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みん友さんのお陰でメンテナス記事もかけて、リアルお友達もたくさんできました!
タイトルについて過去を思い出し書いていきます。

自分が中学3年だったかあるバイクが発表され世間ではめちゃざわついた感じがしていた。そのバイクはあるジャーナリストから「ケルンの衝撃」と言われるくらい衝撃だったみたい。高校に入学し原付免許を取得。バイク乗る楽しさから高校友人たちと週末には奈良の明日香村、神戸、生駒山越えなんて遊びに遊んだ。当時はスズキのバンバン50RVにのって走り回っていました!乗り出すとやっぱ情報は雑誌となる。

当時オートバイ誌、モーターサイクル誌の2大雑誌があり前者はツーリング関係、後者はレース関連に特化した内容だったと思う。私は前者の雑誌で、いろいろ勉強し、カスタム情報を仕入れ南海部品やショップに寄るようになった。特に雑誌のおまけではないが雑誌にはポスターが付いている。

高校2年のオートバイ誌購入した時、GSX1100Sカタナのポスターが付いておりそのバイクのデザインに衝撃を受けた。ポスターは自分の部屋の天井に貼り、寝っ転がって天井を見ればカタナのポスターがあった。

当時はバイクの免許は門真の運転免許試験場で一発受験でしか入手できなくその合格確率は3%でした。高校2年になり中型免許を取得しホンダのホークⅢの前期を購入し大学入学し2回生まで乗っていた。3回生の時ふとバイクの大型免許、限定解除を受けてみよう、そしてカタナに乗りたいと思い3回受験したが全部失敗。夢も儚く散ってしまった。

4回生で乗っていたホンダバイクを後輩に譲り卒業。社会人になってまたバイクに乗りたくなってGSXR400R、CBR400RRと乗り継いで結婚を機にバイクは降りた。

そこから20年後、スズキが中型で乗れるカタナを販売を知りすぐに中古でGSX400Sを購入。同じ年の夏に友人が1100ccのGSX1100Sカタナを手放すという友人がいて事なく交渉成立!しかし大型免許は持っていなかったのですぐに教習所へ。。。

良い時代になったもんだ。約2週間で大型免許取得でき、はれてカタナ2台持ちのオーナーになれました(笑)

それからは維持をするために部品がなくならない様に新品で手に入るものは中型と共用できるパーツは知り合いのバイク屋へ注文。それ以外の部品取りはオークションで入手した。そこから20年以上2台とも維持できています。立ちごけも事故もなくほとんどノーマル状態で動態維持で。。。

カタナにのってからカタナ友もでき休日には朝練一緒に行ったりしています。

最後にカタナって言う不思議なデザインのバイク。古いバイクなのに古めかしさがなく今でも十分通用するでデザインが現在の若い方に受けているみたいです!
バイクの寿命には、走行距離だけでなく使用頻度や使用方法、メンテナンスの頻度も関係します。そのため、同じ排気量のバイクであっても短い走行距離で寿命を迎えるものもあれば、長い距離を走行しても問題なく使用できるものもあり、一概に走行距離だけでバイクの寿命を決定することはできません。そこで排気量別に、おおよそのバイクの寿命と走行距離の関係を考えます。

バイクを新車で購入すればバイクの生涯がそこから始まります。原付で5万キロ 125㏄で8万キロ 250㏄~400㏄で10万キロ 大型バイクで10万キロ以上とネットでは言われています。小型のバイクはどうしても高回転で運用されるので寿命が早くなりやすいみたいです。排気量が上がるに高回転運用すると寿命が縮まると言われています。

私の所有しているバイク3台は発売されて5年位で購入しました。上記の理論から言えば単純に400㏄カタナ、VFR400Rは購入し30,000㎞は走っていましたので1年で10,000㎞で計算すればバイク自体の生涯で30%に値します。後7年は乗れるねと言えば、、、2025年4月の段階で400㏄カタナは33年目、VFR400Rは37年目、GSX1100Sは29年目になります。

思ったより、、、これが普通なのか?いやこれも先の通り走行距離だけでなく使用頻度や使用方法、メンテナンスの頻度により生かされていると思ます。

現在、旧車を購入する、、、例えばCBX400Fを旧車専門店で購入すると、普通の方は10年以上は乗れると勘違いします。その個体を完全レストアし、新車同様と歌っていても、①消耗品以外の電装系パーツはそのまま延命処置されている場合、数年で乗れなくなったり②また購入1週間で原因不明の故障で購入したショップに修理持ち込みましたが部品が手に入らなく、無くなく手放しする事になるかもしれません。

