2011年06月30日
クルマのスペックに関しては感覚が擦れてしまっているので、別にどうでもいいというか、この辺で十分という自分なりの感覚があるのですが。
やはり守備範囲外になると、スペックに惑わされるものだなあと。
まあ、それはそれで「それもまた、いとおかし」。よく分からん世界の事は、得てしてこうなるもんだ、って事を身を以って知る、みたいな。
今使ってるパソコンが別に使えなくなってきたわけではありませんが、それでも既に5年ほどにもなることを思うと。
途中ハードディスクの入替なんぞもしましたけど、やっぱりそろそろ次を考えとかんと、いきなり御臨終ともなったときにはちょっとまずいなあ、と。お仕事の事もあるし、色々データも入ってるし。もちろんつまらんのもいっぱい入ってるんですが。
まず第一に仕事上の事がありますので、アップル信者の方も周囲にはいっぱいいらっしゃいますけどダメなんですねえ。システムがマック対応でないので。
とある方にそういうことを言ったら「マック版ウインドウズを使えばいい」とのたまわれた時にはのけぞりました。そこまでするか?別にそこまでのこだわりは無いしなあ。
あと、買ったはいいが、使えんかったじゃあシャレにならん。そういう危険な賭けはしないことにしてますので。
ということで特にこだわりのない私は、5年前もそうでしたがデルのサイトを覗くわけです。
フムフム。
まあ、こんなもんか。
ということで、スペックオタクが選び出した組み合わせは
コア2Duo Quad コアi3とかi5、i7とかもあるのか。
メモリは最大サイズで4Gくらいか(ウインドウズ7の32ビット版なんで)。
これにオフィスとハードディスクは250Gもあれば私的には十分。
モニターとキーボードはあるから要らない。
この辺を組み合わせると8万くらいになるようです。昔のことを思うと随分安くなったモンです。5年前のことを思ってもそうですもんね。
もっとも、円安の恩恵も随分あるのでしょうけど。当時で110円くらいだったかなあ。今は80円台ですからねえ。
うーん、どうしようかなあ。色々組み合わせを変えて遊んでみましたが、もう少し大きい筐体で選ぶと変わってもきますが、まあ、大体この辺に収まりますからねえ。
どうせ私の場合、大きいケースを選んでも、そこから何かを選んで更にカスタマイズ、なんてことはまずしませんから、あんまり大きいケースを選ぶ意味もないんですよねえ。ハードディスクも1テラとか全く意味を成さない人ですから。
もっとも、使い道を考えると、そこまで高スペックである必要も本当はないんでしょうけどね。まあ、その辺はお遊びも含めて。
Posted at 2011/06/30 11:05:26 | |
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2011年06月29日
ここしばらく忙しかったので、今日はぽっかり空いた休日にしようかな、と。疲れたし。ということで思いついたことをもう1つ。
近頃耳にしてきた宣伝文句の「新車を買うと車検まで付いちゃう」とか言う奴。ありましたよね。
以前から、トヨタではスマイルパスポートという商品名で点検メニューのパック商品を売っていました。謳い文句としては通常の半分ほどの金額で点検しまっせ、というものです。
お客さん側の条件としては
「新車注文時より、納車後1ヶ月目の無料点検の時まで」が、申込期限。
納車引取りはないので、あくまでも電話等であらかじめ御予約を頂き、お客さん自身に来てもらうことが条件。
で、何とスマイルパスポートでの点検車は車検も割り引いちゃいます、という内容です。
ディーラー側にとってはまず3年分の点検費用が、何もせんでもフトコロに転がり込んでくる、という先払い方式が第一のメリット。それと、テレホンカード商法と一緒で、加入したはいいが、実際に点検に全件入庫するか?となると100%はないでしょうから、作業は無くとも売上だけは伸びちゃう、なんてこととか。
もっと言うと初回3年までの期間では、通常ほとんど念入りなチェックなど必要としないようにメーカーで作ってあるというか、逆に「必要ないところは触るな」方式が今時の新車でしょうから、まあ、ある意味消耗品のチェック以外は「濡れ手に粟」といっても過言じゃあないよねえ?
