今日は京都府与謝野町にある
『加悦SL広場』に行って参りました
この
『SL広場』は、1926年(大正15年)~1985年(昭和60年)まで運行していた、
『加悦鉄道』の
『鉱山駅』の跡地に造られており、
『加悦鉄道』で活躍した車両の他、
『国鉄』の車両なども展示されています
▽旧京都市電 NO.5車(其の壱)
2009.11.01 013 posted by
(C)鹿之介
小生の愛馬と並んでの撮影です
▽旧京都市電 NO.5車(其の弐)
2009.11.01 014 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
小生の亡くなった祖父や祖母はこの車両に乗った事があるかも知れないと思うと、感慨深いものがあります
▽旧加悦鉄道 キハ08形(其の壱)
2009.11.01 097 posted by
(C)鹿之介
現在は、
『SL広場』の食堂車と改造されています
▽旧加悦鉄道 キハ08形(其の弐)
2009.11.01 098 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
▽旧加悦鉄道 キハ08形(其の参)
2009.11.01 017 posted by
(C)鹿之介
木製のベンチとほのかに残るディーゼル車の匂いが時代を昭和に導いてくれます
▽旧加悦鉄道 キハ08形(其の四)
2009.11.01 022 posted by
(C)鹿之介
小生は
『SL力うどん』を頂きました
味うんぬんよりも、この貴重な歴史遺産のなかで食せた事に感慨深いものがありました
▽SL資料館(其の壱)
2009.11.01 031 posted by
(C)鹿之介
SL資料館は
『加悦鉄道』の
『加悦駅』を復元した建物になっています
▽SL資料館(其の弐)
2009.11.01 032 posted by
(C)鹿之介
2階の展示室には色々な物が展示されています
▽SL資料館(其の参)
2009.11.01 035 posted by
(C)鹿之介
この壁掛け式の電話を見ていると、
『ウルトラマンA』に出てきた怪獣
『ヒッポリト星人』の顔に見えてきます
▽SL資料館(其の四)
2009.11.01 040 posted by
(C)鹿之介
入場券が昔懐かしの
『硬券』の切符とは憎いです。しかもパンチまでしてある手の込みよう
▽旧加悦鉄道 ハブ3号形客車(其の壱)
2009.11.01 041 posted by
(C)鹿之介
木造の車体に
『三等客車』と明記されています
▽旧加悦鉄道 ハブ3号形客車(其の弐)
2009.11.01 042 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
▽旧加悦鉄道 ハブ3号形客車(其の参)
2009.11.01 043 posted by
(C)鹿之介
奥に荷物室が確認できます
▽旧加悦鉄道 1261号蒸気機関車(其の壱)
2009.11.01 046 posted by
(C)鹿之介
1923年(大正12年)製の機関車。1943年(昭和18年)に国鉄より譲渡され、1967年(昭和42年)の廃止まで使用される
▽旧加悦鉄道 1261号蒸気機関車(其の弐)
2009.11.01 045 posted by
(C)鹿之介
機関車の釜の内部です
▽旧加悦鉄道 2号機関車(其の壱)
2009.11.01 048 posted by
(C)鹿之介
この車両は日本で
『2番目に古い』車両で、加悦鉄道で297,800㌔を走行したそうです
▽
旧加悦鉄道 2号蒸気機関車(其の弐)
2009.11.01 050 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
▽旧加悦鉄道 2号蒸気機関車(其の参)
2009.11.01 051 posted by
(C)鹿之介
『2号蒸気機関車』の運転席です。
『イギリス』製ですが、奥に
『スリーダイヤ』のマークが見えますね
▽旧加悦鉄道 ハ4975形客車(其の壱)
2009.11.01 052 posted by
(C)鹿之介
明治生まれの木造客車ですね
▽旧加悦鉄道 ハ4975形客車(其の弐)
2009.11.01 054 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
▽旧国鉄 C57形蒸気機関車(其の壱)
2009.11.01 058 posted by
(C)鹿之介
以前、
『豊岡SL公園』でもご紹介させて頂いた事のある、
『C57形蒸気機関車』です
▽旧国鉄 C57形蒸気機関車(其の弐)
2009.11.01 059 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
▽旧国鉄 C58形蒸気機関車(其の壱)
2009.11.01 062 posted by
(C)鹿之介
有名な
『C57』(愛称:貴婦人、シゴナナ)や
『D51』(愛称:デゴイチ)に比べると少し影が薄いですね
実のところ、小生もこの車両については殆ど存じ上げません
▽旧国鉄 C58形蒸気機関車(其の弐)
2009.11.01 063 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
▽103号蒸気機関車(其の壱)
2009.11.01 064 posted by
(C)鹿之介
映画
『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』に出てきた蒸気機関車を思い出させます
▽103号蒸気機関車(其の壱)
2009.11.01 065 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
▽旧加悦鉄道 40900形気動車(其の壱)
2009.11.01 067 posted by
(C)鹿之介
柵で囲われた部分は一体、何に使われていたのでしょうか
▽旧加悦鉄道 40900形気動車(其の弐)
2009.11.01 068 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
▽旧加悦鉄道 40900形気動車(其の参)
2009.11.01 069 posted by
