2011年03月29日
なんてね。
テンションだだ下がり(´・ω・`)
皆様お久しぶりです。
メールやメッセージで心配してくださった方々、ありがとうございます。
花粉で鼻汁と闘っておりますが私は元気です。
いつものアホ日記を書く気にもならず、毎日早寝早起きをしておりました。
近況も含めまして、簡単ではありますが日記を書くことにします。
20011年3月11日2時46分
私はこの日を一生忘れないでしょう。
地震当日、数週間前に起きたニュージーランドでの地震による倒壊の様子が頭に浮かびました。
親戚も当日クライストチャーチにいましたし(新聞に載ってましたが無事でした)自分自身が建物の下敷きになることを想像してしまいました。
壁際の物が倒れてくるのは勿論、吊り下げられている蛍光灯が何本も切れて火花を散らしながら降ってきましたし、向かいに見えるビルのガラスはひしゃげて波うっていました。
東北の事をニュースで聞くまでは震源地は東京付近だと思っていたくらいです。
今回の件で地震もそうですが津波の怖さを見せ付けられましたし、それに対して何もできない人間の弱さも目の当たりにしました。
何もできない人間の弱さ。
心の弱さが露呈し、パニックになった人々で震源地の東北だけじゃなく、ギリギリで均衡を保っていた首都圏の機能も麻痺しました。
通信機関・交通機関は全然あてにならず会社での宿泊を余儀なくされました。
止まらない余震と身内や飼い猫のことが心配で眠れませんでした。
テレビで映される東北の状況を、ただただ呆然と見ていた気がします。
2週間程が経過し、現在都心は平穏を取り戻しつつあります。
祖父の墓が行徳にあるので浦安を通りましたが道路の液状化が激しく、とても被災前を状況を思い出せそうもない程に町の様子が一変していましたが、大きな混乱もなく助け合い、平常通り過ごし、都心で不足している物資も取り合うことなく店頭に並んでいるのを見て人間の強さを実感しました。
そのようなことを踏まえて、現在私は普通通りの日常に幸せを感じています。
恥ずかしいことに、このようなことが現実に起こってみないと分かりませんでした。
車が走れない道路を目にして、ガソリンが買えないという現実を目にして、
車に乗り、弄ることができるという贅沢。
物が無いスーパーやコンビニを目にして、
毎日食べたいものを食べることができるという贅沢。
多くの家が倒壊し、何千・何万という死者が出たという現実を目にして
毎日帰る家に大切な人がいるという幸せ。
この気持ちをいつまでも忘れたくないですね。
最後に、被災地の皆様にも平穏が訪れる日が早く来るように祈っております。
Posted at 2011/03/29 12:46:58 | |
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