車検代を値引きますといった所で、元々高い基本整備金額設定ですから、そこで10%値引しますといっても、それ位の値引は通常してるしね。ちなみに私の居た頃のシステムだと10%以上の値引をすると「値引額が多すぎます」といった感じの警告表示がコンピューター画面上に出てました。
まあ、それはそれ。
ちょっと前まで目にした「車検代がタダ」方式の新車キャンペーンは、それでも「経費は別」という事がきちんと謳われていたように記憶していました。普通なら当たり前の話です。
ところが。
先日ダイ○ツの軽を買われた方が言うには。そのメンテパックについて
「車検代の経費分まで全て含んでいますので、仮に自賠責を持ち込まれたとしてもその分の値引返金は一切出来ません」と言われて来たよ、とか何とか。
え?まずくない、それ?
じゃあ、それ1つ質問。
自賠責の値上りがありましたが、それと同様、税金の値上げ等が今後あった場合、その分の差額はどうするんですか?値引はできんけど、差額分はきちんと請求しますって?
ついでにもう1つ質問。
保険業法第300条の禁止事項では、保険契約に関して何らかの付帯条件を付すことを禁じていた筈ですけど、それってば保険業法的にまずい保険の売り方なんじゃあないですか?このことについて金融庁に問い合わせてあるんでしょうか?
一応、○イハツのホームページを前もって確認はしておきましたが、そのなかの一文に「経費は別」とはっきり書かれていました。まあ、当たり前ですけど。
まあ所詮ディーラーの保険に対する意識なんぞ、その程度ということですね。わかりきった話ではありますが。
まあそれはそれとして、保険代理店(ディーラー含む)の言い訳では「任意保険と自賠責は一緒の保険会社のほうがいい」とよく言わされます。事故の際には同じ保険会社社内での処理の方が事故対応がスムーズ、という言い訳なんですが。
これ嘘です。嘘って言い切っちゃうとなんですけど、正確な言い方ではないです。
自賠責はあくまで国家事業なので、保険金の請求は何処の保険会社でも受け付けます。つまり「この支払分はあの会社で切った自賠責分」という保険会社間での後精算があるというだけのこと。つまり後で一手間あるにしても、事故の際は、別に何処の自賠責であろうが関係ありません。同じ算定基準なので。
ということで、現実的には何処の保険会社で自賠責を切ろうと同じなんですが、それをいい事に、今度は整備工場の側で「自賠責の持込は出来ない」と言い張る所もいまだに存在します。
もちろん、車のことを良く分かっていない保険屋風情が自賠責の成績欲しさにそこだけ手を出そうとすると、持ってきた自賠責のフレームナンバーが違うとか、保険期間が重複しているとかね。良くある事です。
そんなことでゴタゴタするよりは自分の所で自賠責を用意したほうが仕事が確実でスムーズであることも当然ですから、まあ言い分は分からんこともない。
ただ、自分の側にフレキシブルさがないことを人の所為にするのは如何なものかとは思います。
そういうことを人の所為にしちゃあイカンよ、と思うのです。これは最低限、人として、というところでですね。
Posted at 2011/06/29 13:06:01 | |
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2011年06月29日
http://www.asahi.com/national/update/0628/OSK201106280038.html
↑この記事。
判決文の実際を読んだわけではないので、断片的な情報だけでの判断ですみませんが。
まず第一印象は「賠償責任って便利な言葉だなあ」って事。もちろん私自身、保険屋ですから保険屋として賠償責任保険も扱っていますが、正直判り難い事この上ない。果たして何処まで「保険で面倒見きれます」と言っていいものなのか、何ともいえない商品内容です。
