
行方不明者の捜索活動が続く一方で、被災者の仮設住宅の建設も始まった。懸命な復旧活動により道路や空港、港の利用も再開されつつある。物流網が整えば、支援物資や燃料の供給にも弾みがつく。日本全国、いや世界中から集まる力を合わせて、未曾有の大災害が残した爪あとの修復が始まろうとしている。
町を歩けば、あちらこちらに募金箱を抱えた人が立っているし、ボランティアスタッフとして現地に向かう人も多い。そして世界各国でもチャリティー活動が行われている。インターネットを通じた情報の提供、拡散といった支援も充実してきた。
被災地へ向けて多くの支援がなされる中で、かつて被災を経験した者だからこそできる支援の輪も広がっている。
「できますゼッケン」で円滑なコミュニケーション
「手話できます」「ENGLISHできます」「介護できます」「ベビーシッターできます」――。
胸と背中に大きく記された言葉によって、「自分ができること」を周囲に知らせることができる。これは博報堂と「デザイン都市・神戸」推進会議(神戸市のデザイン都市推進室)が作った「できますゼッケン」だ。
ボランティアに向かう人は、PDFデータをダウンロードし、A4の紙に印刷して背中にガムテープなどで張れば、ゼッケンになる。
医療・介護や言語、大工などの専門技能や生活支援といった分類で色分けし、ボランティアスタッフがそれぞれ「自分にできること」を書く。ボランティアや被災した人の中で、「自分にできること」を表明するために使うゼッケンだ。避難所などで困っている人がいれば、このゼッケンを見ると助けを求めやすい。
阪神・淡路大震災の避難所では、ボランティアスタッフと被災者の間で、コミュニケーションがうまく取れないケースが目立った。「何かをしたい」という強い思いを抱いて参加した若者が、うまく役に立てなかったり、被災者がスタッフに手助けを求めにくいという声なき声があった。
こういったコミュニケーションロスを減らし、より円滑なものに変えようと作られたのが、できますゼッケンだ。これを活用すれば、ボランティアスタッフだけでなく、被災者の中でも体を動かせる人も役立てる。
「ボランティアスタッフとして駆けつける人も、まずは自分に何ができるのかを考えるべき。書くだけで、自分の気持ちも切り替わる。被災者に役立つ機会が増えるはず」と、デザイン都市推進室の本田亙さんは語る。
フェリシモ、震災経験企業ならではの支援
震災を経験した企業も動く。神戸に本社を置く通信販売企業「フェリシモ」がその1つだ。同社は阪神・淡路大震災の翌月に大阪から神戸へ本社を移転する計画だった。震災の影響で、それが半年近く後にずれ込んだ。神戸を本拠地として、復興を間近でずっと見てきたのである。
フェリシモは婦人服をメーンに扱うため、東日本大震災の被災者向けに衣料品を中心とした支援物資を送ることにした。震災4日後の3月15日には被災地への物流網を確保。1社単独で送っても良かったのだが、あえて周囲の企業にも声をかけた。 「うちのトラックに、支援物資を混載しませんか」 阪神・淡路大震災で助けてもらった恩義を感じる神戸の企業は少なくない。しかし、今回の地震で自分たちも何か協力したいと考えたとしても、単独でトラックや輸送路を確保して届けるのは至難の業だ。個人同様、混乱する被災地に多くのクルマが殺到しても迷惑になるだけ。そこで、フェリシモは15日に神戸の企業へ呼びかけたのだ。
賛同した総合衣料品メーカーの「ジャヴァ」から衣料品の提供を受けるなど、支援の輪は広がっている。3月18日に新潟と山形を経由して宮城県の気仙沼へ向けて49ケースの支援物資を載せたトラックが出発。3月25日にも第2便が出発した。
フェリシモの支援はそれだけではない。動画共有サイト「YouTube」で「避難所で役立つ知恵」と題した動画を公開している。阪神・淡路大震災で被災した料理研究家の坂本廣子さんにインタビューしたものだ。
「水が不足している中でどのようにして清潔さを保つのか」
「非常時に飲料水を確保する方法」
「ストレスを少なく過ごす工夫」
このようなテーマ別に、分かりやすく専門家が解説する。坂本さんはこの動画の中でこんなコメントをしている。
「求められるのはお金や物資だけではない。避難所での集団生活を送るうえでの知恵やコツといった情報も、これから必要になってくる」
避難所にいるからといって、安心して不満なく生活できるわけではない。ただでさえ精神状態が普通とは異なる中で、慣れない集団生活を強いられる。そこで求められるのは、経験者からのアドバイスだ。
フェリシモは今後、避難所で生活する人向けに、その都度求められる情報を、YouTubeを活用して提供していく予定だ。
