
「時の止まった世界はユートピアだ」
という言葉は諸星大二郎先生の
名作「マッドメン」にあるセリフの一部なんですが、
近頃この言葉が心に響いているというか、
なんだかやるせない気分になりましてね。
大分頻度は減っているものの、
フィルムで写真を撮る事があるんですけどね。
こないだ近所のキタムラに撮影済みのフィルムを持って行ったら、
アルバイトとおぼしき女の子の店員が対応してくれたのですが、
「同時プリントですね?」
って聞かれて、
「いえ、現像のみで…。」
「では現像とインデックスプリントですね?」
「いえ、インデックスもいらないです。」
「え?いらないんですか??」
まぁ別にそのくらいのことはままあるかと思いました。
でも、ちゃんとフィルムの種別を確認しているかに見えたのですが、
店内処理用の袋に必要事項を入れて
仕上がり日付に当日の日付を書き始めたので、
「あ、これリバーサルなんですけど…」
と慌てて確認を入れました。
「え?え?…少々お待ちください…」
向こうも何かしらの異常に気づいたのか、
近くにいた別の店員さんに相談を入れたのですが、
「あの、インデックス無しのお客さんが…えーっと」
……。
いや、それは質問の内容が合ってないよ。
「こちらフジカラーでの処理になります。」
うーん…。
「すみません。コダックで処理してもらえますか?」
「あ、あぁ、コダックですね。そうです。」
「お急ぎですか?」
急いでいたらここには来ないけど…。
とまぁ年々やり取りがめんどくさくなって来ています。
まぁ最後のラボの指定については、別にフジカラーで処理してもらっても問題は無いのだけど、
どんどん悲しい時代になってきたものです。
ちょっと前まで写真と言えばフィルムで撮るのが当たり前だったし、
特に困る事もなかっただろうにね。
数ヶ月前にコダックがリバーサルの生産終了をアナウンスしたばかりだというのに、
町の写真屋さんがもうコレだものね。
別に怒っているわけではないんですけどね。
どうしてみんなはこうも急な変化を受け入れられるんだろうか?
それとも僕の感覚がおかしいのかなぁ?
昔、デジタルビデオが出始めた時に、
映画作家の人たちの一部では、
「やっとフィルムは解放された」
って別の意味で歓迎していたんですけどね。
情報メディアとしての映像はビデオに完全シフトすることで、
フィルムは純粋に芸術のものになるのだ。
という解釈だったようですが、
あっというまに、フィルムが駆逐されてしまいましたね。
もはや、映画館に行ってもただ大きなビデオでしかない。
良いのか悪いのかという二元論では語れないにしろ、
なにかこう違和感を感じてしまうのです。
便利という点ではいろいろ利点もありますが、
デジタル化という意味では、どこかしら不完全なところも散見できる今のデジタルカメラの世界。
先の映画にしてもデジタルの画質を活かすなら、
スクリーン投影よりもディスプレイ化だろうし、ヘッドマウントとかで見る方が、
映画館で見るよりもずっと迫力もある。
結局は、映画館で見るという行為が魅力なんですよ。
と映画会社は言っているけどいまひとつ説得力が無いし。
カメラについても、未だに「カシャ」っていうシャッター音をわざわざ付けている。
別にブザーやメロディでも良いのにね(一部の安価なカメラはそうですね)。
結局、デジタル便利とか高性能とか言いながらも、
使うのは人間で、フィジカルな部分に頼らないとデジタルを理解することが出来ないということなんでしょかね?
ちょっと話がそれますが、
データベースというモノがありますが、
大雑把には概念という方が良いのかもしれませんが、
これを人に説明する時、苦労した覚えがあります。
未だに苦労する時もありますが、
結局、目に見えて手に取れないと理解できないという人のなんと多い事か。
「そんな難しいものは使えないですよ。」
なんていう反応が多かったが、
身の回りにある情報のほとんどがデータベースによって管理されていることに気づいていないみたいで、
それまで説明するともうややこしいので、
ある時期を境にもうそういうことは言わないようにしていたんですけどね。
さて話がそれましたが、
いきなり結論として、
共存って出来ないもんですかねぇ?
車でも、
「今時マニュアル?なんで?」
いるよ。こう言う人。
そのあと続けて言われる事が多いのが、
「大変じゃね?」
ナニが?
マニュアルの方が車の機構を理解しやすいし、
より理論的な操作が可能ということは、みんカラやっている人たちは大体理解しているのでしょうけれど。
そりゃ確かに、上り坂の渋滞が続くと左足が大変なことになりますけれど(笑)。
そういう人に限ってなのか。
よく、仕事等で、
デジタルデータで渡している原稿なり資料なりに対して、
プリントしたものにペンで指示を書き加えて、再びスキャンしてからメールで送ってくる。
正直、それで物事が整理できているのか不安になりませんかね?
10や20程度の指示ならまぁどうにでもなりそうですが、
100とか場合によっては4桁とかに及ぶ場合。
恐ろしい数の紙束をベラベラとめくってはペンで書いているというのは、
どうなんだろうかと…。
さらに、それで成果物のチェックをできるのか?
イシューリストのようなモノでも作れば、整理も出来ように。
そういったものを
先に出たセリフ
「そんな難しいものは使えないですよ。」
と言ってもっと面倒くさい事になっているのです。
エクセルなどの表計算ソフトをただの罫線付きメモ帳程度にしか使っていない人たちの多くがこう…。
かたや、フィルムのようにデジタル化が進んでしまって、
アナログが理解できない人たちがいるというのに、
一方では、デジタルについていけないままに空回りしている分野もあり。
そして、それが同じ人間の中での話だったりするという不思議。
なんとややこしい時代になった事か。
最初に出てきた、諸星大二郎先生の
「マッドメン」も実はそういう矛盾する考え方を同時に持ち合わせた主人公の話なんですけどね。
面白いので読んだ事のない人にはオススメ。
デジタル化、情報化の進んだ未来はもっとゆとりのある世界で、
人間は心身ともに豊かになるという話があったのはいつの時代の事だろうか?
今もう午前6時。
デジタルの塊みたいなコンピュータの前に座り続けて何時間だろうか?
デジタル化で疲労は増している気がしてならないのですが…。
なんだかなぁ…。
とはいってもだ。
ライカの
「
ライカMモノクローム」
すげーな。
デジタルとアナログのなんたるかを吟味し尽くしたら、
こういう答えになるのかぁ。
結構マジで欲しいかも。
Posted at 2012/10/12 06:07:10 | |
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