2016年02月08日
私の愛車のRGV250Γ(ガンマ)は、XX90年式。十年ひと昔、と言うけれど、それならこれは、ふた昔以上も前の車体と言うことになる。年式なりと言えばそうだけど、ひいき目に見ても、程度がいいとはちょっと言えない。それでも、高校二年の春に個人売買で手に入れた時点に比べれば、見違えるようなのだけれど。
特にエンジンに関しては、高校時代の貴重な一年を試行錯誤に費やしたおかげで、だいぶまともな状態を手に入れていた。あの頃は、三日に一度はキャブを外し、七日に一度はシリンダーを外すような生活をしていたものだ。
それがここ最近、またぐずり出すようになった。低回転での追従性がかなりあやしくなり、下手をすると信号停止からの発進でエンストしてしまうこともあった。プラグを外してみると、ビショビショに濡れていた。
だから私は最初、オーバークールの症状かと思った。ガンマは冷却系が優秀なようで、気温が下がってくるとエンジンは過冷却状態に置かれるはめになる。それで燃焼温度が上がらずカブるのだ。
対策として、私は冬になるとラジエーターの一部をアルミ製のキッチンパネルで覆うようにしていた。天ぷら油の飛び散りを防ぐアレだ。
ジェットを換え、ニードルを換え、プラグを換え、なけなしのお金をつぎ込んで散々いじくり回しても、どうにもいまいちだったものが、100円ショップで買ったアレと養生テープで作ったラジエターシェードを組み合わせに加えることで、あっさり好調になってしまった。その時、私は喜ぶよりも、あまりのことにしばし呆然としてしまったものだ。
当時、峠でよく一緒になったガンマ乗りの人がそのアイディアを授けてくれたのだが、筋違いとは分かっていながら、次に会ったとき、思わず文句を言ってしまったくらいだ。彼は、俺もそうだったよ、なんて笑っていた。お互い名前も知らないままだったけど、今頃どうしているのか。もう峠は引退してしまったかもしれないな。
――なんて具合に、ラジエターシェードを使い始めた頃のことは、すっかりよい思い出になりかけていた。そして私にとって、その日の気温に合わせてラジエターシェードを調節することは、その日の気温に合わせて自分の着るものを調節するのと同じくらい、当たり前の事になっていた。だから、私はちょっといぶかしく思いながらも、ちょちょいのちょいとやって、ラジエターコアの露出面積を減らす方向に調節したのだ。
だが、それで問題は解決しなかった。
Posted at 2016/02/08 08:07:28 | |
トラックバック(0) |
創作物 | 趣味
2016年01月09日
電話が鳴った。宮田のような気がした。
取ってみれば、やはり宮田だった。気のせいだろうが、鳴り方が違う気がする。
「よ。はかどってるか」
「だめだな」
「そかそか。んじゃ、気分転換に伊豆でも行くべよ」
「伊豆? なにしに?」
「だから気分転換だっつってんべ」
進路の話をした翌日の夜のことだ。K里を目指すなら、この時期、気分転換に伊豆へ行くなんて悠長なこと、言っていられないだろうに。
「伊豆なんか行ったら一日つぶれんだろ。気分転換にしたって、もちっと近場の方がいいんじゃね」
「ばっかどうせならばっちり切り替えねぇと意味ねぇよ。近場でうろうろしたって、たいして気は晴れねぇぜ」
「そういうもんかな」
「そういうもんだよ」
その週末の日曜日。俺と宮田は、まだ薄暗い中それぞれに自宅を抜け出し、茅ヶ崎の大型バイクショップの前で待ち合わせた。もちろんまだ店は開いていないが、駐車場の自販機は二十四時間営業だ。俺が到着したときには、宮田はもう温かい缶コーヒーを飲んでいた。
「うす」
