る頃は22km/ℓあたりに落っこってたが。
Posted at 2011/06/01 18:24:51 | |
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戯言 | 日記
2011年05月21日
前回のオイル交換から半年5000kmほど経ったので、ディーラーへオイル交換に行ってきた。ついでに一月程前にリコールあるから早よ来いとの2通目の手紙をもらっていたのでライトスイッチのリコール修理もしてきた。
オイル交換・リコール修理とも特に問題なく合わせて1時間ほどで終了。家に帰ってきて、まだ時間があったので、折角だからとタイヤローテーションをしてみた。
タイヤローテーションといっても、後ろのタイヤの方が減っていたので左右交換のみ。タイヤローテーションは前後交換がいいという人もいるだろうが、右タイヤの肩あたりが特に減るのでこのまま前後交換のみだと非常にバランスが悪くなってしまうと判断、左右交換をしてみた。前後交換をしないのはFitがFF車で前タイヤの方が減りが早いため。フロントタイヤを酷使するFF車にはなるべくグリップの大きく溝のあるタイヤを前に履かせておきたい。
個人的には左右交換のタイヤローテーションをやるかどうかは人それぞれというか、乗り方と車によるんじゃないかと思う。左右交換でタイヤのクセがリセットされてバランスが崩れてしまうという意見もあるが、同じ車でも乗り方によってタイヤの磨り減り方は十人十色だろうし、片側だけがどんどん磨り減っていく様だったら左右交換をした方がいいんじゃないだろうか。そうすればトータルでのタイヤの寿命も伸ばせるし、片側が減ってバランスが取れないよりはずっといいと思う。もちろん均等に減るならば前後交換にとどめておいた方がいいだろうし、ローテーションの仕方は自分の車と向きあって考えていくしか無いのだろうというのが私の考えだ。
今回タイヤローテーション時の総走行距離は55941km。前回が50966kmなので4975kmほど走っての交換。タイヤ交換時の距離数が46026kmなのでもうすぐ10000km。溝の深さは大体前がそれぞれ6~7ミリ、後ろが5.5~6.5ミリ程度。前回ローテーション時は5.8ミリと6.0ミリなので・・・あれ?増えてるw
気温上がったから伸びたってワケでもないだろうけど、あんまり減ってない、変わってないと判断しておこう。オイル交換のときのディーラーのチェックでも前7ミリの後ろ6ミリとなってるから測り間違いではないと思う。ついでにこれが事実ならZIEX ZE912は5000kmあたりからの持ちがいいってコトになる。ちょっと減りが早いなと思っていたタイヤだけに、これは嬉しい誤算だ。
Posted at 2011/05/21 23:11:24 | |
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メンテ | 日記
2011年05月09日

家に着いたら偶然55555キロのゾロ目ゲット。
Posted at 2011/05/09 22:26:11 | |
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2011年04月11日
東日本大震災から今日で1ヶ月。皮肉にも午後5時過ぎに大きな余震が起こり、1ヶ月前と同じような群発地震が続く中でこの日記を書いている。折角なのでここ暫くゴタゴタで書けなかった震災当時のことを書いておこうと思う。
震災当日、直前にガソリンスタンドに入り給油を終え、コンビニでも行くかと車を動かした直後に地震に合った。しかし、車で走行中だったため、どうも車がふらつくのでパンクでもしたかな?と最初思っていた。スピードを落としてもふらつきは治らず、ラーメン屋の駐車場に車を止め、それでもガタつきが治らないので、はてこれはもしやエンジントラブルかと思いエンジンを切った。しかしそれでもガタガタとガタつきは治らないのでさすがにこれはおかしいと思い、外を見ると電信柱が大きく揺れ、ラーメン屋から店員が飛び出してきて、そこで初めて地震だと気づいた。
出てきた店員は揺れで立ってはいられない状態で、揺れが収まって山の方をみると黄色い霧のようなものが風に流されていくのが見えた。おそらく山に生えている杉の花粉が地震で揺らされ、大量に飛んだのだろう。しかし、ちょっとやそっとで飛ぶ量でないので、一目散に家に帰った。
帰る途中、地震から2分も経っていないのに信号は消え、道の横に新しく据え付けられた巨大な花瓶は上の方にヒビが入っていた。
家に帰ると屋根に据え付けておいたTVのアンテナは倒れ、かろうじて足と針金で引っかかっている状態。幸いタンスはひとつ倒れただけだったが、それぞれの部屋は食器棚のコップが飛び出し割れたり、TVが倒れたり、本が散乱していたりと、とにかくゴチャゴチャ。
