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イイね!
2013年05月01日

1994年5月1日 イタリア ・イモラ

1994年5月1日 イタリア ・イモラ   F-1世界選手権第3戦

魔のサンマリノGP






4月29日(FRI)

ルーベンス・バリチェロ







4月29日の金曜日

レースのスタート順位を決める最初の予選中にジョーダンのルーベンス・バリチェロは
ヴァリアンテ・バッサシケインで時速225キロで縁石に乗り上げ空中に飛び上がった

マシンはタイヤバリアの上端と金網に衝突し、バリチェロはその衝撃で気を失った
マシンはノーズから地面に垂直落下した後に数回横転し、裏返しになって停止した

バリチェロは事故現場で医療チームからの手当を受け
その後メディカルセンターに搬送された

鼻を骨折し、ギプスで腕を固められた事で
レースウィークはマシンの運転が出来なくなったが
翌日にはサーキットに戻り、ドライバーズミーティングに出席した






4月30日(SAT)

ローランド・ラッツェンバーガー






予選開始から20分後
シムテックのローランド・ラッツェンバーガーが
「ヴィルヌーヴカーブ」を曲がりきれず
アウト側のコンクリートウォールにほぼ正面から衝突した

モノコック部は原形を大まかには留めていたものの車体左側には大きく穴が開き
モノコックの中の左腕が映像ではっきりと確認できる程であった

ラッツェンバーガーは衝突の衝撃により頭蓋底骨折を起こした

F1デビューイヤーのラッツェンバーガー
事故の直前の周回に「アクア・ミネラリ」シケインで縁石を乗り越えており
そのときの衝撃でフロントウィングがダメージを受けていたと考えられている

ラッツェンバーガーは縁石越え後もピットに戻らずに次の周もタイムアタックを続けた
時速306キロで走行中にフロントウィングが破損し
ラッツェンバーガーはコントロールを失った

セッションは40分を残して中断したが、残り時間は最終的にキャンセルされた

その後、ラッツェンバーガーは多発外傷により死亡したと病院から発表された

F1レースウィーク中の死亡事故は
1982年カナダGPのリカルド・パレッティ以来だった
また、ポールリカールでブラバムのテスト中
エリオ・デ・アンジェリスが死亡してからは8年が経過していた

F1のコース上の当時の医療チームリーダーだったシド・ワトキンス教授は
このニュースを聞いたセナの反応について

「アイルトンは取り乱し、僕の肩で泣いていた」と後に語っている

ワトキンスは、翌日のレースに出場しないようセナを説得しようとした

「君は何をしなければいけないんだ。既に3度も世界チャンピオンになり、間違いなく一番速いドライバーだ。もうやめにして、釣りにでも行こう」

しかしセナはこう返した

「シド、僕らの手にはどうしようもないことがある僕はやめることは出来ない
続けなければならないんだ。」






そして 5月1日(SUN)


アイルトン・セナ








決勝
最初のスタート


3度のワールドチャンピオン、アイルトン・セナの死は、F1を大きく変えることとなった
スタート時、J.J.レートのベネトンがグリッド上でストールした

後方からスタートしたペドロ・ラミーは
停止していたベネトンを前走者に遮られ確認することができず、レートに追突し
車体の破片やタイヤなどが空中に舞い上がった

マシンのパーツは
観客を守るためにスタートライン付近に設計されていた安全フェンスを飛び越え
9名の観客が軽傷を負った

この事故によりセーフティカーが導入され
マシンはその後方で順位を維持したままスピードを落として走行した

低速で走行したこの間に、タイヤ温度は低下した

レースの前に行われたドライバーズブリーフィングにおいてセナは
ゲルハルト・ベルガーとともに、セーフティカーのスピードが遅いと
タイヤ温度を高く保てないとの懸念を表明していた

