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2014年07月31日

八王子大空襲

八王子大空襲 先日、親戚の伯父さんの家に行ってきました。
目的は姫の小学校から出た課題研究の付き添いで。

その課題の話というのが
「戦争の話を聞いてくる」
というものでした。

この伯父さんというのは古くから八王子に住んでる人で、勿論戦時中も八王子で過ごしていました。
聞いてるうちに生の声でしか聞けない興味深い事も話してくれて、私も一緒になって聞き入ってしまいました
今回はクルマと一切関係ありませんが、記録用としてここに書き残しておきます。


この伯父さんというのは八王子大空襲があり、その後半月あまりで終戦を迎えた昭和20年、八王子第四小学校に通う小学6年生だったそうです。
通ってた小学校の校舎の半分は日本の兵隊が駐屯し、そんな中で学校生活を送っていました。
校庭には無数の塹壕またの名をタコツボと呼ばれた一人用の隠れ穴が掘られ、花壇なども全て壊されてしまったそうです。
しかし当時の男の子も今の子供と同じように、米軍の飛行機が飛んでくると興味津々で、先生に怒られながらも米軍の飛行機を喜んで見てたそうです。

八王子大空襲は昭和20年8月2日の深夜0時45分から2時間掛けて1600トンの焼夷弾を投下されましたが、じつはその数日前に上記のビラが米軍機から投下され、市民は避難の準備を済ませてました。
伯父はこのビラを見て、何て余裕があるんだろう。。。と、逆に米軍の凄さを感じたそうです。
そして8月1日の21時前、空襲警報が市内に響き渡り住民は一旦防空壕などに避難したそうです。
しかし一向に爆撃機は現れず、また22時過ぎに川崎方面で爆撃が始まったとの情報が流れ、避難していた市民は続々と市内に戻ったり、防空壕の中にしまった布団を防空壕の外に出し、外で寝る人も現れました。
そんな不意を突き日が明けた2日の深夜の0時過ぎ、市内を取り巻くように怒涛の爆撃が始まりました。

逃げ惑う伯父は近所のおじさんに導かれ、畑のある街の外れに逃げていきました。
しかし大多数は集団心理が働き、市内中心部へと逃げていってしまったそうです。
そして市内を取り巻くような爆撃が終了した後は、今度は間髪入れずその中を埋めるように中心部に向かって爆撃が始まってしまいました。
そして市内中心部へと逃げていってしまった人達の殆どは亡くなってしまったそうです。

そんな話を笑いながら姫に伝える伯父さんですが、やはり辛かったのは終戦後だったそうです。
空襲で家は焼け落ち、残った家財は防空壕に持っていった物だけ。
伯父さんは偶然にもその時長靴で逃げたそうですが、殆どの子供はサンダルか草履。
その後来た冬にはこの長靴が大変助かったと言っていた事がとても印象的でした。


とうの姫はチンプンカンプンだったようですが、夏休み明け学校に提出するノートを纏める為に記録としてここに書き残しておくと同時に、ちょっとでも興味のある方に当時の事を知っていただければ幸いです。
ブログ一覧 | アルバムから | 日記
Posted at 2014/07/31 02:04:04

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この記事へのコメント

2014年7月31日 4:54
おはようございます!
ぴーすけさま(^o^)

いやはや、今の小学生は
こんな課題が出るのですね!
私の祖父の兄が戦死した
という話を昔聞いてから
どことなく、戦争の話は
タブーというイメージがあって
身近な人に戦争の話を聞けるということは
とても貴重な体験であったと思います。

それにしても、今の小学生は偉い!
私の時はそんな機会なかったです(°Д°)
コメントへの返答
2014年7月31日 6:56
おはようございます、penguin...さま^^

戦争の話はタブーというのは戦争を知らない世代共通の事ではないでしょうか。
私もそうでした。

ただ、こうして本当に体験した事を伝えていける人が少なくなっていくからこそ、今やっておかなければならないとも感じました。

私も今更ながら貴重な経験をさせてもらいました。
2014年7月31日 5:14
おはようございます。

近くに戦争経験者の方が居ると色々、当時の事など聞けて善いですねわーい(嬉しい顔)
に、しても今時の夏休みの課題には戦争についての事もやるのですね!

