
今日は早めに帰ってこれたのですが、何だかやることが多くて・・・。
明日頑張れば土日は休みと行きたい所ですが、また土日は忙しいんですよね・・・。
さて、先のシルビアの書き込みでケネスさんが話題を振って?くれたので、今回は日産の高級車でラリーに参戦した話を書いてみます。
日産が初めて海外ラリーに参戦したのは1958年のオーストラリア・モービルガストライアルにダットサン210の富士号、桜号が出たのが最初ですが、これはまたいつか別にアップしますね。
で、今回は日産が初めてサファリラリーに出た車について触れてみます。
日産が初めてサファリに出たのは1963年で、出場車は310ブルーバード2台で富士1号と富士2号。
H31初代セドリック(マイナー後の横目4灯)桜1号と桜2号。
この時ブルのドライバーは後のニスモ初代社長の難波さんと、ラリーチーム監督になる若林さん。
とりあえず今回はセドリックの画像をアップしてみます。
この年のサファリは当時(第11回大会)始まって依頼の悪条件で、リタイヤが続出。
参加84台中完走がたったの7台!
そして日産チームはと言うと・・・残念ながらタイムアウトになり入賞は逃しましたが、ブルーバードとセドリック各1台ずつが、その後も走り続けて完走し、日産車の強さを世界中にアピールしました。
ちなみに優勝はプジョーチームのプジョー404、2位はフォード、3位がメルセデスです。
日産を合わせても9台しかゴールまで辿りつけない厳しいラリーでした。
他にも日本チームからは日野コンテッサチームも1台参戦していたようですが、リタイヤしてしまいました。
その後もサファリを中心に参戦し続けて、ラリーの日産と呼ばれるようにまでなりました。
セドリックのラリー車については、その後も130セドリックでサファリに参戦してますので、またそれも次の機会にアップしてみます。
セドリックはラリーだけでなく、レースにも出ていまして、高級車のイメージはありますが、昔は意外にモータースポーツにも使用されていたんですね。
初のサファリ参戦ですので色々と話もあるのですが、長くなるので概略だけにしますね!
続きはまたその内書きたいと思います。
ってことで、今日はこの辺で・・・。
一部間違いがあったので訂正しました。
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Posted at
2010/07/09 00:40:26