2012年01月29日
ナンバーを切って早や半年。何かが足りません。
たしかにロードスターの車検を取ったところで年に何回乗るかを思えば馬鹿げた浪費であるのは承知しています。
でもねえ。
やはり、心躍らせられる乗り物なんですよねえ。ロードスター。
キャラが被るという理由でロードスターのナンバーを切ったわけですが、いざBMWに乗ってみるとほとんど被る所はありませんでした。
これは書こうかどうしようか迷ったんですが、やっぱり書いてしまうと正直な所E36/5に「駆け抜ける喜び」は無いです。もちろんゼロと言うつもりもないんですけど、期待したほどではありません。
全長4210mmというサイズはたしかにコンパクトではあるのですが、やっぱり1270kgという車重は重いよねえ?もちろん重量だけの問題でもないんでしょうけど。
乗ってみた印象も、W202のCに酷似しています。いや、別にCが悪いと言うつもりは毛頭ありません。あれはあれでそういうキャラクター求められてもいますから、当然ああいうキャラになるべきであった車、と理解しています。
E36/5でももちろん十分な車体剛性を感じます。ですが、それはゆったりとした挙動を伴うのです。鈍いとまで言うつもりはありませんが、やはり鈍重なイメージが離れません。コンパクトスポーツと思って乗れたもんじゃあないなあ、と。言葉は悪いですが。
じゃあ、Mならどうだ?と思わなくもありませんが、そういう事を考え出すとキリがないので考えないことにします。
話は変わりますがトヨタ・プログレは当初、そのコンパクトなボディを実現する為にFFで開発が進められていたそうです。でもどうしてもFF故のパッケージングの限界も見えてきたこともあり、途中からFRに変更されたのだとか。
まあ、プログレのクルマとしての仕上がりに関しては思うところもいっぱいありますけど、それはそれとして、少なくともFRでなくてはならなかった、という意思は見て取れた商品ではありました。
ただ、そういう目でE35/5を見ると、どうもFRでなくてはならない理由が正直希薄に思えます。
BMWとしてはFRであることが商品性に寄与すると考えていたのかもしれません。でも、正直このサイズのクルマならば十分FFで良い車が他にもあるよねえ?それこそBMWのミニにしてもそう。VWのゴルフにしてもそう。
どうも「FRという幻想」に惑わされすぎているのかなあ?とか思っちゃうこともある。
それより何よりFRという駆動方式は、車体が軽くなければその面白みを感じ切れないという事なんだろうか?そういえばミッドシップは車が小さくないと意味が無いという話もありましたっけ。
となると、車重や車体の大きさを問わない万能選手は4WDということなのか?で、次善策がFFということなのかなあ?
となると何時まで経っても「FRであること」という一枚看板の選択肢しか持たないのは危険な考えなのかもしれません。
さて、話を戻してロードスター。うーん、車検どうしようかなあ。もちろん手放すつもりは毛頭ない(周りからは色々言われてもいますが)んですが、やっぱり思いついた時に乗れないのはちょっと。
心躍らされるもの。気持ちを開放してくれる存在。
そういう車が常に「よーいドンの状態でいつも待機してくれている」方がやっぱり良いかなあ、と揺れています。
たっかい自動車税も、そのための必要経費だと思えれば..........。
うーん、悩む。
Posted at 2012/01/29 19:41:56 | |
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2012年01月28日
原発の稼動数が激減し、その分火力発電所の稼働率が上がり。
で、そこで燃やされた石油に金が掛かってしょうがなかったから「その分の損失補てんをさせろ」という事で東京電力が値上げ申請をしたと。
おそらくこういう流れでいいんですよね?