バイクの中古車市場は先のコロナ禍で半導体チップの製造、入手が出来ない環境下で、中古車が見直されすぐに手に入る適当なブランド個体を整備済、レストア済といった歌い文句でうその説明をし、正確には売りさばいて、市場レストアラー(組み立てし)に手によって再構築され新たな部品代、作業費をかけ価格がップし、トレンドが変わって乗りもしないお金持ちやインフルエンサーが投機目的で購入し市場を回しているのが現状です。

本来は乗りたい固体の価格が高すぎで買えないユーザがーたくさんいます。50代、60代のリターンライダーが自分の夢にかなったバイクを手に入れ乗っているのがもう一つの現状だと思います。

私の場合、赤髭男爵でVFR400Rを購入し、販売員が我が社の旧車システム本社倉庫に40年分の廃車から取った部品を保管しVFR400Rに至って10台以上レストア完成できる環境がありますのでご安心くださいと言われました。でで、、、1週間後に琵琶一ツーに行ったら、タイヤ前後がひび割れ拡大しました。赤髭男爵にクレーム入れると新品に交換しますと、、、確かタイヤの製造年式が古かったので新品交換しますと言っていて、納車時には交換完了していますと・・・そういえばタイヤマーカーなかったなと思いつつ、、、やられました。中古の程度の良いタイヤに交換されていました。それから1年経って、電圧がばらつきが発生し、レギュレーターがパンク、バッテリに電圧が行かない症状が出た時、赤髭男爵に持ち込んでチェックしてもらうとジェネレーターが行かれています交換ですね?購入時に行っていた部品センターの話したら、、、奥に入っていき戻ってくると、、、矢継ぎ早に、今部品が在庫なしです。どうします?もう乗れませんよね?下取りで売って新しいバイク買いますか?高く買いますよ?古いバイクなんでもう飽きたでしょう?←失礼でしょう? この販売員は嘘つきショップやなと、、、思いっきりクレーム言って帰宅した記憶があります。それから20年以上騙し騙し乗っています。

やっぱ良いバイクショップを見つける事が大切ですし、手に入れた古いバイクは寿命を考えると中古で購入し、あと何年乗れるかを考え、自分でメンテできる環境、信頼できるショップが近くにあるか?が寿命を延命させる手段かと思います。
プローバカウンタックは、1984年から1990年まで製造されました。この期間は、前期型と後期型に分けられます。

前期型は、1984年から1987年まで製造されました。この期間は、5.0L シボレー V8 エンジンを搭載し、アルピーヌルノー製の4速マニュアルトランスミッションを組み合わせていました。

後期型は、1988年から1990年まで製造されました。この期間は、3.5L ローバー V8 エンジンを搭載し、ZF製の5速マニュアルトランスミッションを組み合わせていました。


プローバカウンタックは、その卓越したパフォーマンスとスタイリングで、日本のスーパーカーブームの先駆けとなったモデルです。前期型と後期型で異なるエンジンとトランスミッションを搭載していましたが、いずれもカウンタックのパフォーマンスとハンドリングを支える重要なコンポーネントでした。

後期型初期はSUキャブでもエアクリーナーがコブラヘッド呼ばれるミニクーパーレース用の大きな物が装着されているのは見ました。小生のプローバーはSUキャブ2連の単体クリーナー2個でした。

小生の所有プローバカウンタックは1996年に日本に輸入され登録されています。そう考えると今年で所有23年、UKに在有時代が6年としたら後期初期であれば31年物、最終型であれば29年物と判断できます。
私は中学1年の夏に親友の実家淡路島にある民宿経営しているご親戚の親御さんの息子さん(当時大学生)のお兄さんが弾いていたアコギで井上陽水さんの紙飛行機に衝撃を受けギターにはまりました。

当時はあまりアコギって専門ショップがなくて、商店街のレコード販売店で数本展示販売していました。クラシックギターをお小遣いで購入し一生懸命練習したんですがなかなかうまく弾き事が出来ませんでした。たまたま当時、その商店街の一角にクラシックギター教室があって速攻で入門し1年くらい受講しました。

