10日前、震災の起きた日は倉敷NMの日。
親族の安否が確認できたのは、夜9時をまわっていました。
一度は「今日はいけない」と連絡したNMでしたが、しばらく迷ったのち、行くことにしました。
倉敷珈琲館に着いたのは、10時20分くらいだったでしょうか。
今回は都合が付かない人が多く、最初から参加者は少ない予定で、私が到着して計5人。
相変わらずクルマとは関係のない話題、私がデジイチNEX-5を持参したこともあり、写真の話で盛り上がり・・・
これはペケぺけさんがNEX-5で撮ったコーヒーカップ。質感いいですよね~
そして、予告どおり、スパイダー祭り!せっかくなので撮影会~
シャオさんが、ボソっと言いました。
「なんか、白蛇くんがフツーのクルマに見える・・・」
・・・同感(^^;)
147も156も、街で走れば少々目立った車のハズなんですが。
ホワイトデーのプレゼント・・・皆さんから頂いちゃいましたぁ(*^^*)
男性はニガテかもしれないけど、プレゼントとか言葉に出してもらう愛情表現って、私は(たぶんほとんどの女性は)すごく嬉しい。
繋がってる、頼って大丈夫、自分を大切に思ってくれている、傍にいてくれる、そういうことをときどき確認できることは、とてもとても大切なんです。
みなさん、奥様やパートナーに、ちゃんとホワイトデーのプレゼント渡しましたか?
私はダーリンからもらえませんでした。。。
震災から10日が過ぎました。
私は東京で生まれ育ちました。
地震、富士山の爆発、江戸の町は火災も多く、その後も関東大震災で壊滅的被害を受け、第二次世界大戦で焼け野原になり、壊滅と復興を繰り返した街です。
東京には防災の日というのがあります。関東大震災が起きた、9月1日。
子供の頃学校では、この日に必ず避難訓練がありました。校内放送の「地震発生!」と共に机の下にもぐり、座布団を頭に載せてグラウンドに避難し、備蓄の乾パンを昼食に食べて、集団下校しました。
大人になってからも、東京は震災に対する改善を続けていました。
建築の耐震基準は強化され、マンションで火災が起きてもまず類焼は起きず、阪神淡路大震災後は首都高の橋脚を全て耐震強化しました。
墨田区にある白髭防災団地ご存知でしょうか?
「震災等で大火発生した場合は建物自体が防火壁となる様に設計させた南北1km以上に渡って連なった高層住宅。火災時は建物開口部はシャッター閉鎖され、建物隙間は壁で塞がれ、屋上から建物冷却のため放水が行われる」-Wikipedia抜粋
隅田川に沿って建っています。もちろん人が住んでいます。
今回の地震は、いまだかつて経験したことのない大きな揺れだった。みんながそう言います。
でも大きな火災も起きず、倒壊した建物も出ず、高速道路も数日で使用可能になりました。
これだけの大地震に対して驚くほど被害が少なかったと、私は思います。
過去に何度も大きな津波に襲われた三陸沖でも、津波に対する意識は高かったのです。
税金のムダ使いという指摘すらあった、世界にも類を見ない10m津波防波堤、それすらも今回の津波はやすやすと乗り越え破壊してしてしまいました。
原発の事故、地震、津波への備え、対策。。。
これからいろいろなことが取りざたされるでしょう。
では、日本は備えを怠っていたのか?
慢心があったのか?
自然をあなどっていたのか?
私はそうは思いません。
もちろん、今回のことを教訓に、知恵を、技術を、対策を、考えていかなければなりません。
でも、地球の力はあまりに大きい。
人類の英知は、頭をひねって頑張ってせいいっぱいで、こんなもんです。
そして日々報道されるように、日本は略奪も暴動もおきず、全力を傾けて被災地への道を拓き、福島原発の事故を最小限で食い止めようと命を賭ける人々がいて、支援物資が全国から集まる。
混乱している大都市東京も、今週中には燃料物資が徐々に到達して落ち着きを取り戻すでしょう。
1ヵ月後にはもとの経済活動に戻っているでしょう。日々の対策があったからこそ、東京の被害は小さく、立ち直りは早い。
誰を責める必要もない。
東電も、福島原発も、速やかに運転本数を減らした鉄道も、行政も、私は素晴らしいと思う。
全国からの支援を、義援金を、沢山のことを考え学ぼうとしている日本人を、素晴らしいと思う。
秩序を守りお互い労り合い、復興を目指す被災地の力を、素晴らしいと思う。
私は日本を誇りに思います。
おまけ
倉敷NMの帰り道。5ならび♪

Posted at 2011/03/21 19:25:01 | |
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