2022年10月11日
昨日あたりから赤信号無視のクルマにやられたシビックのタイプRの記事がアチコチで紹介されています。
>https://www.fnn.jp/articles/-/428627
赤信号無視は問答無用でやった側が100パー悪い。これが基本です。但し、賠償額の認定は時価額が上限です。
但し逃げ道はあって、応分の金額が設定された車両保険に入っていれば不足分が自分の車両保険から支払われます。近頃の自動車保険は無過失特約が自動付帯の契約も多いので、この特約が付いていれば事故回数にカウントされずに不足分の保険金を手にする事が出来ます。
ただし今回の事故は納車前の事故ですから、一般的な自動車保険には未加入の無保険状態でしょう。この場合どうなるか?
冷たく言ってしまえば上限は時価額だよねえ。既に売買契約を済ませて納車前日の車輌だった様ですが、売買金額が決まっていたとはいえ、それが影響するのは事故落ちに関しての金額じゃなかったかな?保険会社が時価額上限まで認定しているのであれば、そこからの上積みは厳しいか?おそらく保険会社社内の法務関連の部署も了承済の話だろうし。そもそもディーラーは保険会社にとって大口のお客さんの筈だから、あまり突っ込み所のある回答はしないと思うんだよなあ。
売買価格が450万円という話でしたが、そもそも新車が当時300万円弱の価格だった訳ですから、それに対して450万円の支払を求めるとなると、そもそも模倣犯による事故太りのケースを誘発する事に繋がる可能性もあるような気もしてみたり。販売店の店長は「判例を作るつもりで」と口にしてるみたいですけど、判例という事は「他の事故のケースにも適用されうる事例」となってしまう訳でもある。
となると、この件に関してはやはり時価額全損にて終了かな。但し、保険会社による車輌引取は無しで、処分は販売会社にお任せします、とか。
そもそも無保険のクルマを社外に乗り出す、という事をするかな?っていう気もします。気になるなら展示前、納車前整備の段階でチェックはしてるよね。ま、普通に考えれば販売事業者が商品車を対象とした自動車管理者賠償責任保険に加入しているだろうと考えます。ただ、自管賠の支払って商品価格を考慮してくれるんだろうか?明日、保険会社に聞いてみよ。
入金されるはずだった300万円近い損失をどうしてくれる?という論調もあるでしょうけど、販売店には対価と引き替えにクルマを無事にお客さんにお渡しするまでの車両管理の責任もあるわけです。となると、100%無事に帰ってくる保証は無いとも言える一般車道への商品車乗り出しを従業員に許可した管理者の責任だって問われて然るべきかと?だって商品車は現金だもの。扱いには慎重な上に更に慎重を期しても良かった気もします。ドラレコの画像を見ても、速度が落ちる事無く交差点に進入してくる相手車両がはっきりと映っています。道路上では「だろう」ではなく「かもしれない」と常に思え、って嫌になるほど聞く言葉です。
色々と後の行方が気になる事故ではありますが、保険の賠償は時価が基本。ただし、個別に金額を保険会社に認定してもらってある事例を除く、という事かな、と思っています。
あ、あと賠償額を事故鑑定人に聞くのは筋違いです。賠償額の算定はあくまでも保険会社と弁護士とかの法務関連の職に従事する人の専権事項です。モチロン一般の代理店にもそんな権限はありません。事故鑑定人は事故状況を解析する人で賠償金額の算定はテリトリー外です。
Posted at 2022/10/11 18:26:48 | |
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2022年10月11日
こんなtweetを見かけました。
>銀行出身の人が入社すると管理帳票は増え、減点主義になり、空気悪くなるからマジでやめて欲しいと商社の友人がいっており、それは非常にわかる。
自分は数カ所の会社を移ってきていますので、自身の事や他人様のやっていた事を思い返してなるほどなあ、とか思いました。
自身の事を省みても、人が組織の人間として一人前になるには3年から5年、経験を血肉に換えて熟練となる為にはやはり10年欲しいなあと思っていますが、逆に熟成しきった後で違う環境に馴染むのにはけっこうな苦労を強いられます(ました)。結局、今まで馴染んだ世界でやって来たやり方しか知らない以上、修正するにも馴染んだ形を修正する事からしか始め方を知りません。そもそも通用するのか、どうかすらさえ知らない訳です。特に転職1年生は。だから余計に今までのやり方が捨てられない。
そもそもやり方の修正を余儀なくされるほど切羽詰まった状況に追い込まれた事が今まで無ければ変わる事など思いも付かない人が殆どだろうとさえ思います。
今までに(今も)渡り歩いた職場は基本的に個人の成果を問われる職種ばかりでしたが、外資系に較べてやはり日本社の方がより組織への馴染みを求められる傾向が強かったかな。それだけ組織内でしか通用しないルールも多かった気がします。
例えば外資系は自分の身を守る為に仕事における法令上のコンプライアンス遵守を声高に掲げますが、一方でその一線さえ越えなければ昼間何やってようが、例えば「雨の日はお休み」と公言していたとしても別にマネージャーに咎められるような事は無い世界でした。そもそも出勤を求められない外資系もありますしね。
その一方で鞄やクルマ、個人ロッカーやPCの中に保険業法300条の禁止事項に該当するような私製募集資料や金券類・私製領収書・使用期限切れ領収書などがないかは常にチェックされました。見つかると一発アウトもある世界で降格もザラにあったと聞きます。
じゃあ日本社はどうだったかというと、庇うんですよね。モチロン成績上位か否かでも扱いは違いましたが、成績が飛び抜ければ飛び抜けるほど庇う。
全国でも歴代トップと謳われた人が当時同じ支社に在籍していましたが、何回受けても取得必須の資格試験が結局受からずクビになってしまったと思いきや、挙績数字を手放したくない支社は「他社との乗り合いを認めない・資格試験は受かるまで受け続ける」事を条件に異例の独立を認めていました。2年後くらいに試験会場で彼の姿を見かけた事があったなあ、そういえば。
全段の彼は途中で脱落してしまい卒業者リストにその名はありませんが、もう1人同時期の在籍者で、全国トップの成績で卒業した人が出ました。その人の場合も色々あったのは見ているのですが、ある時所持品検査で私製領収書が出てきた事が。本来ならば一発アウトの事例の筈なんですが、「ダメだよ、こんなの持っていちゃあ」で済まされていましたねえ。おいおい。
まあ、他人様の事をつらつら書いてきている私自身はどうだったかというと、結局馴染んだ世界から足を洗う事は出来なかった、というのが正直なところですねえ。転身は無理だったクチです。元の木阿弥、何処にも属さない(せない)、1人営業の営業のままです。まあ独りでやっていく為に守備範囲を大きく拡げたつもりではいますが、結局やっている事は昔とあんまり変わらないなあ。
Posted at 2022/10/11 14:20:18 | |
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