しかしこのギターの扱い演奏は自分のスタイルでないと思い退所し、独自で勉強し、クラシックギターからフォークギターにアップグレードし一番最初に購入したのがヤマキ製のW-200 (D-35 コピーモデル)でめちゃめちゃ頑張りました。

フォークギターに変えて3か月くらいから自分で作詞作曲できるまで、、、自称シンガーソングライター気取りで当時は珍しく路上パフォーマーしていました(笑)

中学2年でその親友君と2人でディオを組み中学の音楽の先生に頼み込んで音楽の時間にミニコンサートをさせてもらったりしていました。それを見て自分も参加したいメンバーが増え、中学3年生の時は受験勉強そっちのけで路上で演奏していました。


高校に入学して皆高校はバラバラでしたが4人が残り女性ヴォーカル1人のギター3人でたまに呼ばれれば演奏会に行くようになりました。私は3人編成のギターアレンジも行うようになり、、、譜面も読めないのに結構無茶していましたが結構演奏すると受けてたみたいです。もちろんノーギャラで。。。(笑)町会のイベントが多かったかな?当時はイルカさんやかぐや姫、アリスが全盛で、フォークソング全盛でした。

高校は体育会系の学校だったんで軽音楽部もフォークソングもありませんでした。文化祭1回目は、有志を集めて教室を借り切ってフォーク小屋を設立し頑張りました。2年目はバンドもできるよう2つ教室をかりフォーク小屋とロック小屋を設立。その後ロックのメンバーが人数が多かったので軽音楽部が設立できましたが私は参加しませんでした。やっぱアコギにこだわっていましたので、3回目の文化祭は1時間体育館を貸し切ってミニコンサートを行い、ロック小屋のメンバーも参加し、発表の場を設けることができ、ロック小屋は正式にクラブとして認められ、フォーク小屋は吸収されました。

この中学2年間と高校3年間で使用していたのがヤマキのW-200で結構ボロボロになっていました。(T_T)

青春時代はヤマキと一緒に駆け抜けた良い時代だったかな・・・

ヤマキって使用していくと音が柔らかうなっていくように思いました。ふつうは乾いてドン・シャリーンって音がするのでしょうが、湿気ではなく少し籠った感じですが、中音域の伸びが良かったです。他のヤマキも何台か弾かしてもらったのですが、大体似たような音でした。高3時代にもう1台サブ、またはメインで使用するギター探しているとき、当時は結構ギター専門店が増えてきて何本が弾いて決めたのがモーリスW-100でした。

後で知ったのですがヤマキとモーリス、プロマーチンでOEM製造をしていたみたいです。

ネットで調べると、、、、


Canyon(グランド・キャニオン)はヤマキ楽器製ではなく、正式には「スガノ楽器」製造のアコースティック・ギターです。Canyonは当時直販方式で急速にシェアを広げていた「トミー商会」からリリースされていた「スガノ楽器」製造によるブランドです。

ただし、全てのCanyon製品がスガノ楽器で製造されていたかと言うと、ヤマキ楽器ならではの独特なシリアルナンバーをもつ製品がミドルクラス相当の製品(トミー商会取扱製品中では上級モデル)に見られることから、恐らくトップ単板仕様以上の製品に関してはヤマキ楽器が製造していたと思われます。ヤマキ「W-500」とほぼ同等製品が「GW650」としてトミー商会のトムソン・ブランドからリリースされていたことも関連事項として上げられるでしょう。

スガノ楽器は、Pro Martin(プロ・マーチン)ブランドの製造元ながら、のちに設立に際しての販売親元である「東京楽器」の横領事件等にまつわる倒産により販売経路に苦慮し、トミー商会に落ち着いた経緯があります。2割~3割引きは当たり前といった直販方式の強みを活かしたトミー商会への供給メーカーを担い、それまでの得意分野である普及価格帯に特化したPro MartinとCanyonの両製品を供給しつつも、ミドルクラスの製品はヤマキ楽器がサポートしていたのではないでしょうか。

この後、Pro Martinは名工・田原良平(ジャンボ・ブランドの田原楽器創設者)氏の技術指導を仰ぎ、高級手工品をラインナップさせたハンドクラフト・シリーズを打ち出すまでに急成長を遂げますが、田原楽器・田原良平氏にしてもヤマキ楽器・寺平一幸氏にしても、スガノ楽器の原田荘一郎氏とは全音ギター製作所時代の同窓であるという絆に結ばれていればこその信頼関係である様に思えます。

こうゆう絡んだ時代に作られたアコギって、、、ジャンビンテージって呼ばれています。

アメリカ製マーチン、ギブソン、オベーションより良い物を、同等品以上のものを制作したい、皆に良い品質のものを提供したいというコンセプトで。。。

さて36台目のアコースティックギターですが。。。。

ヘッドマークが少し変わったマークで今まで見たことがない。リサイクルショップの一番奥のジャンクコーナーで、、、、このマークが目に留まり、、、一瞬



欲しい!