奥の家にいる祖父母の無事を確認したあと、玄関を開けたままにさせて逃げ口を確保させた後、とにかく水を確保するようにと告げ、風呂の水は抜いていないのでそのままにして、飲み水の確保をさせた。同時に母屋でも空きのペットボトルが無いので散乱した食器類の中から大きめのタッパーなどに水を入れて飲料水を確保した。ウチには町の水道と庭先にある井戸からの水道の二つがあるが、停電によりポンプが止まったことから井戸の水道は水が出ない。一方、町の水道は地震が起こってからすぐは水が出ていた。かつて小学生の頃、社会科見学で町の浄水場を見学に行った時、一旦町の西側にある山にあるタンクに水を貯めて配水しているのでパイプさえ無事ならば停電してもタンクがカラになるまで暫くは水道が使えると言っていた言葉を思い出した。まさかあの時の知識が役に立つ日が来るとは思いもしなかった。
水の確保を済ませた後は停電がいつまで続くのかわからなかったので夜に備えて明かりを用意。その後、明るいうちに夕飯を済ませ、いつでも逃げ出せるように着替えなどの荷物をまとめるよう祖父母に伝え、自分もドラムバッグに着替えを用意し、ライトとラジオに使う車庫にある倉庫から撮影旅行に使っていた大きなリュックサックを引っ張り出してきた。
大小様々な余震が2~3分ごとに起こる中、出来る範囲で部屋の中の片付けをしているとあっという間に夜になり、始めに父が、夜遅くなって母が帰ってきた。夕飯はガスコンロがLPガスで最初の着火だけなんとかすれば火が使えるのでヤカンでお湯を沸かしてカップ麺。いつでも逃げ出せるように部屋着ではなく普通の服を着たまま寝ることになった。
翌日、余震続きでロクに眠れないまま朝を迎え、冷蔵庫にあった餅で軽い朝食。改めて被害状況を確認してみると、昨日の被害の他、風呂場のタイルが割れ、ドアの一つが家が歪んだことで下に触るようになり、祖父母の家では外壁の漆喰が剥がれ落ちた。もともと立て付けの悪かった玄関の扉はさらに開きが悪くなり、釜場では竈が崩れ使用不能になっていた。
家の周辺をみると前の家の瓦が落ち、道に出てみるとブロック塀があちこちで崩れていた。酷いモノになると土台のコンクリだけを残してブロックや石の部分が全部落ちているのも少なくない。
朝食を済ませると高校時代に使っていた自転車のタイヤに空気を入れ、撮影旅行で使っていたリュックを背負い、買出しに出かけた。万が一のためにすぐ取り出せるようにしておいたリュックを使うことになるのは複雑な気持ちだった。リュックには筆記用具、予備の財布、ライトなどを入れておいた。4キロほど先のスーパーでは既に長蛇の列。すぐ近くのドラッグストアに足を向けると1時間ほどで開店するとの張り紙があったのでコレに賭けることにした。ほぼ先頭で1時間ほど待つと整理券を渡され、整理券の番号順に店員が付き添い、買う品物を店員が記録していく買い方を支持された。ほぼ先頭で店に入ったことで水は一人1本、計20品目の制限はあったものの電池やレトルトの白米、カップ麺を手にすることが出来た。停電中の店内は真昼間なのに薄暗く、明かりがないとロクに品物が見えないぐらい。持って行ったライトが早速役に立った。その店での買い物を済ませ、並びのもう一つのドラッグストアも寄った。こちらは既に店が開いており、中はかなりの人混み。こちらの店は各自が品物の品名、値段、バーコード番号をメモして会計時に渡すという方法だった。全て無制限で買い物が出来たため水を始め殆どのものが品薄状態。何故かソーダ割りなどに使う無味の炭酸水は大量に残っていたため使うときに振って炭酸を抜けば単なる水として使えるだろうと何本か購入。他に棚に残っていたカップ麺やカロリーメイトなどを手にして会計のための列に並んだ。しかし丸々店内を一周する列はいつまで経っても進まず、結局精算を済ませて店を出たのは5時間後のことですっかり日が暮れていた。
幸いにして住んでいる場所は復旧が比較的早く、13日には電気が、14日には水道が復旧し、地震から10日ほどはガソリンが手に入りづらかったが、全く車が動かせないという状態になならずにすんだ。現在もスーパーなどでは空きの棚が見られるものの大分品揃えはよくなり、閉まっていた店も開くようになった。
しかし東北ばかりクローズアップされているがここ茨城も被害が無いワケではない。那珂川を超えて北に行くほど被害は酷いし、沿岸部は津波にやられている。県南では潮来近辺が液状化現象を起こして断水中だ。確かに東北同様に酷くはない。ただ、場所によっては「東北よりはマシ」程度の被害地域もあるということを忘れないで欲しい。
比較的被害の軽かった県央でも塀が崩れている場所は無数にあり、瓦が落ちてブルーシートが掛けられた家が目立つ。市役所は柱が崩れて使用できなくなっている。神社の鳥居は崩れ落ち、道路はマンホール周辺や橋の両脇が窪んで段差になっている。日が経つごとにその数と酷さは増し、あちこちがデコボコだらけだ。少し思いつくだけでこれだけの例が挙がるのはここも被災地の一つであることの証明だといえよう。
Posted at 2011/04/11 22:48:24 | |
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戯言 | 日記
2011年03月17日
東北関東大震災、とりあえず家族全員無傷で無事です。
怪我は無かったとはいえ、家はTVのアンテナが倒れ、風呂場のタイルや壁はヒビが入り、停電・断水も経験しました。地震後のドタバタで連絡が遅れました。
Posted at 2011/03/17 22:09:20 | |
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戯言 | 日記