
話は2月の飲み会にさかのぼります。
5月に予定している「梶フェス」へ向け、予習教材の話をしになったとき、やっぱりコレでしょう…
ということで「空の境界」の名前があがりました。
という事で、第一章〜終章までを、あらためて見直しました。そこで感じた、白むつなりの所感を、音楽へ回帰する形で書いてみたいと思います。
▼「空の境界」とは…
白むつのお友達のなかでは、アニメを観ている方はほぼ皆さんが何かしらの形で、この作品のブログを書かれています。
皆さんのブログを拝見すると、一番後発の白むつにとっては、重い作品ですしなかなか手が出なかったのも事実ですし、下手なことはかけませんからね。ちょっとプレッシャーを感じてたり…
てなワケで、まずはこの作品を簡単にご紹介します。
「空の境界」は奈須きのこ氏による伝奇小説であり、もとは同人誌として出版されたものです。
主人公は男性人格と女性人格をもった両儀式(正確には女性人格の「式」と、男性人格の「織」の2つの人格と、肉体に宿る魂「両儀式」により成り立っている)のもつ直視の魔眼から繋がっているとされている「根源の渦」へ到達するために、式を利用しようとする魔術師 荒耶宗蓮との戦いを描いています。
各章では、荒耶の刺客による戦いや両儀式と黒桐との出会いなど丁寧に、またあるときは壮大な伏線をもって表現されています。
▼梶浦由紀さんの描く作品世界!
この「空の境界」では、全ての章の音楽を梶浦由紀さんが担当しています。
この作品の音楽は映像を観ながら音楽を造る…いわゆる「当て書き」によって作られています。
通常であれば、原作の漫画を読んだり、小説を読んだりして、作曲者は世界観を膨らませ、想像した世界観のなかで曲を書くのです。しかし、この作品はその「当て書き」によって作られた楽曲により、雰囲気や尺さえも寸分たがわぬオーダーメイドとして用意され…それが映像と音楽の一体感につながっています。
音楽はもはや場を盛り上げる演出の一部ではなく、物語そのものになっているといってもいいかもしれません。そして、「空の境界」を表現する為に、必要だった「音」や「想い」を具現化するために生まれたユニットが、karafinaという事になります。
▼作品世界全編で共通する不安定感それは…
まずは全編を通した考察など…
「空の境界」は、タイトルに示されたとおり、あるものと、あるものの境界と、その狭間にある伽藍を意味しています。
境界とは、否定と肯定、陰と陽、男と女、式と織、殺人と殺戮など、その境は人の見方によって、とても曖昧なモノであり、常に不安定さがつきまといます。
再視聴して、初めのうちは
「この物語全編にある不安定さはどこから来るのだろう??」
と考えていたのですが、この境界の曖昧さを映像的、音楽的に表現した結果、この様なサウンドトラック表現になったのだと思います。
▼主題歌はなにを意味するのか?
さて、そんな「空の境界」の主題歌は第一章から第七章まで、すべてが異なっています。
基本的に各々の章ごとに、メインとなる敵役が違うため、そこにテーマをあてはめると、当然違った曲になってしまいます。
なかでも、注目したいのは第四章の「ARIA」と、第七章の「seventh heaven」です。
「ARIA」は、歌詞の中に「伽藍のこの胸に名もなき光を…」という言葉が散りばめられ、おそらく両儀式が黒桐の事を想った歌になっていると思います。
そういう意味では、かのお方がブログへ書かれていた通り、2年間の昏睡から醒めたとき、男性人格の「織」がいなくなった心にぽっかり空いた「伽藍のこころ」、即ち「空の境界」という作品そのものをあらわしているとも言えます。
ただ、この作品は「根源の渦」とか「」といった理(ことわり)をとりのぞいていくと、実は「どごでも純粋な恋愛物語」という見方もできます。
辿り着く先は、
暗い世界にとどまっていた式を、明るい眩しい世界へ連れ出す「救いの物語」なのだと…
そう考えたときの到達点はやっぱり「seventh heaven」なんだと考えています。
だって、坂本真綾さん、鈴村健一さんがご結婚されたことは、まさにそこに愛があったという証しなのではないでしょうか…
▼サウンドトラックにみる音の伏線
第一章のオープニングは「 in the garden of sinners 」という曲から始まります。そもそもこの作品は、オープニングテロップはありますが、明確に歌詞の入る音楽はありません。それは各章ごとの起承転結部分の「起」をバックの映像として流しているからです。
さて、この曲には「空の境界」全編にわたって使われる旋律が入っています。この旋律は「空の境界」全編に渡り、いたるとこにで散りばめられています。
まったく違った雰囲気の出だしの曲であったり、複数の音で奏でられた曲のなかから、いきなりその旋律が登場したり、まさに音楽の伏線とよべると思います。
「えっ?ここでそのメロディが入るの??」
みたいな感じです。両儀式は、「式」であり、「織」でもあり、最終的には「両儀式」でもあり、みな違った側面をもっているので、ひとつの旋律を違ったアプローチで表現しているのでしょう。あっ、もちろん心の抑揚も表現の対象でしょう。
こんな「音遊び」的な音楽の造り方が、梶浦さんらしさに繋がっているのかもしれません。出来れば、ライブでは少しでもいいのでこの劇番を聴いてみたいと思っています。
▼あとがき…
最後になりますが、今回「空の境界」を再視聴して、音楽の世界を少しだけ掘り下げましたが、もちろん作画的にも演出的にも素晴らしいのです。
おそらく今後10年はこれを越えるアニメは出てこないんじゃないかと思うほど特別なものを持っています。
こんな作品を紐解くなんて、私ごときが烏滸がましいのですが、「梶フェス」という機会に接することが出来たので書かせていただきました。
また、出来る限り皆さんと違った視点になることを意識しつつ、梶浦さんの言葉を借りずに、自分なりの言葉を使っていますので、作者の意図と違うところもあるかと思いますが、何卒ご容赦ください。
Posted at 2013/04/26 09:12:12 | |
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