
先週末は何してるに書いていた通り、宮城県の気仙沼市までボランティア活動に行って来ました。
その経緯を書いておきたいと思います。
今回、嬬恋スノーラリーの主催で知られるBICCの関係者の方が、気仙沼のNPO団体と連絡を取り合って、ボランティア活動のラインを確保してくれました。
(災害救助従事者として、自治体への登録と保険の契約、高速等の通行料免除の申請等々)
そして、群馬県内のラリー関係者を主体に、スポットのボランティア参加を募集してくれたので、直前で同行に名乗りを挙げてくれたithaca氏と一緒に便乗させてもらってきました。
実は、当日まで主な作業内容が知らされていなかったので、恐らく瓦礫の撤去と言う話を頼りに装備を整えて向かいました。
○持っていった物
・ゴーグル ・マスク ・帽子
・長靴(安全靴タイプ) ・軍手(ゴム製)
・動きやすく暖かい服装 (ジャージ + ツナギ + レインスーツの三重)
・着替え
・ハンマー ・のこぎり ・バール ・ペンチ ・ニッパー ・パンタジャッキ
・チョコバー ・絆創膏 ・消毒液
○忘れた物(あると便利だったもの)
・ヘルメット ・ライト ・アマチュア無線機
・チェーンソー ・スコップ ・竹ぼうき
・釘防止長靴(底まで鉄)
○持って行った支援物資
・ジュース1.5L x30本
・夏みかん x70個
・絵本 20冊位
・メモ帳 ノート カレンダーの詰め合わせ (勤め先の提供品)
これらをすべてCR-Zに満載して(相変わらずよく入る♪)集合場所の草木ドライブインへ向かい、マイクロと2tトラックに分乗して現地に向かいました。
道中はドライバーさんにお任せなので、添加剤を投入しつつ、じっくり寝て鋭気を養いました。
途中の東北道は地震の影響でかなりうねりが出来ていましたが、バスに乗っている限りは快適でした。
気温は恐らく2~3℃だったので、激寒いというほどではなかったので助かりました。
気仙沼も、部分的には電気や水が復帰してました。
そして、朝の7時過ぎに活動拠点となる海岸亭に到着です。
ここで、先行活動されている今回の責任者様と、栃木の山岳会の皆さんと合流して、装備の点検と活動内容の確認をしました。
今回は、自動車屋さんの復旧 ・ 風呂釜の回収 ・ 海岸沿いで被災した民家のがれき撤去や私物の回収が作業内容でした。
そして、特殊なスキルもない我々は、がれき撤去に向いました。
高台の海岸亭からは余り見えなかったのですが、坂を下りて海岸に近づくにつれ、テレビの報道で何度も見てきた惨状が目に入ってきます。
土台だけ残して流された家、中身が空っぽの店舗、屋根に乗った車、陸に上がった船、更には飛び火で真っ黒になった漁船、波に崩された堤防、地盤沈下して浸水している道路
書き始めたらきりがありません。
とにかく、目に入ってきたとたん、絶句するしかありませんでした。
そうこうするうちに、今回がれき撤去させてもらう家の人々が避難している公民館へ到着しました。
持ち込んだ支援物資を降ろしてから、ボランティアを希望されている人の家に向いました。
私は5人のチームに入り、まず2階まで浸水してしまった家の女将さんの荷物を取り出す作業に入りました。
外観は無事なのですが、一階は波でめちゃくちゃになり、溢れる水が天井を押し上げて2階の天井付近まで水浸しとなってしまったようでした。
幸い、女将さんはお母さんをデイサービスに連れて行っていたところだったので難を逃れたそうです。
でも、お母さんのためにリフォームしたばっかりだったので、もう、住み様がないしこれからどうしようと困り果てていました。
二階ではタンスも水浸しになり、引き出しを開けられなくなってしまっていたので、申し訳ないながらバールで解体させてもらいました。
その後、残った荷物を取りに行き易いように1階から2階への通路を確保したりさせて貰ったのですが、我々に遠慮しているのか「そこまでしなくていいよ」と言い続けていました。
そして、粗方片付くと、「ありがとう」と言いながら、メンバーにチョコを手渡してくれました。
感謝してもらうような立場でもないのに、申し訳なくなってしまった。
次に、隣の家で作業している山岳会の皆さんと合流しました。
そこは、津波で家が完全に崩壊してしまい、家と家財道具が全てごちゃ混ぜになってしまったところから、使えそうなものを発掘しつつ、がれきを一カ所にまとめる作業でした。
柱や壁を掘り返しながら、出てきたタンスや戸棚から使えそうなものを家主に渡していきます。
バールにチェーンソーにハンマーと使える道具で解体した後は、ひたすら人の手で運ぶだけです。
重機が使えればあっと言う間なのでしょうが、それでは貴重な家財道具まで粉砕してしまうことになります。
やはり、人の力でやるしかないのでしょう。
しかし、釘やガラスが至る所に隠れている不安定な足場での作業になるので、非常に危険です。
実際、一度釘を踏み抜きました・・・。(その場で応急処置したので、もう大丈夫です。)
作業自体は15人程が一気に取り掛かったので、3~4時間ほどで底が見えてきました。
その辺りで我々は時間切れとなってしまったので撤収させてもらいました。
山岳会の皆さんは、年配の方ばかりでしたが、登山をしているだけに我々よりもタフに見えました。
そこでも家主さんからお礼を言われ、コーヒーを頂いてきました。
有難がってもらえたのは良かったのですが、必死で建てた家を地震と津波で壊され・・・更に家財を探すためとはいえ、他人の手で更に無残な姿にされていくのはどんな気持ちだったのだろかと、作業を終えて帰る車の中で、辛い気持ちになってしまいました。
それでも、一度は更地にしなければ、次の一歩が始められないはず・・・と思い込むことにしました。
現地の外で見かけた子供たちは、元気に遊んでいましたが、大人たちはやるせない表情の方がまだ多かった気がします。
特に、我々に近い年代の人にやることを見いだせないような雰囲気を感じました。
それに対し、年配の女性にパワーを感じました。
それでも、こちらから挨拶すると、「ご苦労様」「ありがとう」の声を返してくれました。
本当に暖かい方ばかりです。
また、現地で活動しながら往復の運転までしてくれたドライバーさんはほんとご苦労様でした。
今回の活動を主催してくれたBICCでは、一か月以内にもう一回はボランティア活動に向いたいと言っていたので、その時も参加したいと思っています。
今回足を踏み入れたのは、ほんの一角です。
とても、1~2年では片が付くはずがないので、チャンスのある限り足を運びたいと思います。
特に今回行ってみて、何時分配されるのか判らない募金をするよりは、実際に足を運んで物を届けた方が良いと思えてきました。
(どっかの、横領疑惑とかもあるので、出来る限り直接行きたいものです)
とは言え、時間と場所の関係もありますので、出来る方は募金もお願いします。