「年金受給者の私に喪主やらす気?」
正月の席で、いきなりの話題に戸惑いながらも、答えは既に出ていた。
年末から危篤中の親父は、ICUから出られそうにない。
母と嫁いだ妹と3人、実家で顔を合わせ出る話題は、間近に迫った葬儀だ。
製薬会社のMRである僕にとって、貴重な正月休みも自宅待機とは。
あらかじめ心の準備はしていても、死を待つ気分は楽しいものではない。
「延命措置はされますか?」と担当医に聞かれた際、丁重に断ってある。
ここは隣県にある地域拠点病院のひとつ。
父のいる5階のICUは3階のそれと違い「生きては出られない」と言われていると、
この病院の担当MRから聞いたことがある。
心臓に加え腎機能の低下と聞いた時点で、もう時間単位と覚悟はしていた。
エンゼルケア担当の看護師が、遺体からチューブを外し、容姿を整えていく。
用意しておいた新品の浴衣を渡すと、慣れた動きで着替えさせていく。
なるほど、こうして間近で見ると、まさにプロの技だ。
患者が亡くなってから病院を出るまで、手際の善し悪しに差があるに違いない。
ランク付けに「ミシュラン」ならぬ「モシュラン」ガイドとかがあると便利かも。
今回、喪主の僕から見た評価で言えば、この病院は2つ星といったところか。
「霊安室を使われますか?」
「いや、すぐに運び出しますから」
腕時計を観た後、葬儀社名と電話番号を携帯で確認し、その場で看護師に伝える。
死亡診断書を書く医師を横に見ながら部屋を出る。
ICUの隣りの待機室に入り、携帯で葬儀屋に電話をかける。
1時間後に来てもらうよう話し、その旨をあらためて看護師に伝える。
壁に掛けてあるカレンダーで暦の六輝を見て、葬祭場の休みである友引を確認。
逆算して通夜と葬儀の時間と、初七日の宴会場を何処にするか考える。
泣きたい気持ちはやまやまだが、憔悴している暇はなさそうだ。
次々に来ては泣く親類たちの輪の中に、葬儀屋の顔を見つけ近寄る。
「お運びするのは自宅でよろしいですね」
「すぐにクルマで追いかけますから、先に駐車場につけておいて下さい」
この葬儀屋の娘と僕は、幼稚園から中学まで同級生だった。
幼い頃から仲が良かったと言うより、僕が彼女をかばう立場だった。
あの頃「ガン屋」とあだ名で呼ばれていたが、子供ってのは容赦ないものだ。
葬儀屋が持って来たストレッチャーに移すと、指定されたエレベーターで1階へ。
時間外の救急受付に列ぶ人の中を、顔に布をかぶせ運ぶ父の遺体。
一瞬、静まる様子が妙に可笑しい。
出口に横付けされたクルマは、グレーのエスティマだった。
神妙な顔で看護師や医師が列ぶ中、ていねいにお礼を述べ頭を下げる。
つい医師達の前では笑顔で話題をふるクセで、微笑んでしまいそうになる。
「田舎へ行くと、遺体を自家用車に運び入れるってのも日常茶飯事。
後部座席から遺体の頭を支えるよう指示できるようになれば一人前」
担当する勤務医と呑みに行き、赴任先の病院の話になった時のことを思い出す。
家族のクルマが、2ドアや軽トラだけだったらどうするのだろう。
田舎の葬儀は「組」と呼ばれる集落単位で、全員総出で行われるらしい。
ご近所の人が死にそうだと、前もって急に休むことを職場に伝えておくのだそうだ。
病院の特性や地域差は、あって当然。
担当する病院の医師や看護師に、気持ちよく働いてもらうのも製薬会社の務め。
気軽に話せる人間関係ってのは、一朝一夕ではつくれない。
営業トークやリップサービスの必要がない職場、病院。
病気の家族や遺族に笑顔を見せない配慮は、傍目には気の毒にさえ思える。
若い看護師たちの笑顔が、どれほど多くの患者や家族を和ませていることか。
ただ、医師たちが日頃から不機嫌そうな顔でいる理由が、少しわかった気がした。
Posted at 2012/01/29 17:01:45 | |
トラックバック(0) | 日記