
戦艦山城

戦艦扶桑
戦艦武蔵に続いて山城 扶桑も発見されたそうです。
同型艦の二隻
しかし開戦時既に旧式艦扱いでした。
足が遅く、主砲を発射すれば艦の構造物が破損するなどの欠陥も抱えていたのです。大規模な改装が施されていますが、両者艦橋の造形はかなり違います。比較されると興味深いです。山城の方が安定感を感じます。主砲塔は日本の戦艦の中でもっとも多く六基装備されていました。

生頼範義氏によって描かれた扶桑の最期
フィリピン、スリガオ海峡での闘いは絶望的な状況でした。
集中砲火を浴び、崩れ落ちる山城の艦橋の前の砲塔から主砲が発射されるのが目撃されたという記録があるそうです。
今後詳細な画像が発表されると思われます。
【戦艦山城や扶桑か、比沖の海底に5隻 武蔵発見の調査団 】
米マイクロソフトの共同創業者のポール・アレン氏が率いる沈没船調査団は7日、フィリピン南部スリガオで記者会見し、太平洋戦争中に撃沈された戦艦山城(やましろ)、扶桑(ふそう)など、旧日本軍の艦船とみられる5隻をスリガオ沖の海底で発見したと発表した。
見つかったのは戦艦山城、扶桑のほか、駆逐艦の満潮(みちしお)、朝雲(あさぐも)、山雲(やまぐも)。調査は11月22日~29日に行った。いずれも水深100~200メートルの海底にあり、山城と扶桑は上下逆さまの状態だった。比較的浅い場所で海水が温かく、船体にはびっしりとサンゴなどが群生していたという。船体はひどく壊れた状態で、激しい戦闘の跡が見られる。
扶桑からは銃や手投げ弾などの武器が、山雲からは梅のような花柄の付いたおちょこが見つかった。
資産家のアレン氏が率いる同調査団は、2015年にフィリピン中部シブヤン海の海底で戦艦武蔵を発見し、注目を集めた。今回の発見については今後、フェイスブックで海中で無人探査機が撮影した写真や動画も公開する。
山城と扶桑は同型の戦艦で全長約200メートル。1944年10月に、レイテ沖海戦の戦闘の一つであるスリガオ海峡戦で、夜間に米艦隊の攻撃を受けて沈没した。防衛研究所・史料閲覧室によると、スリガオ海峡戦では乗員4千人あまりが犠牲になり、日本海軍が壊滅的な打撃を受けた。
8日は日米開戦の発端となった米ハワイの真珠湾攻撃から76年となる
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軍艦 | 日記
Posted at
2017/12/07 22:20:23