
先日、かんこ先生がUPされたブログ『
ポルシェの良心、それは敬男です(ケイマンS)』を拝見させていただいていて、思ったのは・・・
“ドライビングの愉しさ”ってなんだろう?
ということ。
何故そう思ったかというと・・・どうやら、“自分がドライビングに求めていること” と “他の方がドライビングに求めていること” には、若干乖離があるように感じたから。
では、皆さんはどう考えている、感じているんだろう?と思ったとき・・・以前『
クルマ購入時に最も重視する部分は?』というブログを書いていたことを思い出した。
そのなかにはドライビングに関するカテゴリーがあって・・・
【ドライビングの楽しさ】26フレーズ
常にある程度楽しめるか 楽しさ ドライビングプレジャー フィーリング 運転したときのフィーリング スポーツカーであること ワクワク感 速度域によらないコーナリングの楽しさ コーナリングの楽しさ よく走って よく曲がって よく止まって 駆る愉しさ 運転の楽しさ 楽しさ もっと乗りたい 運転が気持ちいいかどうか 速い 基本乗って楽しいかどうか よく曲がり、よく止まること 運転して楽しそうな 乗り味が独特 ダイレクト感 乗ってて一体感がある ソリッドさ
なんて数々の回答をいただいたのだが、“愉しさ”をちゃんと表現するには、ちょっと具体性に欠けているなぁ・・・とも。(ゴメンなさい:汗)
そんな時にふと目にしたのが、日経ビジネスオンライン フェルディナント・ヤマグチさんの
コラム。リンクした回は、マツダアクセラの開発者である猿渡さんへアクセラ開発についてのインタビュー記事。
このコラムを読んでいて、“そうだよね” と共感できた部分が多かったので・・・下記に内容を一部抜粋、引用させていただいた。
(注:日経ビジネスオンラインは会員登録制(無料)のニュース、コラムサイトです。フェルさんのコラムが面白いので、自分は登録してちょくちょく読んでいます。下記全文を読みたい方、ご興味がある方は
コチラから登録を!)
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「クルマの存在意義? そりゃ笑顔でしょう(笑)」
第222回 マツダ アクセラ(開発者編・最終回) フェルディナント・ヤマグチさんのコラムから
猿:こういう本当に低い車速の部分、ゆっくりした動きの中でちゃんとクルマが思い通りに動くかどうかというのを、我々は今ものすごく重要視しているんです。そういうところから少しずつ車速を上げていって、それでもクルマをコントロール出来るかどうか。高速度でのコントロール性能は、今度は危険回避という話も出てきますからね。
F:ははぁ、低速域でも。なるほど。
猿:クルマってそういう作り込みをするんですよ。だから、クルマに乗せてみて、初めにどういう運転するかによって、その人がクルマをどういうふうに評価するんだなというのがだいたい分かるんです。
F:う……。それじゃさっき私が勢い良くパーキングを飛び出していく所をご覧になって、こいつアホやな。クルマの事を何も分かってないな、と……。
猿:ははは。まあ人それぞれ評価の方法がありますからね(笑)。
例えばある長い距離があったときに、ここを120キロ一定で、ステアリングをゆっくり切っていくんですよ。少しずつ車がリニアにすーっと動いていくか確認する。普通皆さんが運転される高速で車線変更するときにも、ゆっくりステアリングを切っていくじゃないですか。そのときに思った通り、すーっと行くかとか、ピタっとそこで止まるかとか、そういう評価もするんです。
F:なるほど。それが一発で決まらずにチョコチョコ修正を加えながら運転するのはストレスに繋がる訳ですね。
猿:そう。ストレスなんです。修正しない、というのはとても大事なんです。修正が必要ということイコール、そこに癖があるんです。それが面白い、味付けだと言う人もいますけれども、我々はそれは違うと思う。余計な癖なんか感じない方が良いんです。
F:余計な癖は感じないほうが良い。
猿:ただし、クルマがどう動いているかというのは五感を通してちゃんと伝わらないといけないですよ。それはステアリングの重さであったり、フィードバックであったり、アクセルペダルを踏んだときの重さだったり、あるいはさっき言ったシートから伝わってくる情報だったりする訳です。
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コラムを読みつつ、自分の “ドライビングの愉しさ” について頭の中を整理してみると・・・
“路面と会話” しながら、クルマをコントロールしているのが一番楽しいのでは?
ということに、はたと気づいた。
確かに、カートにしても、4輪にしても、公道にしても・・・自分がやっているのは、結局 “路面と会話” する事なんだと思う。
それは、ステアリングやシートからのインフォメーション、それに加えて縦〜横Gからタイヤのグリップを探り、その許容量と相談しながら、次のドライビングラインを組み立てていくこと。これが凄く愉しい!
ただ、どんなクルマであろうとそれなりに “路面と会話” をすることはできるが・・・
それを “しやすいクルマ” と “そうではないクルマ” があるのも事実。
それが猿渡さんの指摘されている “余計な癖なんか感じない方が良い”、すなわち “会話に雑音を混ぜるな” ということではないだろうか。
どうせなら、自分は “会話しやすいクルマ” を選びたい。
caymanをMTではなく、敢えてPDKを選択したひとつの理由として、購入当時はMTを上手に運転できなかったということもあるのだけれど・・・
“路面と会話している最中に、ステアリング操作以外のことをあまりしたくない”
という考えもあった。それくらい、自分にとって “路面と会話” することは愉しいことなのだ。なので、もし前述した【ドライビングの楽しさ】にボクが1フレーズを加えるとしたら・・・
“路面と良い会話ができること!”
これがボクの感じる “ドライビングの愉しさ” なのだと思う。さて、皆様は如何でしょうか?(笑)
Posted at 2014/01/16 17:33:52 | |
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