「はよっす」
ヘルメットを脱ぐと、俺も自販機で缶コーヒーを買った。普段コーヒーを飲むときは何も入れない方が好きだが、こういう時は、ミルクも砂糖もたっぷり入ったやつがいい。気が向けはカフェオレにすることもある。今朝は気が向いて、カフェオレにした。
「結構、しばれるな」
「ああ。ま、陽が出りゃ、それなりにぬくくなんだろ」
缶コーヒーで暖を取ると、その熱が無為に失われるのを恐れるかのように、俺たちはそそくさと身支度を整え、バイクショップを後にした。
がらがらの国道一号線を西に向かってひた走る。早川口から真鶴方面へ折れると、海沿いに出た。その頃には空も青く明るくなってきた。雲のほとんどない、良い天気だ。気温はまだ上がってこないが。
せっかく海に出てテンションが上がったが、懐具合に制限のある俺たちは、有料区間を避けて山側の道に入る。ここからは別のテンションが上がる区間だ。
右に左にと体重を移動させながらコーナーを抜けていく時。そして直線に向けてスロットルを開けていく時。俺は、最高の開放感を感じていた。
今日はNSRのエンジンも調子が良かった。気温や湿度の方から、NSRのセッティングに合ってくる日というのがある。まさに今日がその日だった。
「確かにこれ以上の気分転換はないな」
俺は宮田のTZRのテールを追うようにしてコーナーに飛び込んでいきながら、ヘルメットの中でつぶやいた。
コンビニでおにぎりとボトルウォーターを買って、朝飯とした。
「あとちょっとだな」
ツーリングマップをのぞきこんでいる宮田が言う。
「うし」
おにぎりの残りをほおばって、水で流し込む。
「行くか」
「まあまあ、そう急くなよ、目的地は逃げやしねぇって」
宮田がからかうように笑う。
俺は自分の顔が赤くなるのが分かった。くそ。
目的地は、確かにほんのちょっと先だった。俺たちは、赤沢温泉に到着した。
駐車場には、車数台とバイク二台が停まっていた。俺たちもそこにバイクを停めた。
「先客が、いるみたいだな」
宮田の言葉に、思わず胸が高鳴った。
無料温泉にしては手入れが行き届いた公衆便所兼脱衣場で、革ツナギだの下着だのを脱ぎ、バックパックから出したタオルを腰に巻いた。宮田は、イヒヒ、なんて、下卑た笑いまでやっている。
まあ、内心はこっちも似たようなものだった。こちとら健全な高校生男子二名。初めての混浴露天風呂を前にして、多少浮かれたとしても、誰に責められようか。
荷物を抱えて湯船に続くスロープを降りていくと、50代くらいのおっさんが二人と、30代くらいのおっさんが二人、合わせて四人のおっさんたちが入っているだけだった。
まあ、現実はこんなもんだよな。
洗面器で下半身を流し、「失礼します」と恐縮しながら湯船に入った。
「「う、ぬるい」」
どちらともなく声が出た。
「あはは、確かにぬるいよね」
先客の三十代くらいの男性の一人が、話しかけてきた。顎ひげを生やした、ワイルドな感じの人だ。
「ええ、ぬるいっすね……」
宮田が苦笑しながら応じた。
「君たちもバイクだね? さっき2ストの排気音が二つ、上で止まったから、どんな人たちが乗ってるのかと思ったけど、君達みたいな若い人とは思わなかったな」
もう一人の三十代くらいの男性が言った。無造作な感じに髪を伸ばした、目の細い人だ。
「君らだって、充分若いじゃないか」
五十代くらいの男性の一人が言った。頭が薄く、太り気味で眼鏡をかけている。目をつぶっていたので、寝てるのかと思った。
「いえいえ、自分らももう三十八ですから」
「わっはっは。三十八なんてまだまだ若いよ! 君らは?」
「あ、俺らは十八です」
宮田が答えた。
「わっはっは。そりゃ文句なく若いな!」