少なくとも現状、何とか停電もしていないようです。先日、当地ではちょこっとばかし停電してましたがニュースにもならなかった所を見ると原因は断線か何かかな?と。
という事は、現状何とか電気供給量は足りているのだろうなあ、と。まあ、電気の量だけに関していえば、ですが。
でも、原油の高騰やホルムズ海峡封鎖が云々とか。まあ、原油の値上がり要因には事欠かないわけで、そうした事なども含めて「燃料サーチャージ」を髣髴とさせる追加料金を電力会社としては請求したくて仕方が無いようです。
それが嫌だとなれば「原子力発電を再開させろや」とくるのでしょうなあ。
でも、ちょっと待て。
維持費が安いとノタマウ原子力発電さん。本当に安いのかを疑う材料に事欠かないのも事実です。その一つには作るのにも廃棄するのにも膨大なお金が掛かる事。
何だかハイブリッド車や電気自動車と同様、現役時代には車単体だけを見ればお金が掛からないように見えます。ところが、その後に目を移すとどうやら換算できそうにも無いほどの時間とお金が掛かりそうな廃棄物処理とそれに掛かる維持管理。これだってもちろんそのときの電気代に反映される筈だったわけです。
まあ、それはそれとして。
話は飛んで、国の一般会計予算をぼんやりと見ていて思ったのが、一般会計に占める地方交付税の比率(18.4%)の高さです。それに公共工事(6.5%)を足した合計は、悪名高き国債の償還(12.2%)と利払い費用(10.5%)の合計にほぼ匹敵します。見たページはこちら↓です。財務省のページですね。
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/002.htm
そこでふと思いついたのが、地方交付税の交付団体と不交付団体です。東京都だけは交付税をもらった事がないところだとは聞いていましたが、じゃあ果たしてこの交付税をもらっていない所ってどこ?という疑問。インターネットって便利だよねえ。こんなページがありました↓総務省のページです。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000075077.pdf
なんか見た記憶のある名前が並んでいませんか?えー、表の上から順に北海道の泊村に青森県六ヶ所村。女川町に大熊町に東海村。原発関連の所ばっかりやないか?ってくらいおなじみの地名が並んでます。
もちろん全部が全部ではないにしても、不交付団体そのものの数が少ないだけに比率としてはかなり高確率かと思います。その他では観光名所だったり有名企業の企業城下町っぽい感じであったり。そんなところが名前を連ねています。
儲かるんだなあ、あれ。
総務省のページでもう一つ笑うのが不交付団体の数の推移の表です。
小泉君の前に総理大臣だった森君の頃の景気の悪さってどうしようもなかったんだなあ、と。
平成の借金王(地域振興券とか配ってた人)と自らを誇った小渕君もガタガタだよねえ。
もっともその前の橋本君の頃に消費税率を引き上げてましたので、不況の種は既にそのときにばら撒かれていて、その回復のタイミングが小泉君の頃までずれ込んだ、というのが真相かなあ。
ちなみに、歴代首相の在任一覧はこれ↓を参照いたしました。
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidaisouri-index.html
まあ、それはともかくとして不交付団体に名を連ねられた原因は、おそらく高確率で原発がらみの交付金になっているのは間違いないかと思います。
そもそもが総括原価方式をを法律で認めてしまっているのがそもそもの間違い、とは以前もこのブログでも書きましたが、一体原発関連として計上している金額がどの程度に上るのか、きちんと国税局なりで徹底的に炙り出すべきなんじゃあないのかなあ?と。
で、一体今までその分で嵩上げさせられた電気料金の金額額がどの程度に上っていたのかは半公益法人である以上、きちんと晒されてもいい時期なんじゃあなかろうかと思うのですが。
そっちこそ今までの電気代を押し上げてきた最大要因なんじゃあなかろうかと思うんですが如何なもんなんでしょうか?