ひねくれた見方をすると、その曖昧さが付け込む腋の甘さにもなっているので、理屈のごね得になっている感も無きにしも非ずかなあ、とか。
つまり私的には、この「判決結果には否定的」という事です。ちょっとこれは無いでしょ?と。あくまで文面を追う限りでは、ですが。
さて、この事故で保険対応可能と思われる商品を思いつくままに上げてみました。
まず思い浮かぶのが、子どもの同居の親族の中で、誰か一本でも入っていればよかった「日常生活賠償責任保険」です。保険料そのものは1家族で年間2,000円程度の筈です。保険料が安いので、単品での販売は無い筈。ほとんど何かしらの保険と抱き合わせというかセットでの販売形態をとります。
もし仮に今回の子どもの家族がアパート住まいだったならば、「借家人賠償責任保険」の類いに入っていた可能性はあるかな、とは思いました。わりとあの手の保険に「日常賠責」が組み込まれている事が多いです。知らぬ間に、というか不動産屋さんでいっぱい捺さなくてはならない契約書類の中の1枚として紛れ込んでいる場合もあったりなかったり。
自動車保険にもセットできる日常賠責保険があります。日常賠責保険の補償例としてよく、自転車事故での相手側への賠償が挙げられている事が多いです。
浜松なんかだと自転車通学の学生をよく見かけますから、学校側から自転車保険への加入を推奨されることも少なくないようです。
もちろん、そういうルートで保険を用意してもいいでしょうけど、自動車保険に「日常賠責」を付けて(これも年間2,000円程度)、人身傷害保険の一般保障タイプ(「交通傷害」という表記も場合もある)で契約しておく、というやり方もあります。これで家族全員分の自転車事故における相手側への保障と自分のケガの保障を、これ一本で用意できます。
次に思い浮かんだのが「施設賠償責任保険(略称 施設賠)」です。多分、これは学校側で入ってるんじゃあないのかなあ。今時の御時勢ならば。
とある施設の中のモノや、施設内で行われている行事や作業が、その周辺に及ぼした被害に関して賠償してくれる、というものです。これを書いていて直ぐに東電の事が思い浮かびましたが、確かこれ「原子力被害」に関してはお支払できません、となっていた気がします。
今回のサッカーの練習をしていた子どもは学校の管理下にあった状態と思われるので、おそらく対象範囲に入るんじゃあないのかなあ?部活動中だったのか、とか、放課後とかになるとどういう扱いになるのかは、私の中で事故例がないので即答できませんが。また調べとこ。
ちなみに、社会人ソフトボールクラブとかで学校の施設を借りている場合などは、施設賠の対象外です。この場合、あくまで学校側は「貸しているだけ」なので、管理責任の対象外です。
このため、ソフトボールクラブ側で賠償責任保険に入っておく、という対応が必要になります。校舎のガラスを割っちゃったとかね。ボールがあらぬ方向に飛んでいって、怖い車に当ってボコンと凹んだであるとか。でもこれ保険料安いんだよねえ。
バイクに掛かっていたであろう筈の自賠責保険も考えましたが、事故原因が飛んできたボールの場合は、ちょっと無理っぽいなあ。あくまでも車両同士の事故を想定している筈なんで。
でも、事故後の治療に関しては健康保険が適用できる筈だよなあ、とか。しかも年齢が年齢だけにほとんど無料みたいなもんだよな、とか。高額医療の事もあるし。
そうなるとこの件の慰謝料ってなんじゃらホイ?その根拠は?って思うのは私だけでしょうかね?しかもこれを言って良いのか悪いのか分かりませんけど、
87歳ですよね。
もう十分生きたでしょ?ってのは言っちゃあまずいんだろうな、やっぱり。でも言ってみたくなる気もしますよね?