インターネット環境が整わない被災地では見るのが難しいかもしれない。これから被災地へ向かうボランティアや、スマートフォンなどで動画を見られる人には、参考にしてもらえるのではないだろうか。
持続性のある支援も重要
フェリシモの支援の特徴は、「瞬発性」と「持続性」の両面で支える姿勢を持っている点だ。同社の矢崎和彦社長は語る。
「震災直後の今だからこそ求められる支援もあるだろう。だが、被災者の戦いはこれからもずっと続く。一時的な支援だけではなく、より長く、継続的に支える必要がある」
フェリシモは顧客に対し、買い物とともに毎月100円を寄付する「毎月100円募金」という仕組みを作った。これは阪神・淡路大震災の時にできた仕組みで、当時は6年間継続し、400万口にあたる4億円を集めたという。たとえ1回の寄付額は少額でも、長く続けることが、長期化する復興を支える。
3月末からは、同じく神戸の企業である食品関係のロックフィールドやユーハイムとともに、永続的にどのような支援ができるかを話し合う会「Yell from KOBE」を立ち上げる予定だ。それぞれの企業だけでできる支援もあるだろうが、集まって活動すればより大きな力になる。
関心が薄れることが一番の問題
16年前。
当時中学3年生の筆者は、兵庫県西宮市の自宅で阪神・淡路大震災に遭った。被災経験者だからこそ、伝えたいことがある。それは、どうか1日でも長く、支援を続けて欲しいという願いだ。
阪神・淡路大震災から2カ月後。神戸の町はまだ水道やガスが復旧せず、体育館などに避難して救援物資をもらう生活をしていた。その時期、仲良くなったあるボランティア男性が私に言った。
「届く食料が今週から明らかに減っている。いったい何があったんだ?」
東京で地下鉄サリン事件が発生したのだ。前代未聞の首都圏でのテロ事件。メディアの多くがこの事件を扱い、社会の関心が完全に移ってしまった。この事件を境に、全国から届いていた支援物資が急に減り始めた。
サリン事件も、世界が注目する重要なニュースだったのは間違いない。だが一方で、支援への関心まで薄れたのは残念だった。支援を受ける側が言うとおこがましく聞こえるかもしれないが、「すべてを失った」人たちにとって、支援は生きる道をつないでくれる一縷の望みだったのである。
捜索活動やがれきの撤去が終わるに連れ、テレビに映る風景は仮設住宅が建てられる「復興」の景色に変わっていく。最悪の期間が終わり、回復に向かう画像や映像がメディアに流れ始めると、世間の関心は冷え込んでしまいがちだ。
ワイドショーによる過剰なまでの被災情景のリプレーに嫌気を起こす人もいるだろう。だが、個人的には、支援への関心が離れてしまうことが一番怖い。
「ムリをしてはいけない」
東日本大震災の被災地は、阪神・淡路大震災に比べて範囲が広い。津波が押し寄せた街に、再び安心して住めるようになるまでは時間がかかるだろう。
ソフトバンクの孫正義社長は、今回の地震で被災した震災孤児に対して、18歳まで同社の携帯電話の基本料金を無償で提供すると発表した。「災害時にほとんどつながらない」という欠点をさらけ出したソフトバンク。より安定した通信環境の構築も急務だが、このような長期的な視点に立った支援を企業にもお願いしたい。
フェリシモの矢崎社長が、支援を長く継続するためのコツを教えてくれた。
「ムリをしてはいけない。企業なら、自社の事業の延長線上でできる支援を。個人ならば、自分が日頃からやっていることの延長線上、または自分の性分にあった支援を心がけるべきだ」
運動と同じで、普段は使わない筋肉を急に使えば、怪我をしてしまいがちだ。しかし、大きな負担とならないような支援なら、長続きしやすい。
企業も個人も、どうか1日でも長い支援を
街の景色が一瞬にして変わる。昨日の続きが今日ではない、それを悟らされる出来事が震災だ。
どん底で見た光景は、徐々に復興の景色に変わっていく。私が青春時代に見た景観の変化は、まさに神戸の復興の記録だ。ただ、街は外見的に蘇っても、心の傷はなかなか癒えない。長期化が予想される復興には、その段階に応じて必要なモノや情報、そして支援体制は変わってくる。
寄付や支援物資の供給で、既に支援した人にもお願いしたい。どうかそこで「完結」せず、継続していただきたい。私もまた、支援を継続していくことは言うまでもない。
阪神大震災から16年。幼少期に被災した子供が、ようやく成人する頃だ。せめて、東日本大震災で親を亡くした子供たちが大人に成長するまでは、みんなで支え続ける気持ちを、忘れないでほしい。
白壁 達久(日経ビジネス記者) より