
その年の冬、函館本線、銀山駅、線路脇を歩いてると、
あらさんが、突然登るぞって言った、僕たちの兄貴のような存在で信頼していたから、何の迷いも無く、雪の中をついて登って行った。
人生でこんなに辛い思いは、後にも先にも、これ一回だけだったと思う、それくらい辛い登頂だった。腰まで雪の中、上手く歩く事が出来ない。相当歩いたが、まるで何も見えなかった。で、やっとの思いで山頂に着いた時は吹雪になっていた。あらさんが、危険だから帰ろうって言ったが、、、もう少し待って居たかった、、、凄い辛い思いをして登って来たんだ。簡単に帰りたく無い。
あらさん、明日も来る?勿論、明日再トライだ。あらさん、カメラバックを置いて帰りたい。え、この雪山にか?そう、荷物があったら、明日は登れない。お願い、カメラバックを置いていかせて。目印になる場所を探した、あらさん、電柱の下に埋めよう。埋めるのか?だって、吹雪だから、埋まってしまうよ。
帰り道も辛くて、辛くて、歩きながら眠った、そして転ぶ、そのまま、寝たい。誰かが叫ぶ、そのままじゃ死んじゃうよ。いいよ、眠いから。こんな思いをして、、、何になるんだろう、初めてそんな事を考えた。汽車が好きだから、辛くても、辛いと思った事は無かった。今日は、辛い、ただ辛い。だって、何も撮ってないんだから。
ボロボロになって、やっと銀山の駅にたどり着いた。
死んだように眠った。駅員さんが、石炭をストーブに入れてくれていた。あ、すみません、声が出ない。また眠った。あーーー、良く寝た。朝になっていた。どうやら、駅で一晩寝てしまったようだ。外は、吹雪だ。えーーーどうしよう、カメラ。あらさんは、明日行けば良いと、言うが、心配だー。その日は、駅で一日過ごした。泊めて頂いたので、駅舎の中を掃除した。でも、誰が、言うんだ、もう一泊って。当時、まるで小学生にしか見えない、マメに言わせたと思う。きっと。そして、翌日、快晴だった。前日の道が出来ていて、今日は登る事は楽だった。って前日が辛すぎたから、楽に思えただけで、大変な道だったと思う。頂上からの景色は、素晴らしかった。カメラバックを掘りおこして、カメラをセットすると、、、曇ってきた。こんな仕打ちもあるのかと、中学生ながらに思った。3日使って、命かけて、この程度の写真を撮る為に、あんなに辛い思いをして、、、納得がいかなかった。
翌年、春、再トライした。快晴、最高、、、でも、こんなものなんです。これ以来、俯瞰は止めた。
だって、長く汽車が見たいから、俯瞰したんだけど、写真的には、ただただ、ロングで撮ってるだけなんだもん。パッパ、パ、汽車の鼓動が好きだから、やっぱり鼓動が聞ける距離が良いなー。
途中の過程は写らないから、写真てシビアだ。
パリラ、パララ、パリラララ。暴走族が昔鳴らしていたホーン、、、何、これ?
パゥーン、あ、、、突然、S4が対向車線に見えた。追い越しをかけて来た。
すげーーー。ランチアだー。
て、慌てて車の窓ごしにシャッターを切った。
これだから、写真は面白い。
同じ一枚なんだから。
Posted at 2011/01/11 21:55:58 | |
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