(C)鹿之介
『運転席』ですが、とてもシンプルです
▽旧加悦鉄道 40900形気動車(其の四)
2009.11.01 070 posted by
(C)鹿之介
小生がまだ幼かった頃に乗った
『京阪電車』の車両も床が板張りの車両があった事を思い出しました
▽旧加悦鉄道 40900形気動車(其の五)
2009.11.01 071 posted by
(C)鹿之介
ここで郵便物の仕分け作業でもしていたのでしょうか
▽旧国鉄 ヨ2000形車掌車(其の壱)
2009.11.01 072 posted by
(C)鹿之介
昔の貨物列車の最後尾には
『車掌車』が連結されていましたが、今は貨車の性能も向上し『車掌車』は不要になったみたいです
▽旧国鉄 ヨ2000形車掌車(其の弐)
2009.11.01 073 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
ところで、雲行きが少し怪しくなってきました
▽旧加悦鉄道 ハ10形客車(其の壱)
2009.11.01 075 posted by
(C)鹿之介
ひとつの車両で
『二等席』(青)と
『三等席』(赤)に分けられていますね
▽旧加悦鉄道 ハ10形客車(其の弐)
2009.11.01 076 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
▽旧加悦鉄道 ハ10形客車(其の参)
2009.11.01 077 posted by
(C)鹿之介
客車内部を
『三等席』側から撮影。仕切りの向こう側が
『二等席』になります
引戸を閉めれば、完全にセパレートされます
▽旧加悦鉄道 ハ20形客車(其の壱)
2009.11.01 079 posted by
(C)鹿之介
嵐のような雨が降ってきたので、客車内でひとり雨宿りをしました
▽旧加悦鉄道 ハ20形客車(其の弐)
2009.11.01 081 posted by
(C)鹿之介
雨が少し小降りになった時に慌てて撮影しました
▽旧加悦鉄道 ハ20形客車(其の参)
2009.11.01 082 posted by
(C)鹿之介
この車両の能書きです
▽旧加悦鉄道廃線跡(其の壱)
2009.11.01 107 posted by
(C)鹿之介
かつて、
『加悦鉄道』の鉄路が敷かれていた路盤は
『サイクリングロード』として第二の人生を歩んでいます
▽旧加悦鉄道廃線跡(其の弐)
2009.11.01 108-1 posted by
(C)鹿之介
『加悦鉄道』の
『加悦駅』の駅舎は加悦町町役場の新築工事に伴い、曳き家工事にて現在地に移動して、
『鉄道資料館』と
『観光案内所』として利用されています
▽旧加悦鉄道廃線跡(其の参)
2009.11.01 109 posted by
(C)鹿之介
加悦駅駅舎の能書きです
▽旧加悦鉄道廃線跡(其の四)
2009.11.01 110 posted by
(C)鹿之介
建物のウラに国鉄時代そのままの
『コンテナ』が置かれていました
『戸口から戸口へ』のキャッチフレーズを探しましたがなかったです
▽旧加悦鉄道廃線跡(其の五)
2009.11.01 111 posted by
(C)鹿之介
『待合室』の風景です。壁掛け式の時計がいい感じで似合っています
▽旧加悦鉄道廃線跡(其の六)
2009.11.01 113 posted by
(C)鹿之介
数多くの資料が展示されています
▽旧加悦鉄道廃線跡(其の七)
2009.11.01 114 posted by
(C)鹿之介
かつて、駅の掛けられていた駅名の札が展示してありました
▽旧加悦鉄道廃線跡(其の八)
2009.11.01 115-1 posted by
(C)鹿之介
『加悦鉄道』の始発駅、
『野田川駅』に来ました
『野田川駅』は、1990年(平成2年)に
『丹後山田駅』から改称されました
▽旧加悦鉄道廃線跡(其の九)
2009.11.01 117 posted by
(C)鹿之介
現在のホームの状況から、かつて
『加悦鉄道』が走っていた頃の風景を窺い知る事は難しいです
▽調査の足跡
2009y11m03d_231039571 posted by
(C)鹿之介
▽あとがき
今回の
『廃線を往く』の調査で採り上げた
『加悦鉄道』ですが、2009年の視点からみれば、なぜこんな過疎化の著しい地域に鉄道が走っていたのか理解に苦しむ部分があります
しかし、ここで重要なのは、
『我々は歴史を常に後側からしか見ていない』という事です
この
『加悦鉄道』も後側から見れば、
『モータリゼーション化』・『若年人口の流失』・『丹後ちりめんなどの地場産業の衰退』などによる経営不振からの廃線という事しか分かりません
だが、
『加悦鉄道』が開通した当時の状況はどうだったのか考えてみれば、自ずと見方は変わります
開通した1926年(大正15年)当時、日本の主要産業といえば、映画にもなった
『あゝ野麦峠』に代表されるように、繊維工業などの軽工業でした
『丹後ちりめん』を特産品とするこの地域も、当時は大いに賑わい、明治時代に但馬(兵庫県)の出石から遠足にやってきた小学生が、小さいながらも商店が立ち並ぶ加悦の町並みを見て「ここは日本かと」と言ったそうです
当時の街の賑わいを残すモノとして、今は
『ちりめん街道』として街並みが保存地域に指定されています

(今回は、残念ながら雨がきつかったので、ちりめん街道の調査は致しておりません

)
このように開通した当時の状況から見れば、ここに鉄道が走っていた理由がよ~く分かりました
今回の調査を通じて小生の心には、
『平家物語』の有名な一節が浮かびました
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響有り。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる者も久しからず、唯春の夜の夢の如し。
たけき者も遂には亡びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
長々の随筆を読んで頂きまして、誠にありがとうございました

Posted at 2009/11/01 21:54:45 | |
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