対する少年は当時小学校5年でしょ。
という事は親にしたってせいぜい30歳とか40歳くらいであろう事を思うと、それは酷じゃあないのかなあ?という判断はないんですかね。
それとこれとは違うと言われるのかもしれませんが、一方では同じ未成年でも故意の複数名に及ぶ殺人犯の未来と更正の可能性を延々と論じ。一方で「ボールが外に蹴り出される危険性は予知できた」と、当時10歳程度、現19歳のサッカーの練習をしていた「だけ」の子どもに「そこまで言うの?」って思うんですが。
確かに浜松でも便利な移動の道具として、けっこうな高齢者が原チャリに乗って移動している光景は見ます。
あの人たちに言わせると「自転車で出るのは苦だけど、オートバイなら楽に行ける」から、という事になるんでしょうし、「健康で文化的な生活をする権利」とかやらが日本国民ならば誰にでもある、ということも憲法に書いてありますから知ってます。けど、とっさの危険察知や予測、回避行動やその時のための運動能力などを考えるとねえ。
信管剥き出しにした爆弾
が、本人の危険回避能力を超えた速度で
高速周回している
という光景じゃあないの。
ちょこっと触っちゃったら「ハイ賠償金」みたいな爆弾。嫌過ぎる。
しかもそれを「バックアップしてあげてね」と周囲に強要させるのは、ちょっとどうよ?平穏を乱しているのはどっち?みたいな。それよりも、爆弾状態な方々を、もう少し危険度を低くさせることのほうが先でしょ?と思うのが普通だと思うんだけどねえ。
車の通行は信号機その他でバンバンと止めるくせに、こうした交通弱者と呼ばれる原付バイク(それと無謀・無神経自転車)の横暴は止めないのも如何なモンかと思います。
Posted at 2011/06/29 09:31:06 | |
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2011年06月27日
今日も結論から。
外国人相場に振り回される感が強くなってきた中古車市場価格を眺めていて「おお、そういえば」と思い出したことがあります。それは幕末の頃の「金と銀の交換比率における、国内相場と国外相場との差」というお話。
当時の日本では金の貨幣価値が国外に比べ安かった為、金がかなり国外へ流出してしまった、などというお話を目にした記憶がよみがえって来たというわけです。外人からすれば、「お金を日本で両替してもらうだけで儲かる」状態だったようですから、そりゃあ誰だって手を染めますワナ。
その先の話は経済学の分野でしょうし、私は詳しくない領域ですので、その先の経緯はご自身でお調べください。
さて。
中古車市場も今まではいわば「国内完結型」経済でした。多分に業界人の都合も含めた動向であったにせよ、でもまあ、何とか一応の平衡を保ちつつ、何とか現実と折り合いをつけてやってきたわけです。
今でもあまり納得のいくお話ではないにせよ、「5年、6年で価値を使い終える(償却期間)」とかね。「1年経ったら100万は落ちて、3年で半値」とか。今では笑い話の領域になってしまうでしょうけど、軽自動車などは5年もすれば「ポン3」とかね。「ポンコツ査定、3万円」という意味なんですが。
もっとも普通車(白ナンバー・登録車)でも7年落ちともなればいいトコ査定価格30万とか平気で言われてましたけど。
もっと不思議なのに、「査定価格が落ちてしまうから早く買い替える」という不思議な風習もあったなあ。キッチリ律儀に3年ごとに買い替えをされる方って本当にいらっしゃいましたしね。もちろんその時期になると、ありがたくも注文書を頂きにあがるわけですけど。「そろそろ3年になりますけど、どうなさいますか?」って具合に。
今アップ前のチェックで読み直してみて思うのは「という事は結局日本では新車であることにしか価値が認められていなかった」という事か、と。今改めて気づきました。今更ながら。
まあまあ、そんな具合でユルユルとした雰囲気の中、中古車市場は基本ディーラーが牛耳っていました。今のように買取業者が道の両側に鈴なりになっているわけではない時代です。下取は基本ディーラーが抱え込み、ディーラーから町の中古屋さんが分けてもらっている(中には横流しに近い状態も散見されたようですが)様な状態がしばらく続いていたようです。
こういう時代にもてはやされたのが新車のセールスです。
一応システムとしては「新車下取はそのまま、マイカーセンターに入庫される」という決めはあったにせよ、引く手数多の下取車の行く末を決めるのは目端の利いた新車セールス達でした。まあ、往々にしてそれは敏腕セールスと重なることも多かったわけです。つまり、自分で中古車も捌いてしまう、と言うことですね。