Posted at 2012/01/28 20:00:27 | |
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2012年01月28日
皆さんの「いいね」を見て拝見したブログの中に
「モデルチェンジサイクルはどの程度が適切なのか?」
https://minkara.carview.co.jp/userid/1316229/blog/25199215/
というお話がありました。
コメントは受け付けません、との事なんで「まあ、いいや」と自分のページで感想など一つ。
もちろんメーカーにとってモデルチェンジの発表時期は「トップシークレット」でしょうし、どんなタイミングで出すか、どんなものを出すか、などはそれこそ「秘中の秘」というか、それが新車効果の生命線と思っているフシもあります。
となれば、出来れば発表直前まで内容は隠したい、というのもまあ無碍なるかな、と。
新車販売の現場にいた人間からすると、「あ?そろそろ変わるんだな」という前兆はオーダーストップの時期から判断していました。基本新車販売・生産は納入先が確定した上での話ですから見込み生産というものは基本的にありません。あらかじめ売り先が確定してから生産されます。
つまり、実際のモデルチェンジ・マイナーチェンジから遡って2ヶ月程度前にはオーダーストップが掛かるのが常でした。そこから逆算するわけです。「ああ、この時期には新型が出るなあ」と。
もちろん、完全に生産前から納入先が決まっているものもありますが、各ディーラーの新車発注部門が「見込みで」発注するものもあります。例えば「オプションが限られ、選択の幅が狭い特別仕様車」なんかは見込み発注のしやすいクルマです。いきおい、そういう車なんかは大量の見込み発注がかけられることが珍しくありません。
例えばX81系のマークⅡからX90系にモデルチェンジしたときなど、当時「リミテッド」と呼ばれた特別仕様車の在庫が200台以上あったと記憶しています(静岡トヨペットの場合)。
それを聞いたときにはどうなる事かと思ったものですが、あまりの次世代90系の安っぽさやデザインもあってか200台以上の在庫車は見る見るその数を減らしていったのを覚えています。無くなるの早かったなあ、あれ。
さて話を戻してモデルチェンジのサイクル。
もちろん、販売期間が長ければその分新車販売1台当たりに対する開発経費の減価償却金額が下がりますから、あくまで計算上でしかないとはいえ1台あたりの原価は下げられます。下請けメーカーに対しても「生産期間が長ければ設備更新期間がその分長くなるからおたくの負担も減るでしょ?」位の事は言うでしょうからそこで納入価格を下げさせる事もできるでしょう。
また、開発期間の事を思えば、そりゃあジックリ年数を掛けた方が良い物が出来るのではないか?と期待するのも理解できるってもんです。
この辺がモデルチェンジ期間が長い方が良いメリットでしょう。
では、モデルチェンジが短い方が良い派の言い分は?よく言われる「短い年数としての4年間隔」ですね。
これはねえ。
もちろん「短い期間の代替を促す」という事も無い訳でもないんですが、その理由の最大のものの一つに「当時の車検期間(2年ごと)」に合わせた、という事もあるんですよねえ。車検を一回通すのはともかくとして、2回目は取らずに新車に代替していく、というサイクルにちょうど具合がいいんです、4年のモデルチェンジサイクルは。
なかなか想像し難い事かもしれませんが「俺に2回も車検を取らせるつもりか?」って言われた事ありますからねえ。
だから平成になって初回車検が2年から3年になったじゃあありませんか。あれって、そういうサイクルを厳守してきた方にとっては非常に不都合な所もあったわけです。丁度サイクルがズレると、同じモデルの「マイナー前とマイナー後をそれぞれ買う」というハメになるパターンもありましたしね。もっとも、そうまでして買い換えなきゃあいけないものなのか?という根本的な疑問も無いわけでもありませんでしたが。
一度その事をそのお客さんに聞いてみたことがあります。そうしたら言下に「下取が下がるじゃあないか」の一言で終わってしまいました。「4年に一回の150万なら150万の追い金ならばいいが、それを5年に延ばしたら200万以上も追い金をしないといけない。200万も出せない。」そんなお答えでしたね。
もちろん当時の私は「へー」と言うだけでしたが。納得は出来ませんでしたけど。まあ、頷くしかありませんからねえ。
もちろん経済状況に合わせてという事もあるでしょうけど、代替年数が延びてきたという理由にはこの「車検期間のサイクルが延びた」、というものが非常に密接に関わってきているという事は事実です。
新しいうちでいえば当初2年2年の計4年の車検サイクル=代替サイクルから、初回車検期間が3年に変わり、そこからもう一度車検を取って5年もしくはもう一回取って7年という車検期間の変遷は、モロに代替期間の伸びに一致しているはずです。