もう一人の細身の五十代くらいの男性は、ずっとだまって頷いている。
「それじゃ高校生かな?」さっきの細目の人が聞いてくる。
「ええ、3年です」
「そりゃいろいろ大変だ」
また眼鏡の人がわはははと笑った。
ぬるい湯に一度入ってしまうと、そこから十二月の空気の中に出て行く気には、なかなかなれなかった。結果、ゆるゆると湯に浸かりながら、空を見上げたり、見知らぬ大人たちと、ぽつりぽつりととりとめもない会話を交わしたりすることになる。
普段なら、そんな経験はしようがなかった。俺たちが普段接する大人たちというのは、親にしろ教師にしろ、たいてい俺たちに何かを期待していて、言わば目的を持って俺達に接してきていた。その一言一句から、俺たちはプレッシャーを感じていたのだ。
だけどここに居る人たちからは、何のプレッシャーも感じない。ただ、この場を共にしている。それだけだ。それだけの関係なのに、いや、だからこそなのか、俺たちはくつろいだ気分で、どうということもない会話を、彼らと交わすことができた。
俺たちは案外、と言うか全然、大人たちのことを知らないんだ。素の大人たちのことを。そんなことを思った。
「ぬるくても、長く浸かってれば、それなりに温まってくるもんだな」
パシャっと音を立て、宮田が顔を湯でぬぐった。
「ああ、そうだな」
俺もつられて顔をぬぐう。確かに、それなりに身体の芯の方まで温まったような感じがあった。今なら、湯を出ても湯冷めしてガクブルの末風邪を引く、ということにはならなさそうだ。
「君たちは、これからどこへ行く予定なんだい」
細目のおっさんが訊いた。
「いえ、特に決めてないってか、ここが目的地だったんで」
宮田が答える。
「そっか、僕達はこれから、南伊豆周って西伊豆に向かう予定なんだけど、下田で昼飯に伊勢海老食うべって話してたんだ。良かったら一緒にどうだい? 学生ライダーが金無いのは僕も広田も痛いほど知ってるからね、ご馳走させてもらうけど」
「え、マジすか」
「うん、マジで」
俺と宮田は顔を見合わせた。俺の中で、遠慮と好奇心が一瞬火花を散らしたが、勝負は一瞬で付いた。同時に、宮田もそういう顔をしていた。
「ご馳走になりますっ」
俺と宮田は、湯が音を立てるくらい勢い良く、頭を下げていた。
長髪細目の人は和田と言う名前で、BMW乗りだった。もう一方の髭ワイルドの人は広田さんで、ハーレー乗り。二人でキャンプツーリングの途中、赤沢温泉に寄ったのだという。
その後、俺たちは下田まで彼らと一緒に行って、そこで伊勢海老天丼をご馳走になり、店を出たところで彼らと別れた。
この出会いが、その後の俺たちに大きな影響を与えることになるんだが、その時はそんなこと思いもよらなかった。
Posted at 2016/01/09 13:31:37 | |
トラックバック(0) |
創作物 | 趣味
2016年01月08日
高三の年の暮れといえば、世間的には遊んでいられるような時期じゃない。そんなことは分かっていた。
だけど俺は、今、自分の頭の中を占めていることがらをいったん追い出して、自分の将来などという、いまひとつはっきりしないもののことを考える気には、なかなかなれずにいた。
高二の時に配られた進路希望調査票。進路希望の欄に「特になし」と書くわけにもいかず、俺はその代わりに「進学」と書いた。
それ以来、俺の希望する進路は何となく決まったような気がしていた。でも、苦しまぎれにひねり出した解答は、やはり正解にはならないみたいだった。
俺は、毎日宮田とつるんでは、バイク談義に華を咲かせてばかりいた。それが俺の「今本当にやりたいこと」なのかというと、そういうわけでもないのだが。