僕も、色々先日一周忌迎えた祖父の戦争時代の事を祖母から聞きますが、それぞれの戦争体験を色々聞けるので、戦争を知らない世代にはありがたいですよねわーい(嬉しい顔)
コメントへの返答
2014年7月31日 7:04
おはようございます、松っつー様^^

この課題は戦争体験者が身近にいる生徒に別枠で出されたそうです。

私ももう祖父母は他界してるのでこの話を直接聞くことは出来ませんでしたが、こうしてまだ体験してる人に子供をダシに使って(^^;直接生の話を聞けた事はとても良い経験でした。
2014年7月31日 5:54
おはようございます!!

今時の小学なんてって思てましたが…

なかなか良い志の宿題を…

若い者にも、年寄にも良い影響を残すのではないかと…


ぴーすけさんも姫も貴重な体験わーなされたようで何よりでしたね!!(^-^ゞ

事前にビラを配る米軍の恐ろしさを感じる小学生時代の伯父様の感性に感心しました。

にしても…

やはり不意打ちのような攻撃をするとは…

国連に対する言い逃れを出来るようにしておいて生き残りがでないようにとことん攻めるとこなんざぁ…

まさに鬼っすね…(@_@;)

卑怯な…

日本が勝ってたら、酷い嫌な国になってたかも知れないって思うけど…

やっぱ…勝ちたかったよね…

勝てば世界中で言いたい放題したい放題…

自分ちは核を持ってて良いけど、他の国は…新しく作っちゃ~だめょぉ…だめだめ!!

ってのが最たるもの…

だから…当然イスラムの反対に会う…

それをテロとして駆逐して保身…

やっぱ、日本が勝ってたら酷い嫌な国になってたかも…(T-T)ナガナガトゴメンナサイ…



コメントへの返答
2014年7月31日 7:21
おはようございます、師匠^^
ってか、長ッ(^^;

私の両親は共に田舎者だったので、戦争の経験というのもそれほど直接的な経験ではありませんせした。

しかし、今回の伯父さんは街中で空襲を経験し、その後の貧しい配給時代を過ごしてきた本当に貴重な経験をされた人でした。

本文にかいてあるとおり、小学校の校舎を半分占拠された中の学校生活だったそうですが、イメージほど殺伐としたものではなく、中には子供好きな兵隊さんもいてワラジをつくってもらったり遊びを教わったりと、意外と交流もあったようです。

また爆撃で亡くなった人も大勢いましたが、日本軍が撃った高射砲の破片などで亡くなった人も結構いたらしいです。
この辺りはなかなか情報では流れない事ですね。

当時、原爆というのももう落とされるまえから情報はあったようです。
この原爆という爆弾を先に作った国が戦争に勝つだろうと伯父さんのお兄さんは言っていたそうなので、広島に落とされたと聞いた時は「もう負けた。。。」と素直に思ったそうです。

もし日本かドイツが先に原爆を開発してたら。。。
世界情勢はどうなったのか、全く想像つきません(^^;
2014年7月31日 6:04
こんな歳になっても知らない事ばかり…

学べました、ありがとうございます。

悲劇を犠牲に平和になれた日本、犠牲の深さを忘れちゃいけませんね…。

いまも世界の各地で起きてる内紛、心痛いです。
コメントへの返答
2014年7月31日 12:44
こんにちは、こねらの様^ ^

私も恥ずかしながら知らない事ばかりで、今回はいい勉強をさせてもらいました。

戦時中も子供達は笑い楽しんでたという事をしって、何故だかホッとするのを感じました。

どうあるにしろ、一般市民を巻き込む事だけはあってはいけないと思います
2014年7月31日 6:14
自分も小学生か中学生の頃に似たような宿題があり、徴兵されていた祖父から話を聞きましたが、その当時はあまり聞いた話って記憶に残ってませんでした。

