郡山出張で地震に遭遇し、日曜日の午後帰宅しました。
二度と遭遇したくないといいながら阪神大震災に続く二度目の経験になってしまいました。
自分のために覚えているウチに書き出しておきます。
3月11日
07:00 郡山出張に向け家を出る。
08:40 伊丹空港よりANAで福島空港に出発(社員4名)
10:00 福島空港よりバスで郡山に向かう
10:50 会社到着
12:30 会社の社員食堂で美味しいカレーうどんを食べる
13:00 打ち合わせ開始
14:46 携帯で「エリアメール」着信
【「緊急地震速報」宮城沖で地震発生。強い揺れに備えてください(気象庁)】
このメールを読んでいる途中で部屋全体が揺れるというより震え始めた。
かなり長い間揺れて、いったん止んだかと思うと、今度は前回以上の揺れが続く。
机横にあった、190cmぐらいあるサーバーがこちらに移動してきたので必死で押し戻した。
阪神大震災と状況(早朝就寝時)が違うがこちらの方が規模が大きいように感じた。
もう死ぬかと思った!
15:15 揺れが収まったときに社内放送で「運動場に避難すること」とあったので、部屋を出て運動場に向かった。
運動場にある体育館の窓はほとんど割れていた。
はじめは晴れていたが、雪が降ってきた。事務所にコートを忘れてきたのが悔やまれた。
この間も何度か地面が揺れていた。
寒空に二時間弱立ちっぱなし(出張前から風邪を引いていた)でやっと、持参品を取りに行くため、事務所に戻ることが許された。
17;00 会社を出て当日宿泊する予定だったホテルに到着。
道すがら、ドコモ郡山支店の壁が落下したりしていたが、倒壊している建物はなかった。
ちょうどコンビニがあったので、パンとお茶を買い込んだ。少し行列ができていたが、たいしたことなかった。
前の女性が「たばことビール」だけを買っていたが「この人どういう心臓なんだろう?」と思ってしまった。
17:30 余震が続くが部屋には入れず、宴会場で待機。
20:00 ホテルよりパン、おにぎりと味噌汁が配給される。暖かくて美味しかった。
22:00 ホテルの宴会場で毛布にくるまって雑魚寝。余震は続く。
会社の総務と明日の行動予定をメールで相談。(なかなかつながらない)
翌日の飛行機は全便欠航と判明。
3月12日
05:00 寝たのか起きたのかわからないが、目が覚めた。
総務からメールがあり、当日の行動予定を相談。
郡山からはなかなか情報が入手できないので総務で帰阪ルートを探してもらうように依頼。
07:00 ホテルの朝食。おにぎりと味噌汁。ホテルの皆さんにも家族がいらっしゃると思うが、本当に感謝!
11:30 お世話になっているホテルだが、備蓄の水も枯渇してきており、郡山駅前の避難所に移動するように依頼された。
12:30 総務から3月13日の便で、福島=札幌=伊丹の飛行機予約できたとの連絡があった。
もう一日郡山の避難所で一泊しなければならず、ほかに方法がないか、ホテルの人に聞いたら、「郡山から大宮までタクシーで移動した人がいる。」との話で、急遽タクシーの手配を頼んだ。
13:20 タクシー到着。
国道4号線を一路大宮へ!
道中ひび割れした建物、大きな看板が傾いたお店、道路の陥没、倒壊した工場(林精機)があったが、町全体としては阪神大震災ほどの崩れ方ではなかった。
19:00 宇都宮到着。タクシー代4万円!!
計画変更でここから2時間かけて東京に行き、そこから新幹線最終に乗ることとした。
駅で状況を聞いたが、出発時刻が未定とのこと。これでは新幹線に乗れるかどうかわからず、駅近くのホテルで一泊し、明日朝帰ることとした。
20:00 「座ワタミ」で4人で晩ご飯。こんな時しか食べられないので名物の宇都宮餃子を食べてホテルで就寝。
生き還った!
ふかふかの布団で寝られて幸せを感じる。
3月13日
09:00 湘南ライナーで宇都宮駅出発。
11:00 新幹線で東京出発。
14:00 新大阪到着
15:00 帰宅!!
幸い、生きて帰ることができましたが、亡くなった皆さんには心からご冥福をお祈りします。
そして、未だ被災地にいらっしゃる方も早くいつもの生活に戻られるようお祈りします。
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エトセトラ | 日記
Posted at
2011/03/15 05:25:10