
みん友さんに感銘を受け、恥ずかしながら愛車までの道のりを…と、スマホと格闘しながらブログアップしました。
幼い頃のアルバムを見返すと、長年付き合いのあるマツダディーラーで色々なマツダ車と一緒に、ぶきっちょなピースサインで映っている写真や、ミニカーやラジコンを手に持った写真が多い。
車好きな父の影響で、物心がついた時には…
字は読めないが、父が買ってくる「ル・ボラン」「カーグラフィック」「モーターファン」が大好きで…
夢中で観ていた「ル・マン」「パリダカ」「F1」にキラキラし…
祖母に「特攻野郎Aチーム」への強い入隊志望を打ち明け…

※イメージですwww
「ナイトライダー」に憧れて、走ってる黒い車を見付けては「キット!こっちだ!!そっちじゃない!!!」と腕時計に向かって話しかける始末…

※イメージですwww
ヒーローと言えば「ウルトラマン」や「仮面ライダー」でもなければ「フラッシュマン」でもなく…「セナ」「マンセル」「ベルガー」「篠塚建次郎」「バタネン」という、枠が限られた著名人(笑)
将来は「Aチームに入ってレーサーになりたい!!」と、畑違いのムチャクチャな夢を豪語しており、レーシングジャケットのようなワッペンの沢山付いたジャンパーを毎日着ていました。
…あんたはね~、動物の本とか戦隊ヒーローのオモチャより、車の本やオモチャの方がずっと喜んだのよ~
※オカン談
と、一風変わった幼少期を過ごしました(笑)
そんな中、生まれ付き視力が低かった「この子」ですが…
"このままでは成人までに右目の視力を失う確率が高い"
と、小学校へ入学する前に手術を受けることに…。
子「入院やだ!(;□;*)手術やだ!(;□;*)」
と泣き続ける自分に、母が言いました。
母「手術しないと目が見えなくなっちゃって、レーサーになれなくなっちゃうんだよ?」
子「やだ!(;□;*)」
…実に純粋無垢な子でした(笑)
1989年10月末、入院。
健康診断の後、ベッドに寝かされ、お医者さま方に励まされ…
長時間の手術を終えて目を覚ますと、右腕には点滴、右目には眼帯、施術箇所のいたずら防止(?)で両手足をベッドに縛られていて、はりつけ獄門状態。
横には父と母がいて、目を覚ました事にホッとしたような顔をしていました。
まったく力が入らず、意識もハッキリしない中、父が手に持っていた雑誌が気になり…
子「その本なーに?」
父「おー、今年な!モーターショーやるんだよ!一緒に見ようと思って買ってきたけど、読めないよな(笑)」
それは、89年東京モーターショーのガイドブックでした。
「見たい(*゚□゚*)」と無理を言って、紙芝居風に見せてもらい、ボヤけながらも目に飛び込んできたのは…
三菱 HSR-Ⅱ

父「曲がったりブレーキ掛けると後ろからウィングが出てくんだってさ!」

子「すげー!!(*゚□゚*)」
父「これがな?」
子「へぇー!(*゚□゚*)」
父「ほいでこれが…」
子「うおー!(*゚□゚*)」
と、もうろうとしつつも興奮する園児に、夜眠れなくなりそうな事を心配したナースが笑顔で注意しに来つつ、パラパラとページを捲ってくれました。
父「それでな、いっちゃんが好きそうなのがあったんだよ!」
と見せてくれたのは、白と青のツートンカラーでレーシングカー風のボディに、大きなゼッケンを纏ったAZ-550・タイプCでした。
スポーツカーよりレーシングカーが大好きな園児には、それはそれは鼻血級のインパクトでして…
「カッケー!!(*゚□゚*)」を連呼(笑)
コンセプトのメインであろう、ガルウィングのタイプAは眼中になく…

父が推していたタイプBに関しては「カッコ悪い!!」と一喝(笑)
面会が終わると、キラキラしたトキメキも一瞬で去り…。
短時間で両親と離れた寂しさが募り、ホームシックに陥るも家から遠く離れた場所と聞かされて、ご飯も食べられなくなる位に絶望し(笑)、毎日泣き…8日間の入院生活ではあったが、園児の心を寂しさと切なさで満タンにするには充分すぎる時間でありました。
そんな中、ガイドブックで強烈なまでに目と脳に焼き付いたタイプCは…
「退院して目が治ったらレーサーになって、絶対乗るんだ!」
と、泣き虫に勇気をくれた、心強い「ヒーロー」でした。
つづくー(*´∀`)かも(笑)
Posted at 2011/12/01 17:30:19 | |
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