「誠二はさ、どうすんのよ進路」
保土ヶ谷駅西口のファストフード店で、いつものようにホンダとヤマハのどちらが優れているかについての議論を戦わせた後、フライドポテトを口の中に放り込みながら、宮田が聞いた。
俺は不意を突かれてぎくりとしてしまった。
宮田と進路の話になるなんて、思っていなかった。
「とりあえず、大学、受けるかな」
「そっか」
「宮田は、どうすんの?」
俺は、自分の進路の話をするのがいたたまれなくなって、宮田の方に話を振った。
「前に、親がうるさいって言ってたよな」
「ああ」
宮田はしばらくもぐもぐと口を動かしていたが、
「ウチの親さ、二人ともK応なんだよね」
「マジかよ」
「だからかなんか、俺もK応行くのが当たり前みたいなこと言うのよ」
俺は、これといった反応を返せなかった。
宮田は、フライドポテトの残りをきれいに平らげた。
「俺さ。やりたいこと、あんだよね」
「何よ、それは」
「やりたいってか、なりたいもの」
「へぇ?」
「獣医」
「ほう、獣医」
「ああ。んで、いずれは動物病院開業したいのよ。ま、こっちがやりたいことだな」
だからK里の獣医学科に行きたい、と宮田は言った。
K里の獣医学科がどれほどの難易度なのか、俺は知らない。でも、少なくとも俺が狙えるとこじゃないってのだけは、知っていた。そして、宮田の成績が、そこを狙って狙えないものでもないのだろうということも察しが付いた。
「宮田の奴、あれで結構、学年順位は高いところにいやがるからなぁ」
宮田と別れた帰り道、意味もなく伸びをしながら、わざと大声で独り言を言ってみる。何かを振り払えるような気がしたのだったが、効果はなかった。
俺は、さっきから、胸の辺りに何かもやもやしたものが滞っているのを感じていた。名前を付けるとしたら。
焦燥感、が一番近い。
やりたいこと。それはもちろん、今トイレに行きたいとか、明日TZRのオイルを換えたいとか、そんな話じゃない。自分の人生を賭けて取り組みたいこと。そういうものを、宮田は持っていた。
仮に、成績が宮田くらい良かったら、俺はK里を目指せるだろうか。
そんなことを思い、そして脳裏にふと、宮田の家の立派な門構えが浮かぶ。
「無理だろ」
俺はぽつりとつぶやいた。
Posted at 2016/01/08 11:12:08 | |
トラックバック(0) |
創作物 | 趣味
2015年11月23日
たぶん、私の目は三角に吊り上り、その奥ではメラメラと炎が燃え上がっていたかもしれない。
でもその一方で、男の子をひとり後ろに乗せた状態で普段と同じ走りをしようとするような無茶をやらかさない程度の冷静さは、もちろん保っていた。
私は誠二クンの時と同じように、普段より心持ち前寄りに座り、上体を伏せ気味にして、減った前輪荷重を補うようにした。崇夫クンは、私の両脇をくぐらせる様にして両手をタンクに突き、私の腰を軽くニーグリップしてきていた。
タンデムシートに座っていても、その立ち居振る舞いに個人差があるのがおかしかった。この前誠二クンを乗せたときには、彼は両腕を円形の状態で固定して、膝は開いていた。たぶん、踵をタンデムステップホルダーに引っ掛けるようにして、下半身をホールドしていたのだろう。ずいぶんつらい体勢だったに違いないが、おかげで私は誠二クンが作ってくれた空間の中を、自由に動き回ることができたのだった。
さて、最初のヘアピンコーナーが迫ってきた。すると、崇夫クンは左腕を外し、左膝のホールドを緩めた。あれっと思って脇の下から覗き見ると、崇夫クンの左腕はテールカウルを掴んでいた。左膝は軽く開かれている。
あ、そういうことですか!