それともう一つ見逃せないのは「10年を超える保有期間」でも「永年2年車検」制度に切り替わったことです。つまり、毎年の車検が苦で代替を考える人が少なくないという事です。
以前なら「10年一区切り」で代替を考えた人が、10年以上の車齢でも平然としていられるのも、一つにはこの所為なんですよね。
つまり買い替えの口実としては未だに「車検費用負担の重さ」が重要なキーワードです。自動車税を上げるよりは遥かに効果はあるでしょう。
ぶっちゃけエコカー減税で代替促進を図るくらいなら、10年目以降の車検を1年に戻す方がずっと効果は上がるのでは?と思います。ついでに車検制度をもっとうるさくして車検に掛かる金額を上げる方向にするとかさ。まあ、そこに気が付いてほしくはありませんが。
話を戻して4年のモデルチェンジサイクル。
メーカーとしては、コストダウンの為にモデルチェンジをする、というものよく聞く話です。という事は開発期間も短い方がコストは下がる、という側面だってある。
つまりギリギリ4年の開発期間で仕上げるどころか実質は3年とかそれくらいで仕上げるクルマだってあるでしょう。いくらモデルチェンジが5年6年になった所で、その空き時間をフルにそのクルマの開発期間に充てるか?と聞かれれば、馬鹿正直にその時間をそのまま使い切るという事も無いでしょう。多分。
たしかに一見短い期間で仕上げるよりは、長期間でジックリ仕上げたほうがより良い物は出来るでしょう。
ですが、見方を変えれば先行投資たる開発者の給料はその期間分取りはぐれると言うか回収までの据え置き期間がどんどん先に延びる、という事も言える訳です。果たしてそこまでメーカーが絶えうるのか?とかさ。
そういう事を思うと、自分で金出す訳でもない外野が軽々しく言える事でもなさそうな気がするんですけどね。単純に良い悪いで判断できない。もちろん、開発環境も以前とは比べ物にならないくらい良くもなっているし、でも対策をしなきゃあいけない範囲も拡がるだけ拡がってもいる。
そう思うと「中身の刷新」と「スキンチェンジ」とを完全に別区分とし、今回はスキンチェンジだけ、とかさ。そういう割り切りをはっきりとさせたモデルチェンジがあっても良い時代なのかもしれません。もちろん消費者としては非常に惑わされる選択を強いられる事になるわけですが。
もっとも、それだけ迷わされるくらいのモノを作ってくれるほうが幸せですけど。
Posted at 2012/01/28 15:20:11 | |
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2012年01月27日
あれからきちんと書いたか否か記憶に無いのですが何だかんだ言って今現在、iPad2とipod touchの2台を使いまわしつつ自宅内にはwi-fi環境を整え、外ではポケットwi-fiルーターを持ち歩く、という状態にしています。
ipadはもちろんwi-fiのみのモデルです。touchも悩みに悩んだのですが、結局電話をiphoneにしてしまうことにどうしても踏み切れず、結局wi-fiルーターを先に買ってしまったこともあり、まあtouchで良いや、と。
鞄を手にして外に出ている時はiPad+wi-fiルーターで十分というか、やはり出先でのネット接続を考えるとあれくらいの画面は最低限欲しいなあ、と。
ただ、やはり手ぶらで出たい時もあるし、そういうときにはiPadクラスの大きさは邪魔でしかありません。
と、なると。
手ぶら用の、でも通信・情報端末としての最低限は確保しておきたいし親機との情報共有はしておきたいし、という事を思うとiphoneかtouchかという話になり、結局touchを選択する事に致しました。
で、そうこうしている間に自宅の固定回線であるひかり電話とのコラボによるAUのスマートフォン料金プランの割引なんかも始まっちゃったりして、結局何が最善の選択だったのかなんて後になってみないとわけがわからん状態なのはご存知の通りです。
まあ、いずれにしても私の使っているGショック携帯が今夏を以って回線が使用出来なくなるのは既定の話ですから、それまで情勢を静観する他無いなあ、と。
もっとも、とりあえず電話するだけなら使っていない携帯電話端末もある訳ですから、それで急場を凌ぐ事も出来ます。不安の先取りをして今から慌てくさってみんなと同じ踊りを踊る事もないし、あせるだけ馬鹿馬鹿しいってもんです。
さて、そうした枕話はともかくとしてpadとtouch。よく出来た機械だと思います。
padに関しては。
これはノートパソコンを喰うなあ、とか。別に難しい事を考えなければこれ1台で大抵の用は足りるなあ、とか。よく出来たシステムだなあ、とか。人は綺麗なビジュアル(液晶の綺麗さとデザインのまとまりの両方を指します)に魅かれるって事をよく分かってるなあ、とか。