ここ数年で聞いた、敗戦後の祖父の身に起きた事の話は厳しいものでした。

本当に戦争なんて悲しみしか生まないと感じました。

姫様にとっては今は?な話かと思いますが、後々何かの機会で聞いた話を振り返った時にこの宿題を理解出来ると思います。

この先「話を聞く」ということが出来なくなるので、良い機会でしたね(^^)
コメントへの返答
2014年7月31日 20:45
こんばんは、お杉さま^^

私にも経験者の公演や近い人からの話を聞いた事はありましたが、今回ほどストレートに響いた事はありませんでした。

確かに今は???な話なのでしょう。
ですが、この先何れ姫にはこんな話を伯父さんから聞いたんだ、と父親としてしっかり伝えてあげる事が重要なんだと改めて思いました。
2014年7月31日 6:40
おはようございます、ぴーすけさん。

私も、八王子に居るお友達から以前、『この辺りは、焼け野はらで…。』などのお話を聞いたことがあります。

私も、この歳になっても、当時の知らないことがたくさんあり、今回のぴーすけさんのblogで1人、『そうだったんだぁ…。』と拝見させていただきました。

当時のお話を今生きる人に伝えてくれる方がいて、また聞ける事ができる私たちがいて…。
私も、このblogでとても貴重なお話を聞くことができました。

コメントへの返答
2014年7月31日 20:58
こんばんは、ナナさま^^

八王子空襲は死者のわりに爆弾の投下量は多く、日本本土空襲では3番目の投下量、また市民一人当たりに換算すると1人あたり10個にもなるそうです。

勿論、私も当時の事は知りませんが、こうして当時の生の話をしてくれる親戚が近くにいるのは、ある意味贅沢なのかもしれませんね。
2014年7月31日 7:07
おはようございます(^^)

青森は青函連絡船などがある関係上同様に空襲を受けていますが、中心部にすんでいた祖母から父を背負って現在刑務所がある辺りまで歩いて逃げたこと、背負われていた父は花火のようだったと思った記憶がある、と聞いたことがあります。

亡母の両親はすでにこの世におらず、戦中戦後の話(祖父が道楽者だったという趣旨の違う話しか・・・)が聞けなかったことが悔やまれます。
コメントへの返答
2014年7月31日 21:02
こんばんは、miracle_civicさま^^

戦争の話はある意味タブーと思われてるフシもあり、なかなかきっかけがないと聞きづらい話題なのではないでしょうか。
私もそうでした。

今回は姫の宿題という事で姫と同席させてもらいましたが、大変貴重な話が聞けたと思ってます。

あとは責任持って姫の宿題の仕上げをしないと。。。(^^;
2014年7月31日 8:33
おはようございます〜

子供に、戦争の悲惨さを伝える(教える)って大事な事ですが、中々難しいですよね。
ワタシは小学5年の時に、広島の平和記念公園に連れて行ってもらいました。
かなり大きなショックを受けたのを覚えています。

来年にはウチの娘を連れて行こうかと。。。
コメントへの返答
2014年7月31日 21:06
こんばんは、cielo-bluさま^^

タイミングが難しいですよね。
私は広島ではないですが高校の時にやはり長崎で大きなショックを受けた覚えがあります。

来年広島ですか。
もしよろしければ、その時のお嬢さんのリアクションや感想などもお聞かせください。
参考にさせていただきます。
2014年7月31日 13:14
こんにちは。
戦争の経験談、重要ですよね。
今も世界のどこかで起こっていますが、やはり現地で身を持って経験しないとわからないこともあると思います。
そういったときに、身近に語り部が居るのは良いですね。

この貴重な経験が人生の糧になること祈るばかりです。
コメントへの返答
2014年7月31日 21:11
こんばんは、nave-irさま^^

今となっては本当に伝えてくれる人が少なくなってしまったので、かなり貴重な経験だったと思います。

この伯父も市の教育委員から公演の依頼もあるようですが、思い出したくないとの事で断ってるそうです。

今回は特別に話と同時に写真も見せてもらいましたが、なかなか衝撃的な光景でした。

姫の心の中にも、何か感じるものがあったことを願うばかりです。
2014年7月31日 21:11
こんばんは

本当の空襲の話を聞けるって凄い貴重な事で不謹慎な表現ですがいい話を聞けたみたいですね。

おざ家は広大な北海道のかなり広大な土地と財産を国に奪われ満州に…(戦争が無きゃ今頃牧場のボンクラやったなぁ)