コース上の破片などが除去されると、セーフティカーは退き
レースはローリングスタートで再開された

再スタートから2周後
シューマッハを抑えてトップを走行していたセナが
タンブレロコーナーでコースアウトした

その後、セナは壁に衝突するまでの0.9秒間に
ブレーキングと6速から5速へのシフトダウンによって
312km/hから211km/hまで減速した

タンブレロコーナー:セナの事故現場

午後2時17分にレース中断を示す赤旗が提示され
シド・ワトキンスがセナの手当のために現場に向かった

赤旗でレースが中断されると、マシンはスローダウンしてピットレーンに戻り
以後の通知を待たなければならない

これは事故現場のコースマーシャルと医療スタッフを守るための措置であり
またメディカル車両が現場に到着しやすくするためのものでもある

ラルースチームのクルーは、赤旗が提示されているにも関わらず
エリック・コマスをピットアウトさせるというミスを犯してしまった

コマスが「ほとんどフルスピード」で現場に差し掛かったため
マーシャルはスローダウンさせるために必死に旗を振って合図を送った

ユーロスポーツのコメンテーターだったジョン・ワトソンは
この件について「これまでの人生で見てきたことの中で、最も馬鹿げた出来事」と語っている

コマスはコースに居た人間と車両を全て避けたが
セナの事故現場を通り過ぎた後、自ら目にしたことに苦しみ、レースをリタイアした
RAIにより世界に配信された映像はあまりに生々しく、BBCは独自映像に切り替え
ピットレーンの様子を映し出した

壊れたマシンから出されたセナは
ボローニャに近いマッジョーレ病院にヘリコプターで搬送された
医療チームは搬送中もセナの手当をし続けた

事故から37分後の午後2時55分、レースは再スタートされた




二度目のスタート

再スタートされたレースの結果は
中断された最初のレースとの合算で争われることになった

再スタート後はゲルハルト・ベルガーがコース上でのリードを奪ったが
レース中断時点ではシューマッハがベルガーに対してリードしており
合算ではシューマッハがレースをリードしていた

12周目にシューマッハはコース上でもトップに立ったが
ベルガーはその4周後にハンドリングの問題でリタイアした

レースはミハエル・シューマッハがニコラ・ラリーニとミカ・ハッキネンを抑えて優勝し
1994年のF1世界選手権の開幕3戦で満点となる30ポイントを獲得した
ラリーニにとってはキャリア唯一の表彰台で、初のポイント獲得となった

表彰式では、ローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナへの配慮から
シャンパンファイトは行われなかった







あれから19年

この時の事は今でも鮮明に覚えており
事故を見てTVの前で固まりました

あの天才アイルトン セナが事故で死ぬなんて(; ̄O ̄)

世の中!有り得ない事も起きるんだよね

サーキット走行される皆様
くれぐれもお気を付け下さい m(__)m








ブログ一覧 | 日記
Posted at 2013/05/01 12:48:45

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この記事へのコメント

2013年5月1日 14:45
そうですね!

あれから もう19年が経ちますね! 僕も 夜中見ていましたが 本当に 衝撃を 受けました!

まさか 再スタートするとは 思いませんでした! 他のドライバーのモチベーションは 凄い物が

ありますね! 94年から アクティブサス等の 電子制御が 禁止された影響が 全体的に 出た

のでしょうか?  しかし ドライバーには悪いですが この頃 F1楽しかったですね!
コメントへの返答
2013年5月1日 15:50
こんにちは

鳴り物入りでウイリアムズに移籍したセナ
ここまで良い所無しで焦っていたのかも

セナ、プロスト、マンセル、ピケ

あの頃が一番面白かった
それに比べて今のF-1

最近は録画、早送りが常です(笑)
2013年5月1日 16:46
犠牲の上に成り立って,今日のモータースポーツの安全技術は向上したんですよね。
コメントへの返答
2013年5月1日 16:53
こんにちは

今でこそF-1の死亡事故は皆無ですが
1970年代の死亡率は半端なかったです

尊い犠牲の上に今があるんですね
2013年5月2日 8:37
おはようございます。
あれから19年ですか…
オイラもテレビで観戦してました。
当時お付き合いしていた娘と一緒に観てました。彼女アクシデントの瞬間から泣いてました。

次の日青山一丁目のホンダショールームに行きましたよ。お花持って。
ショールームにあった彼のマクラーレンはお花だらけになりました。

あのアクシデントの時後ろを追走していたのが若き日のシューマッハでしたね。
コメントへの返答
2013年5月2日 9:56
おはようございます

光陰矢の如し

もう19年も経つのですね

セナの事故死もショックでしたが
日本のF-3000で活躍し
念願のF-1ドライバーになった
ラッェンの死もショックでした
2013年5月3日 18:36
ども

19年も経つんですね・・・・・一番好きなレーサーでしたからショックでした。
コメントへの返答
2013年5月4日 7:24
おはようございます

この頃のF-1が一番面白かったですね

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