私はくすっと笑って、自分の腰を左にオフセットさせた。
「いやー、美奈子先輩、めっちゃ楽しかったですよ!」
ヘルメットを脱いだ崇夫クンが、上気した顔で言う。私は、呆然とした中にじわっと広がってきた充実感から、思わず笑みをこぼしてそれに応えた。
結局、私はいつものコースを三周してから、ようやっと小涌園の駐車場にガンマを停めたのだ。
私は最初、崇夫クンに、クリッピングポイントを過ぎる時にはもう加速体勢に入っている、そういうコーナリングをするためのブレーキングを始めるポイントやライン取りといったものを、見せてあげるつもりで走り出したはずだった。ところがいつの間にかそんなことは頭の中から消え去って、夢中になって走ってしまった。
崇夫クンの言う通り、それは楽しくて楽しくて、いっそこのままいつまでも走り続けたい、なんて思ってしまったくらいだったのだが、きわめて現実的な事情により、これで終わりにしなければならなくなった。
ガンマは燃費が悪い。ガスがリザーブに入ってしまったのだ。これ以上走り続けたら、ガンマを押して帰るはめになる。
「これヤバいっすよ。俺もう、ひとりで乗るの、いやかも」
「もう、何言ってるんですか」
崇夫クンが冗談で言っているのは分かっているから笑ったけれど、心の中でうなずいている自分の存在に気付いて、我ながらちょっとびっくりした。
それは何と言うか、スポーツだった。そしてコミュニケーションだった。私と崇夫クンは、走っている間一言も話さなかったけれど、走れば走るほど、信頼感と一体感が増して行く感じがした。
そして最後の一周では、私の頭の中は完全に空っぽになっていた。思いかえしてみても、どこかをふわふわと飛んでいたような記憶しかないのだ……。
こんなのは、私は、知らなかった。こんな体験をしてしまったら、崇夫クンじゃないけれど、もうひとりで乗るのがつまらなくなってしまうかもしれない。そんな心配さえ心に湧いてくる。そうなってしまったら、いったいどうしてくれるのか。責任とってくださいよね、と言いたい。何の責任なのかは、分からないけれど。
Posted at 2015/11/23 19:43:54 | |
トラックバック(0) |
創作物 | 趣味
2015年11月13日
「崇夫クンには、感謝しないといけませんね……」
私は今一度心の中で軽くくずおれながら、何とか笑顔を作って言った。もう先に着いて私の到着を今か今かと待っていた様子の崇夫クンの表情が、きょとんとした感じで固まる。
「なんで、ですか?」
「だって、十九にしてビ……」
私はそれ以上、言葉を続けることができなかった。自分で自分に止めを刺す行動に私の無意識が気付き、あわててセーフティを働かせたみたいだった。
「ジュークニシテビ?」
崇夫クンがいぶかしげに繰り返す。
「いえ、なんでもないです」
実際にくずおれそうになりながら、私は苦労して言葉を紡ぎ出した。
「先輩、大丈夫ですか?」
崇夫クンは心配そうに私の顔を覗き込んで言った。
大丈夫のような、大丈夫でないような。
いやいや、私は大丈夫。私は、ここへと至る道すがら、心に誓ったことを思い出した。
金輪際、ビールはやめる。
「美奈子先輩、もし具合が悪かったなら、ほんと、申し訳なかったっす。なんなら今日はこのまま帰りましょう。また今度にでも、お願いしますから」
また今度ですって? 崇夫クンは何を言うのだろう。
私は、彼の半端な優しさに、ちょっとむっときてしまった。ここまで強引に引っ張り出しておいて、今日は帰ろうなどと、振り回すのもたいがいにして欲しい。
そこまで考えて、私はむしろ、彼の半端な強引さが頭にきたのだと気づいた。
強引なのはいい。許してあげられる。でも、それを途中で放り出すのは、例え相手を思いやってのことであっても、許してあげる気にはなれない。覚悟のない強引さは、単なるわがままのように思えてしまうから。
「いえいえ、私は大丈夫です。そんなことより、さっそく始めましょうか、例のヤツを!」
いやそんなことって……、いや例のヤツって……、などとあっけにとられている崇夫クンをさらりと無視しつつ、私ははりきってヘルメットを被り直した。
いまや私の胸の内には、何か熱いものがたぎっていた。腰の使い捨てカイロが熱いのではない。ほんのわずか口に含んだビールの泡で、酔っ払っているのでもない。これは、心の内にメラメラと、炎が立ちのぼっているのだ。そうだ、私は、この炎で、いろいろと、とくにウエストまわりを重点的に、燃やしてしまうのだ。
私はすっかりやる気になっていた。
「崇夫クン、覚悟はいいですか……」
おびえたような声を喉の奥に貼りつかせた崇夫クンを後ろに乗せ、私はガンマを発進させた。
Posted at 2015/11/13 07:00:10 | |
トラックバック(0) |
創作物 | 趣味