終戦直後、満州引き上げの際に帰国しようとする人を某国(ソ中朝)の人に略奪目的でクワで撲殺されたりとか

ウチのばあさん等は荷物を投げ捨てたから助かったとかって話は聞きましたが。
コメントへの返答
2014年7月31日 21:27
こんばんは、おざ様^^

はい、タブーだと思ってた戦中の話は意外と楽しかった事も多く、子供なりの生活は出来てたそうです。

Pは哨戒機、Fは戦闘機と、当時の日本の子供も知っており、「飛んでくる飛行機を見たくてしょうがなかった」というのは、なかなか公の場で聞ける話ではないでしょうね。

私の父親は富山の山奥だったので、戦中の話は殆どないそうです(^^;
2014年7月31日 22:19
んちゃ(^^)/

亡くなった主人の父が良く戦争中の話をしてたことを思い出します。

亡くなった父は満州に疎開をしてたそうです。
当時小さな姉や兄も連れてだったそうです。
終戦後満州引き上げの際多くの方が剥奪目的等で亡くなったと。
父はその時、運命の分かれ道の時に人々が向かう方向と逆を選んだお蔭で助かったと言っておりました。

なかなか実体験を聞くことはないですよね。
教科書や資料等だけではなかなか難しいですね^^;
コメントへの返答
2014年7月31日 22:31
こんばんは、姐さん^^

まさに伯父さんもこれを言ってました。
サンダル・雪駄→長靴
街中→街の外
本当に運命を分けたと言ってました。

ただ助かった後の戦後の話になると、それまでと違い口篭ったのは印象深かったです。
それほどまでに苦労した体験をしてるんだと想像はつきますが、それ以上聞く事はできませんでした。
2014年7月31日 23:38
こんばんは。

最近の宿題は凄いテーマですね 驚

亡くなった父は、大連に疎開していたと聞いた記憶があります。

今年のGWの広島と、数年前に沖縄のひめゆりの塔は行きましたが、完全に平和ボケしている私にとっては衝撃的でした。

機会があれば長崎も訪れようかと思います。
コメントへの返答
2014年8月1日 1:02
こんばんは、namiheisanさま^^

学校及び市の教育委員会も戦争の語り手の減少に危機感を持っているようです。
ここ八王子は大きな爆撃があった街なので、そのことは学校としても伝えていきたいようです。

私も日本人として、一度は広島を訪れておかなければいけないと思っています。
2014年8月1日 8:27
もうこの時代をしっている方々も少なくなってきていますから、
貴重な体験をされましたね。

また鎮魂の8月がやってきます。

合掌。
コメントへの返答
2014年8月1日 22:23
こんばんは、P.N.「32乗り」さま^^

69年前の今夜、日付が変わってまもなく、八王子の街は火の海となり全てが灰と化してしまいました。

そして当時の事を克明に伝える方も少なくなってしまいました。

今回の件、私も大変貴重で有り難い経験をさせてもらいました
2014年8月2日 2:04
こんばんは

まもなく終戦記念日ですね
そして、後10年もすれば
戦争経験者がいなくなるかも
しれません。若い世代に伝承する
ことは大切なことだと思います。
結局、被害にあうのは一般市民
なんですよね
コメントへの返答
2014年8月2日 5:29
おはようございます、摩利支さま^^

一般市民は戦う術を持っていません。
実はこの空爆のあと、8月5日には山梨方面に疎開しようとする中央本線に対し、米軍のP51戦闘機による銃撃がおこなわれ、やはり一般人約60人前後が被害に遇うという痛ましい事件もおきています。

こういう事があったことを、もっともっと生の声で伝えていってもらいたいですね。

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「@HITOTSUYA 足柄ですね、ご苦労様です」
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