
明けましておめでとうございます。
年明けまでに間に合わせるつもりで
一年間を総括するブログを書いていましたが
間一髪間に合いませんでした(笑)
ま、今年もマイペースで行きますので
よろしくお願い致します。
実は一年前のブログ、こんな事書いてました。
「今年は今日の天気のように穏やかで振り幅少ない平穏無事な日々を過ごしていければいいなあ、と思っています」
昨年結婚が決まって、式の準備で慌しく年末を過ごしていたせいで休みたかったんでしょうね。
しかし実際の2011年は私の人生でもこれまでに無いくらい波乱万丈の一年となってしまいました。多くの方と同じように、この年のことは間違いなく一生忘れることがないでしょう。
つか去年ブログ9本しか書いてねえww
ブログを余り書かなくなってしまたのは、今までみんカラに当てていた時間を「家族のために捧げよう」と思ったからです。
それだけ2011年という年は私にとって「家族」というものを強く考え、行動した期間でした。
ブログに書かなかった家族のこと、2011年の総括としてまとめてみようと思います。
【1月】 挙式。遂に年貢を納めてしまいました。
元々結婚式なんて面倒くせえwwなんて思っている
タイプだったのですが、本当に多くの方から祝福され、
随分認識を改めることになりました。
当日お祝いして下さった皆さんに改めて感謝です。
【2月】 (結果的に束の間の)新婚生活。
奥さんとは6年付き合ってたので今更アツアツムード
なんてものはないけれど、会社から早く帰ってきた方が
食事を作ったりして、それなりに新生活をエンジョイ
していた時期でした。
【3月】 あの衝撃的な震災。
被災された方にはお見舞い申し上げます。
当日、私は会社から3時間歩いて自宅へ戻り、アクセラの
エンジン掛けて船橋の中学校で夜を明かしていた
奥さんを迎えに行きました。都内の渋滞が酷く、
何とか帰宅したのは翌朝6時近くになっていました。
そして、最悪の原発事故。これを機に、生活の全てが
変わってしまいました。
原発の危険性は何となく認識している程度でしたが、
報道される情報の不自然さに恐怖感を募らせた私は
ネットで食い入るように情報を収集。
結果「事故は洒落にならない規模である」
「重大事故時の国の発表は全く信用できない」
「3号機ではプルトニウムを使用している」
「妊婦、子供は放射線の影響を強く受けてしまう」
ということが分かり、絶望的な気持ちで荷物をまとめました。
そして14日午前、3号機の爆発をテレビで見て
即時避難を決意。奥さんを助手席に乗せ出発。
彼女が文句ひとつ言わず付いてきてくれたのが心強かったです。
同時に呼び寄せた茨城の両親と合流し、静岡県の
焼津に投宿しました。
チェルノブイリの場合、汚染地域が発電所より
大よそ半径300km以内であると確認し、静岡市以西なら
まあ大丈夫だろう、と判断しましたが同日夜には
静岡震源の地震というオマケ付き。
もう日本中逃げ場はないのか、と落胆。
翌15日、両親は神奈川の親戚宅に行くことになり、
私も東名を東に戻りましたが、進めば進むほど、
ラジオのニュースを聞けば聞くほど恐怖は募るばかり。
結局、我々2人は東京へ戻らずに沼津に3泊しました。
仕事への影響を最小限に留めるため金曜朝に帰京。
2人で議論の末悩み抜いての決断でした。
思えば、この4日間で私たちは腹を割って話し合い、
信頼関係を深め、本当の意味で夫婦になれたような気がします。
奥さんの妊娠が発覚したのはその数日後でした。
よりによってこのタイミングでかよ、と100%素直に
喜べず、複雑なリアクションをしていたと思います。
後になって分かったことですが、15日には関東一帯が
放射性ガスに覆われ、線量が急上昇していました。
あの日東京に戻らなかったことで、もしかしたら私は
被曝から奥さんと子供を守れていたのかも知れません。
(残念ながら22日の雨は浴びてしまいましたが)
その後もできる限りの防御体制を敷いたのは
言うまでもありません。
【4月】 父親が事故で入院。意識不明の重態になりました。
最悪の事態も覚悟しなければならない状況。
どうして今年は次から次へと。。暗澹たる気分に。
【6月】 父親が奇跡的に意識を取り戻しました。
しかし元通りに回復するのか?心配は尽きず。
【7月】 奥さんが切迫早産の疑いで入院。
泣きながら電話を掛けてきたので血の気が引きました。
幸いにも20日ほどの入院で無事戻ってきましたが、
彼女はそのまま自宅安静を言い渡され、
産休明けまで会社を休むことに。
今になって思うと、これによって母体が様々なストレスから
逃れることができ良かったと思います。
【9月】 MFCTに出場しました。お腹も大分大きくなり、
自宅安静の中、出場を許可してくれた奥さんに
感謝するやら申し訳ないやら。
【11月】 遂に長男が誕生!
今までの大変な思いが報われ、母子ともに健康でした。
最も心配された子供の異常は全く無く、あっという間に
グングン大きくなりました。
(子供についてはまた別の機会に)
【12月】 子供を初めてアクセラに乗せました。
やや固めの脚なので振動がストレスにならないか
心配しましたが、グッスリ寝ててくれます。
子育てはやっぱり大変ですが、本当に楽しいですね。
大切に大切に育てています。
こんな感じで、「穏やかで振り幅少ない平穏無事な日々を」とは予想を遥かに超越した次元で裏切られてしまいましたが、これほど「生きる」ということを考え、執着したことは今までありませんでした。
また、我々家族を励まし、応援してくれる沢山の人たちの存在をいつも以上に感じることができました。
この思いを忘れることなく、大切な家族を守り、自分も健やかに生きていこう、と改めて決意する2012年であります。
最後に、現在乳児を育てている我家の放射線対策をまとめておきます。
ご参考までに。
・水 :鹿児島よりミネラルウォーターを購入。
・米 :佐賀、秋田の親戚に依頼し農家から調達。
・肉/魚 :できるだけ輸入品
・野菜/乳製品:関東・東北(除青森秋田)産をできるだけ避ける。
・きのこ/ベリー/ナッツ類に注意する。(特に椎茸)
・茨城の実家には当分子供を連れていかない。
・乾燥した風の強い日はマスクをする。 etc...
しかし、こんな心配しなきゃいけない世の中って何なんだろ。。
Posted at 2012/01/01 00:36:10 | |
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