2011年05月29日
私自身はどうせ中古車しか買えない貧乏人と割り切っているのでどうでもいいのですが、どうも一般的には「折角だから新車を買う」という意識が強いような感じはします。
その新車に求めるものとしては1つには「人の手垢が付いてない新品」であること、ということでしょうか。
もっともこれに関しては、新車を売ることを専業にしていた人間からすると、新車販売に関わる人達自身の、その「初物」に対する意識低下・劣化の著しさを目の当たりにしていますから、「そうまでして......」とは口にはしませんが思ってしまいます。
基本、日本人は物を買う時についつい「張り込んで」しまい、わりかしその時の支払金額には無頓着になってしまう傾向がありますが、逆にその維持費に関しては異様に細かいというか敏感になる傾向があります。
所詮機械でしかないという割り切りに立てば初期不良の一つや二つ、致し方ないものと思えるのですが、これがなかなか許してもらえないんですねえ。「新車なのに壊れるのか?」とか、中には「折角新車を買ったのに、すぐパンクをした」とか。パンクと、新車か否かは関係ねえだろ、と咄嗟に口に出そうにもなりますが、それは言ってはいけない事になっているらしいので、ここは我慢の一手です。もっとも、あんまりにもいろいろな所にトラブルが続出するのも嫌な感じではありますけど。
また、このお客さんに限って、と思うような所謂「気をつけなければならない」お客さんのクルマに限って色々あったりするのも頭を悩まさせられる要因のひとつです。あって欲しくないお客さんに限って、これまた色々あったりするんですよねえ。
まあそうした前置きのヨタ話はおいといて。
今日のお題は「安過ぎるクルマと高すぎる車」。
英語の文章問題のように結論を先に言っちゃうと、車の金額って、もっと高くしてもいいんじゃあないのかな?というお話です。
私の周辺の話から入ると、ここ数年の間にアチコチの道路が無料開放されました。
もちろん、無料開放自体は歓迎されるべき事なんですが、それに伴って歓迎したくないこともかなりの確率で散見されるようになってきました。
これは高速道路のETC千円制施行後にも見られた現象ですが、道路標識も満足に識別できない有象無象が激増したことで、今までは多少の料金支払も致し方なし、と諦めていた程度の交通環境がものすごく劣化してしまいました。
例えるなら、本来の追い越し車線である右車線を堂々とゆっくり走るような無神経な走り方をする「本来ここに居てはいけない輩」が、無料化をきっかけとして何処にでも増殖し始めてしまたわけです。そして、今までの「快適な通行事情」が無料で利用できることを期待して嘗ての有料道路に進入した私のような人間は、ものの見事に期待を裏切られることになるわけですね。
もっとも考えてみれば当たり前のことで、「安い=間口が広がる」と同義ですから、数が増えるということは必然的に質の低下・劣化に繋がってしまうわけです。仮に「馬鹿は通行不可」という道路標識があったとしても、そういう人ほど己が「見えない・見えていない」方々が大半ですから、何とかホイホイのようになる可能性は大かなあ、と。
目を転じて、クルマ屋さん。
基本的に、未だにクルマ屋さんという業界には「数を売った方がエライ」という思い込みがあります。1台売るよりは3台売った方が。5台よりも10台が。
このため、今時のクルマ屋さんは利益率が非常に落ち込む傾向にあります。表示価格を安くし、その分たくさん売れればいい、という頭があるからです。まあ、その代わり「諸経費」と呼ばれるクルマ本体以外の金額で、けっこういい値段を付けているような雰囲気はアリアリですが。
また、何処にもないようなクルマをリーズナブルに提供するのは至難のワザとなりますが、中には何処にでもあるようなクルマを、ありふれた金額で売る、という商売もあります。近頃では割合ありがちな作戦です。
ただ、こうしたリーズナブルでありすぎる作戦は、得てして有料道路の無料開放と同じく客層の低下を招き易い事にもつながります。
嘗てヤナセで、オペルの扱いを始めるにあたりヴィータの販売を拒む声がセールスから上がった事がある、というエピソードを思い出しました。理由は簡単、あまりにも低価格なクルマを扱う事は、お店の客層の低下を招くから、というもの。さもありなんという感じです。
高品質なクルマをお求め易いように、出来うる限りリーズナブルに提供するということは、決して悪いことではありません。それはそれで立派なポリシーです。
ただ私が思うに、それはお客さんの側も「今まで手が出なかった高嶺の花」の商品を「私が買える程度の金額で売ってくれてありがとう」的な、感謝し、感謝されるという関係であればこそ美しい光景だとは思います。
ですが、その金額が「当たり前」だとか。苦労惨憺の末のコストダウンの産物を「安物」だとばっさり切られちゃったりとか。おそらく今の日本がこういう段階にあると思うのですが。
だったらいっその事、もっときちんと掛かったコストを請求するようにし、無理して買うな、と言ったらいいのか。モノの評価額を狂わせるような価格設定はそろそろ修正してもいいんじゃあないのかなあ?というか。もちろん戦略価格な商品はあってしかるべきだとは思うのですが、何でもかんでもバーゲンプライスなのもどうよ?っていうのは感じます。
そのくせ、高額車となると、中味はそれほど低価格車と変わらん感じなのにもかかわらず、ラーメンのトッピングのような本来どうでもいい要素にはけっこうな価格が乗っている様な感じも否めないんですよねえ。却ってこれは非常に割高に思えてしまう。きちんとおいしいラーメンにはそれなりの金額を出しても良いとは思っているのですが。
その値段なりの「きちんとおいしそうなラーメン」に見えるからこそ、ソコソコ欧州車にも目が向いているのではないのかなあ、と。
フィアット500にしたって約200万ですからねえ。横並び同等スペックの日本車が130万~150万ということを思うと50万は本体価格が違うわけですが、それでもキッチリ仕込みはしてある感じは漂いますから、「まあ、人様の作った機械だから、ちっとは何かあってもおかしくないか」と大らかに構えられるのならば、そこに手を出してみるのも悪くないかもしれません。
販価がそこで10万高くなろうと、購買者にとってはそうは気にはならないものです。だって軽自動車に150万払ってケロッとしている人だって珍しくないご時勢です。カローラだって200万越えますからね。もっともその予算配分の仕方には疑問が無い訳でもありませんが。
だったら、きちんとおいしいもので、それなりの金額のものなら欲しいなあ。
Posted at 2011/05/29 14:15:48 | |
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