これで一財産以上の財を成した人も少なくなかったようです。でも大っぴらに武勇伝として語ってしまうとそれはそれでまずいことも多いですから、まことしやかに流れ聞く噂話であったり、当時の周囲の人から聞く語り草以上ではなかったですけどね。だって、その当の首謀者が現経営陣だったりもしたわけですから。
自動車業界における1つのアングラマネーだったのでしょう。
まあ、そういうお話も楽しいことは楽しいですが今日の本筋ではありませんのでこの位に。
まあ、そうした「下取車の安さ」が、中古車業界のひとつの商機であったであろう事は事実だと思います。安かったからこそ、「じゃあ特別に査定金額を上乗せしましょう」といえる原資にも余裕があったのでしょうし、横流しする手間をかけるだけの旨みも十分あった。買い取り屋さんはディーラーに対抗するだけの「隙間」をそこに見出せたでしょうし、「中古車オークションというシステム」もディーラーの査定が安いことが1つの成立要因であったはずです。
まあ裏を返せば、その分誰かが損をしているということでもあるんですけどね。
その損が気にならないだけの経済成長や経済基盤が当時はあった、と言ってもいいのかもしれません。
さて、そこに近年台頭してきた外国人勢があるわけです。
まあ、あんまり他所の国々の自動車事情は詳しくはありませんが、それでも何度か外国(ハワイとグアムと中国の無錫とか上海)に行った限りの経験では「きたねー車ばっかりだなあ」と。しかも日本車ばかり。中国はしばらく前でしたけど、あの頃はVWのサンタナのタクシーが氾濫してたっけ。
ああいうところを引き比べると、それこそ日本の車はきれいな車ばっかりだな、と。まあ、近頃はそうばっかりでもないような気もしますけど、でもやはりきれいな車が圧倒的に多い。
イコール中古車の程度が非常にいい。
で、冒頭の「金貨の貨幣価値の内外価格差」を思い出すわけですけど、「なんて日本の中古車は安いんだ」状態だったろうと思うんですね。外人連中にとって。
壊れなくって豪華で燃費もよく、しかも安い。しかもほとんど乗っていない(彼らの感覚からすれば)。
結局運賃をかけて運んでも十分すぎるほどの旨みが出る。
日本人バイヤーが平気で「これはポンコツ5,000円」とか、解体費用も請求しちゃうような車でも、動くんならOK。ダメならダメでパーツ取りの車としての道がある、とかで2万や3万じゃあなく5万10万の値をつけて買って行く。しかも今は1ドル80円時代ですから、買う側にとってみれば更に高額になっているにもかかわらず、それでも買う、という。
こうなると、イコール中古車の海外流出です。
不思議だなあ、と思うくらいに例えばハイエースの100系なんかはほとんど見なくなってきている。もちろん昨年のエコカー補助金による中古車の大量廃棄も威力はあったでしょうけど、それにしても平成10年位までの車を本当に見なくなった。
かなり海外流出してるんじゃあないのかなあ?とは思っています。
そうなると、どうなるか。
中古車の金額が下がらないというか高いといったらいいのか。結局今ある在庫で、人気があったりする車だと、以前の中古車金額を知っている人間からすると「異様な高値」となってしまっている。まあ、インフレですね。中古車相場の。
「こんなんじゃあ、買えないよ」とお店側では思っていても、お客さんが欲しがるから結局仕入れちゃう。そうなるとそれが取引実績の金額となる。
どういうところに落ち着くのかあなあ?と私的には今は静観をしているんですが、少なくとも「並べておけば売れていく」という、簡単な図式じゃあなくなってきてるなあ、とは思っています。皆さんあの手この手で商売を仕掛けている様子は観察してますけど、私のような超弱小業者はやっぱり「小回りの良さが身上」という分をわきまえている方が良いんでしょうねえ。
買い取り屋さんも以前のことを思うと激減だそうです。昨日も行って来たんですが、社長が言うには「例年の3割です」とか。
「へ?3割?3割減とかじゃあなくって、それでも厳しいだろうけど、じゃあ7割減って事?」
「はい。ですから今ウチの倉庫にある車も、買い取った車じゃあなくって、オークションで買い取った車で、これから仕上げるんです。」
「という事は、オークションの評価点アップで利幅を出すってこと?」
「そうです。」
うーん。厳しいなあ。
でも、こういう状況は業者にとって厳しいという事であって。という事は、誰かが今度は利益を受けているということでもあります。つまり新車を買っていた人ですね。モノによっては本当に値落ちしないですから。
でも、きちんと新車を買った人にはそれなりに、きちんとした評価額という形でご褒美がある、という方が健康的な気はしますけどね。
