
~ウィキペディアより~
「ブログ」の概要…
ウェブサイトとしての体裁は主として管理者が記事を投稿する私的ニュースサイト、あるいは日記である。
だそうです。
と以前のブログのコピペをしてからの…(笑)。
では以下、時系列で。
12・13日と愛媛からの引っ越しでした。
例によって部屋を埋め尽くした段ボールに「まあ、ゆっくりやろうよ…。」とカミさんとため息をつき…。
ガス屋さんの開栓が間に合わず、さらにそれを忘れていてお風呂にも入れず…。
14日、新天地での初出勤。小心者(?)の私はドキドキハラハラ、右往左往…。
15日の夜、名古屋のおとんから電話があり、「おかんの具合が悪化し入院した。主治医の先生から家族に連絡しなさい、と言われた。」とのこと。
’14年3月に家族で共有した「不治の病」との戦いが終焉に近づいているという事を意味しています。
16日、名古屋で仕事。年に2回の勉強会(一般的に言う展示会の様なもの)を抜け出し、おかんがいる病院に。意識があり私が来た事も理解しているものの、「今回は覚悟がいるかも…。」とおとんに告げられる。
17日、状況変わらず。通常勤務。
18日、朝おとんから連絡があり、「おかんの状況がさらに悪化した。」との連絡を受け、カミさんと名古屋へ。おかんの兄弟に加え、近くに住んでいるおとんの兄弟も集まる。午後には上海に住んでいる姉も駆けつける。おかんは意識が混沌しており、主治医の先生から「今日、もしくは明日が…。」と。
19日、段々と呼吸が弱くなり、手足が冷たくなり、午後0時10分、終命。おとんの兄弟、上海からお義兄さんが駆けつけるも間に合わず…。
20日、通夜。21日、お葬式。そして今日、大阪に戻って来ました。
’14年3月に家族で共有し、いつかはこういう日が来ることは分かっていました。
おとんも姉も私も覚悟していたので、もちろん悲しいことなのですが、取り乱す事無く落ち着いていられました。
でも、19~21日の3日間で何回泣いたでしょうか。そして何回笑ったでしょうか。
おとんも「やれることは全てやれた。悔いはない。」と言っていました。
穏やかなおかんの顏を思い返すと、「幸せな人生を送れたのだ。」と確信していますが、70歳という若さで逝ってしまったことだけが悔しいです。
おとんは今月で75歳になりました。おとんのこれからが少し心配です。
で、冷静になって考えてみました。
愛媛から大阪に転勤になったこと、少なからず不満に思っていました。
しかし四国にいたら勉強会は東京(16日におかんに会う事はできなかった)で、
愛媛→名古屋はクルマだと5時間以上(大阪→名古屋は2時間と少し)掛かる訳でありまして。
今後(おとんに気軽に会いに行ける)の事を考えて神様がそうしてくださったのか、
もしくは、おかんの命を今日まで伸ばして(?)くださったのか。
そんな事を考えています。
結局今回もクルマと関係ない文章になってしまいました(笑)が、今の気持ちを記録しておく為にUPします(先回と同じだ…)。
PS おかんとの最期のドライブは「センチュリー」でした。
Posted at 2015/09/23 01:02:13 | |
トラックバック(0) |
ファミリー | 日記