touchに関しては。
これも同じく綺麗な液晶とデザインでまとめられており、「持ち歩く」モノという事をよく考え抜いているなあ、とか。そもそもの部分で「操作する」という事の快感をよく考えているなあ、と感心しました。そこが前提にあってのiOSであり、クラウドであり。結論がブレていないのはさすが、と思います。
あくまでも「見る快感」「操作の快感」「使う快感」「所有したくなる快感」といった結論や終着点が先にあり、そこから逆算された「あるべき姿」が製品という最終形態に落とし込まれているのが感心する所です。
で、お話はジョブスさんのことに続きます。
先日惜しまれつつ、お亡くなりになったジョブスさん。どこまでが本当の話なのかは知る由もありませんが、耳に入る限りでは相当に強烈なキャラの持ち主であったようです。アップルの製品群には強烈に氏の主張なり好みなりが反映されている、と聞きます。
また、サムスンとの裁判に関するコメントが強烈に記憶に残っています。曰く、
「金なら山ほどある。私が欲しいのは、私の主張が正しいと認められることだ。」こんな感じのコメントだったかと思います。なるほどなあ、と。
ただ、こうした強烈なキャラは話題に事欠かないのはいいのですが、気になるのはその専制君主たるジョブスさん。その後継者まできちんと用意していたのかなあ、と。
ああいう人と折り合いつけてやっていけるとすれば余程したたかな人か、調停型か、イエスマンか。もしくは有能ではあっても自分の守備範囲以外の事には一切無関心な人くらいしか思いつきません。つまり第二のジョブス氏が育っている可能性は低いだろうなあ、と。残念な事ですが。
もちろんそうした予想は見事に打ち破ってくれるほうが良いんですけどね。
話は少々変わって、NECが1万人をリストラします、なんていう記事が目に入りました。
この記事をみて思ったのは「果たして1万人をリストラするとして、一体どこの誰の首を切るつもりなんだろう?」という事です。
もちろん順当に考えれば、かつての私のような立場の下っ端三等兵というか、どうでも良さそうなところの雇用を切っていくのが普通のやり方なんでしょう。
ところが、ここで疑問なんですが。仮にそうしたリストラをして末端を切ったとします。
すると当然、リストラの後に残るのはお高い給料を貰っていた(いる)上層部の人間という事になる。おそらくは切られた人間たちよりもご高齢であろうことは想像に難くありません。
という事は、こうした方々が所詮会社に残った所で「どうせ余命あと数年」というか、「先が見えている方々」といったらいいか。ぶっちゃけ「あんたが真っ先に救命ボートに乗ってどうする?」というと怒られそうですが。
つまり実働部隊であったり、これからの10年15年以上先を支えていく事になる筈の年代の雇用を先に切ってしまうことで、実は「真っ先に命綱まで切っちゃってました」ってことになっていやしませんか?という事を思うのです。
私がかつて所属していた新車営業という部門は実に入れ代わりが激しいところでした。まあ言ってみれば「人減らし」の為のセクションとしか思われていなかった側面があります。
サービス部門の人が余ったからといって突如「セールス研修」なる名目で営業職に配置転換され、翌日からネクタイ締めてたなんて話しは良く聞いた話です。私と同期入社の人間も随分辞めていきました。私と同期に限らず、ちょっと上の先輩セールスや後輩のセールスも辞めていきました。
で、ある時気が付くと「誰も居なくなっていた」訳です。
上の人間からしたら、私などは「踏んでも蹴っても」何となく大丈夫そうな印象があったのでしょう。何とはなしに「こいつは辞める筈がない」みたいな。
でも辞めちゃいましたけどね。本質的に大事にされていないと感じれば、そりゃあ辞めます。
上司はあと10年も会社に居ないかもしれませんが、そのときの私からしたら、定年までと考えればあと30年は居なきゃいけなかった計算です。でも、もう少し我慢してがんばって欲しいと言われた所で、それが口先だけの言い逃れにしか聞こえなかったし、そもそもが「この人が何を考えているか」を感じとる商売ですからねえ。「自分が見透かす事はあっても、見透かされる事はない」と信じて疑わなかったんだろうなあ、あの上司。まあいいけど。
何はともあれ、組織がこれから先も存続し続ける事を願うのならば優先事項はどこにかるかは分かりそうなもんだと思います。また、そこが舵取り役たる経営陣の権利(=高額な報酬と大きな権限)と、義務(=出処進退や個人資産の没収までも含めた経営責任)という事なんだろうなあ、と。
もちろんこうした物言いは色々な方面に当てはまる事だと思います。こういう事を人に問い詰められる事もありうる可能性は一応頭の片隅に置いておくべきなんでしょう。リーダーたるもの、って奴はですね。
