やっと観賞してきました。
加清純子展 ( 北海道立文学館 )
1月22日から公開されてましたが、公開時はコロナ第6波が猛威を振るい
2月は記録的な大雪で札幌の道路は壊滅的な状況、ジュリエッタじゃ無理!
3月になり、少し穏やかな天気になったので、やっと本日ご対面してきました。
ところで、加清純子(かせいじゅんこ)って誰? ですよねー
1933年から1952年まで札幌に実在した画家です。
若くして(15歳)道展に入選し、複数人の男性と交際しながら作品を発表、
18歳の時、別れの挨拶代わりに?、交際した5人(だと思った)の男の家を回り
雪の上に真紅のカーネーションを置き、釧路を経由して真冬の阿寒に赴き、
そこで行方不明。
1952年4月14日、釧北峠で、凍死体で発見。 死亡日は1月23日と推定。
赤いコートを羽織り、周囲には片方の手袋、光(煙草の銘柄)の箱、マッチ、
ハンカチ、服用した睡眠剤(アドルム)のビンが円を描くように並んでいた。
消息を絶つ前、雄阿寒ホテル(現在はラビスタ阿寒川?)に残されていた
3枚のうちの1枚。 阿寒湖風景。
同級生(札幌南高校)には、作家の渡辺淳一氏、荒巻義雄氏が在席し、
両氏とも、加清純子を小説の中で描いています。
私が初めて加清純子を知ったのは、渡辺淳一氏の 阿寒に果つ を読んだとき。
名前は 時任純子 と記されています。
阿寒に果つ 出だしの部分。
序章
死に顔の最も美しい死に方はなんであろうか。
<<<<< 略 >>>>>
生きていた時より美しく、華麗に死ぬ方法はただひとつ、あの死に方しかない、
あの澄んで冷え冷えとした死。
純子はそのことを知っていたのであろうか。
あの若さで、果たして死ぬとき、そこまで計算していたであろうか。
いや~、超寒がり体質の私には無理!!!
私の理想は、暖かい布団の中で腹上死です(爆)
加清純子のお参りを兼ねて、阿寒湖に行ってみるか~。
あ、もちろん、雪が溶けてからでーす。
Posted at 2022/03/04 18:25:30 | |
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