もう一つ思うのは、日本という国には「良質な中古車が安く大量にストックされている」ということをもう少し自覚したほうがいいんじゃあないのかなあ?とか。まあ、だからどうする?というわけでもないですし、何かしら手を打ったとして、それがどういう方向に転ぶのかは全く考えてもいませんけど。
でも中古車が高くなれば、新車ももう少し値を上げてもいいのかな、とか。だったら、もう少しお金を掛けたボディにして欲しいなあ、とか。
それと、中古車を売買する際に、多少なりともメーカーにお金が入る仕組みを考えておく事も考えておいた方がいいのかもしれないなあ、とか。パーツ供給が途切れたらそこで中古車の維持はおしまいですからね。
まあ、今日はこの辺で。
Posted at 2011/06/27 10:28:23 | |
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2011年06月22日
とあるお客さんと以前交わした会話の中で、「私は従業員に、こういう風に声をかけている」というお話がありました。
「今日も幸せかい?」
なかなかこう世知辛い世の中になってくると、電話での会話は何となく早口になってしまい、あれもこれもと硬軟取り混ぜた様々な用事が頭の中を駆け巡ります。
そうなっちゃうとね。
ついつい自分だけは不幸の星に生まれつき、他人の生活が妙にうらやましくなり。
もう少しこうだったら、とか。
あの時こうしておいたらな、とか。
まあ後悔先に立たずで、今更どうしようもないんですが、妙に他人だけは上手く立ち回ってるようにも見えたり感じられてしまったりするもんです。たとえばうちの嫁さんなどは色々コンプレックスがあるようで、特にそれが容姿と金銭のことに集中しているわけですが。
でも、それは仮に酒井法子であったり、佐々木希であったり、嫁さんの大好きらしい中山......誰だったっけ?にしても、それはそれで、彼女らのレベルや環境に応じて、それはまたそれで色々な、人には言えない悩みをおそらく抱えているだろうよ、とは思うんですね。仮にそれが私の様なド庶民からしたら取るに足らないものとして感じられるものかもしれませんが。
お金に関する心理学とかという本を読んだことがあります。そのなかの記述で
「あなたは今、いくらの報酬を貰っていますか。もし仮に報酬額を上げてもらえるとしたら、一体どれ位の金額であれば余裕のある生活が送れると思いますか?」
という問いが掲げられていました。
著者曰く、この質問を社会的地位のある人から一般サラリーマン。非常な高収入の人から一般家庭の方々など数千人の人たちに同じ質問を繰り返し繰り返し尋ね続けたところ、奇妙なほど答えが一致していたのだそうです。
その結果は.....?
満足できる、余裕のある生活を送る為の報酬金額は現在の2倍である。
というのが大方の傾向だ、というのです。
しかもこれ、200万の年収の人は400万を夢想し、3000万円の年収の人は同様に6000万円を夢見るということらしいです。ま、欲の深さは上限が無く、現在置かれている環境にあまり関わりはない、ということですね。
ちなみに私の場合は。予備知識ナシにこの問いを見たときにはドンぴしゃりでした。
今は、既にこのあとの論理展開を知っていますから、素直にそうは思えなくなってしまっていますが、まあ、上手く嵌められたなあ、と思ったもんです。ハイ。
結局そう思うと。どんな人も、どんな環境であっても「もう少し、もう少し」と思ってしまうのならば。落ちたと言っては失礼ですけど、それなりの状態であっても同じことを考えるんですから、
それなりに何とかなるもんだ、と達観してみるのもこれまたアリではないかな、と。
無きゃあ無いなりに何とかするもんですしね。
「今日も幸せかい?」
ご飯を食べられるし、心安く寝ることが出来る。朝には目が覚めて、お天道様もきちんと出てくれてるし、柴犬のぺろは今日も手足を伸ばしてグーグー寝ている。まあ、ぺろにとってはそれしかすることが無いですから仕方ありませんけど。
まあ、これでいいじゃない。
近頃はますますジジイ度が高くなってきた様に感じるなあ、オレ。出来ればキレイに枯れたジジイになりたいなあ。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」そのままじゃあちょっと寂しい気もするけど、まあ、あんな感じでも良いなあ、俺。
思い返せば、うちのじいさんってそんな感じだったかもしれんなあ、今にして思えば。
とか何とか言いつつ、今日もまた俗世の世界で汗を流すんですけどね。
Posted at 2011/06/22 11:37:19 | |
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