今も大事だけど、将来も大事。天秤に掛けるのは難しいし掛けられないこともあるのでしょうけど「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ってこともありますしね。難しい所ですが。
Posted at 2012/01/27 12:47:26 | |
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2012年01月25日
何を今更という感じですが、日産リーフがカー・オブ・ザ・イヤーを取ったそうです。
もちろん私は以前「リーフって言えばこの時期なら落ち葉の事か?」と言ったとおり、あの車が大嫌いです。そもそもの話として立体物としてかっこ悪すぎます。あれを所有したいとは到底思えません。
それ以前に電気自動車を買えるだけのお金もありませんが。
さて、日産リーフ。その制御系に関しては高評価を受けてきたようです。もっとも、そこしか評価できる所が無かったと言えばそれまでかもしれません。
実際に走ってみて「フツーに走れる車になっていた」なんていう感じの評価が多かったような印象です。
感想文なんかを見ていると「出足は非常にスムーズかつトルクフルで...」なんてのが多かったかな。でもモーターで走るんだから、そこのトルクが薄くってどうする?って突っ込んでいいのだろうか?ありてい言ったらソレしかメリットは無いんだし。
「非常に静かで、高級感溢れる走り」なんて言い回しもあったような気がします。
でも、高級車というか高額車の目指していた所ってのはつまるところ「静か」とか、「トルクフルにスーッと動き出す感じ」や「静かな車内」なんてのがキーワードだったはずです。
その点、電気自動車は内燃機関なんか積んでいませんから静かなのが当たり前っちゃあ当たり前。モーターは基本、ゼロ回転時がトルクの最高値ですからソコで十分な力が出るようなモーターをあらかじめ選んでおけばいいだけ、のはずです。しかも変速機も要らないから変速ショックも無い。
で、もう一つ。やっぱり搭載バッテリーが結構な重量になります。イコール余計な振動を抑える為の「重し」には事欠きません。だから余計な振動だって少なくなりますよねえ。
と、まあソコだけ見れば十分良いクルマだとは思います。あくまで格好は度外視して、の話で。
さて。
あちこちで目や耳にする電気自動車についての燃費が、とかのエコ談義。
まあ、これらに関しては以前も「電気電気といったところで、結局は石油資源の迂回融資に過ぎない」と書いた事もあります。結局そこでガソリンを燃やしているわけではない、というだけで他所ではきちんと燃やしているというわけです。
電費(でんぴ)なんていう言葉も使われていることもあるようです。「電気料金とガソリン代を較べると、ガソリン車より圧倒的にお徳」とかさ。まあ、ソコに関しては安いのかもしれません。これに関しては自分で検証した事が無いので言うだけの根拠が私にはありません。
でもまあ仮に安いとしても。またしてもそれは電気料金のみに限った話なんだろうなあ、と。
で。車輌本体が400万円前後です。で、そこから「国の補助金が最大限活用の場合で78万円」分を差し引いて300万円前後で買えるよ、と。
でもさあ。
これは日産のホームページに堂々と書いてある事なんですけど、最初っから補助金をアテにする買い方・売り方ってのは果たして如何なもんか?と思うのは私だけですかね。人のフトコロをハナからアテにするのはフェアじゃあないじゃあないのか?と。
しかも、元は税金なんだし。
車輌購入という最初の壁を通過した後にも難関は待ち受けています。それは電気工事。つまり充電設備の整備です。
何となくさらっと「100Vでも200Vでもいいですよ」なんて書いてありますけど、よーく見てみると「専用の充電設備で充電してくださいね」とちゃんと書いてある。つまり既存のコンセントなんかじゃあダメですよ、と。工場なんかならともかく普通200V電源なんか確保してませんし、それ専用に「コンセントだけ加工するのはダメで、きちんと新たに専用線を敷設しなさい」とか。
で、また電気自動車の補助金のページを見てみると「充電器購入の補助」なんてページもあったりします。
中身を見てみると安いもので60万くらいから100万円オーバーの金額が並び、大体その半分程度が補助金で充当されますよ、と。で、そこから工事費だって別勘定でかかる訳ですから、果たして総額の初期投資費用は幾らになるんだろう?と考えこまざるを得ません。
でまあ、そこまでの壁も何とかクリアーして最後に立ちはだかるのは「航続距離」です。実際には数十キロ程度と言いますしね。外気温にも相当左右されるでしょうし、車内のヒーターやクーラーにかかる電力だって少なからず。
こうした幾多の難関を潜り抜けなければならない電気自動車。
でも。
これを個人に普及させようってのは.......。
ちょっと正気の沙汰とは思えない。
正直、その神経を疑わざるを得ません。
冷静になってよーく考えてみ?