けど、、、もう買ってくるなと嫁に言われているし、、、、頭を冷やすために


店内1周してまだ欲しかったら、、、、なんて考えちたら。。。


買って~~連れて帰って。。。。って!後ろから聞こえました!


で


連れて帰りました。。。2000円で、、、、(笑)


明日の日曜日に身体検査して回収する予定です。



プローバ君のショックアブソーバーの目処が立ちましたので、、、、もう少しプローバ君の組成部品詳細を色々調べてみました。特にエンジンとミッションについてはいろいろのタイプがあったりと自分の車はどうなっているのか気になっていました。

プローバ社の前期仕様のエンジンは5000ccのシボレーV8エンジンブロックにアルピーヌルノーミッション4速となっています。後期は3520ccのV8ローバー(旧型ディフェンダー)エンジンブロックにアルピーヌルノーミッション5速となっています。ここである嫌いなショップ(あることでメンテしなくなりました)の社長が言っていた話ですが、、、「プローバカウンタックのミッションはデロリアンと同じアルピーヌルノーミッションだね・・・・」もしそうだとしてもエンジンブロックになぜローバー製が???どうしてアルピーヌの名前が付いて、ルノーブロックでないのか??と言う疑問が沸きました。おそらく何かしらの関係があるのかと調べてみると、、、ありました。

ヒントはデロリアンにありました。もともとルノーエンジンは欧州車のいろいろなクルマに採用されています。ルノーの創設者ルイ・ルノーは現在のプロペラシャフト式フロントエンジン・リアドライブ方式(FR)の原型である「ダイレクト・ドライブ・システム」を発明しました。この斬新な機構でルイ・ルノーは1899年にフランス特許を取得、ほどなくフランス中の自動車会社に特許販売されることとなり、1914年に特許が切れるまでの間に当時の金額で数百万フランを越える莫大な特許料がルノーに転がり込みました。

当時はプジョーと2台自動車メーカーであったがこの特許と開発があいまり、戦後のいろんなタイプのミッション開発にも役に立ちました。ある時期ルノーエンジンはプジョー・ルノー・ボルボが乗用車用に共同開発したPRV(頭文字1字からエンジンをとったV 型6気筒SOHC 2,849ccで、PRVエンジンは、1974年から1998年まで外販販売された。レイアウトはRR(←ここがポイント)で開発がされた。アメリカDMC社が開発費用削減で採用した5段 マニュアル縦置き「タイプ369」はアルピーヌ・A310 V6とデロリアン・DMC-12に採用された記録が残っているます。
当時のイギリスでは初期プローバのエンジンブロックはシボレーV8 5000ccと汎用でPRVのミッション長さがジャストサイズと接合するミッションブロックが厚く2次加工しても強度が保てる事から採用されました。アメリカ製のエンジンブロックはイギリス国内では手に入りにくくなり苦肉の策で、後期モデルはイギリス国内で手に入りやすかったローバーのOHVブロックをジョイントさせて完成させました。よって後期エンジンはローバーV8 3520ccのエンジンブロックにPRVミッション5段 マニュアル縦置き「タイプ369」で30台程度OEMビルダーに生産されヨーロッパ地区(イギリス、ドイツ、イタリア)に流れた模様です。北米向けはドイツやニュージーランドで組み立てられ船で輸送した記録が残っているみたいです。またメンテナンスやOEM組み立てユーロワークス(フロリダ)で行われ、テキサスにあるDMC社と関連した共用パーツになったみたいですね。

まとめですが、、、、
デロリアンのミッションはPRVの汎用ミッションでRR仕様が採用された
ルノーミッションであるゆえ、日産からミッションパーツに関して購入することが可能。
PRVのミッションはエンジンブロックとしてプジョー、ルノー、ボルボの特定に共用適合する。
DMC社の再建会社(DMCモータース)でミッションは新品で購入可能。

まだまだ生き残れるか。。。プローバ・・・・????
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