車の大きさからして精々がプレミオとかカローラフィルダーあたりの大きさで。このあたりなら今時の車なら12~15km/ℓは走るでしょう。で、実走行距離4~50kmを走りたいのならば必要なガソリンは精々が5リットル以下です。
そこを節約するために幾ら投資するハメになるか。つまるところ車輌本体とその周辺整備にかかる初期投資が膨大すぎる、という事に尽きる話になってしまいます。
ちょとどころでない、割に合わない計算です。
しかも幾ら補助金があるから自分の懐が痛むワケではないとはいえ、元々掛かる筈であった金額分に相当する石油資源はきちんと消費しているわけです。これでゼロエミッションとは片腹痛い。
もっとも補助金頼りなのは同じにしてもアイミーヴくらいにまで金額がこなれてくるとウーンと思わなくも無いですが。
でもでも、それで買えるのは電気駆動になっただけのアイであることも変わり無い事を思うと、ちょっと寂しい。だったらガソリン車でいいか、って。
航続距離の問題に関していえば行動範囲が限定され、出先の充電設備をアテにしなければ普通に使う一般のクルマとしては成立し得ない(行きは良くても家に辿り着かない事だって十分ありえる)事を考えても、ここでも自分の懐を痛めず人の懐(or好意)をアテにせざるを得ないという半人前のクルマです。
結局、いつまで経っても、何処まで行っても電池がネックであり、結局は「もっと良い電池が開発されれば、これからは先もっと......」といういつもの繰言が繰り返されるだけなワケです。夢はいつ醒めるのやら、という感じですね。電気自動車という一つのプロダクトだけでは成立し切れていない。
結局、誰かの手助けがなくてはまともに運用できない金喰い虫の資源浪費屋なのが実情なワケですから、個人でバラバラに運用されていく、という自動車としての本質を考えるとやっぱり欠陥商品だよなあ、と。
そう思います。
もちろん、そういう事を考えると「区域限定の大量一括運用」という使い方に限ればそれなりのスケールメリットも出せるんだろうなあ、とか。
でもそれなら既に「電車」という運用方法も一方で確立している以上、車でワザワザ電気一本の方法を探る事は「今更何を......」って感じも無きにしも非ずで。
そうなると、やはり今更な感じはしますけど既存道路の拡幅や幹線・支線のメリハリをつけた整備をし、交差点・信号機の統廃合をさっさと進めて交通の循環を良くする事を第一とした整備を進めた方が、みんなが幸せになれる最大公約数になるような気がするんだけどねえ。
もちろん、そういう道路の方が電気自動車だって航続距離も伸びる筈なんですが。
あ、そうそう。話を最初に戻すとリーフのCOTY受賞について。
そもそもの話で言えばカーオブザイヤーって奴は本来がベストバイを選ぶ為の「購入ガイドブックorガイドライン」であるべき筈だと信じます。
それが何をトチ狂ったか自動車メーカーさんマンセーばかりで、「いやー日産さん、今年はやりましたねー」とか。「いやいやお宅さんも凄かったじゃあないですかー。冷や冷やしましたよー。」みたいなさ。
こういうのを「自作自演」と言うと思うんですが、こんな事やってりゃあ、そりゃあソッポ向かれるよなあ、と。ここでも「商売熱心とは何処まで許されるものなのか」という話の蒸し返しになるんですけどね。
Posted at 2012/01/25 13:20:25 | |
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